龍穴の実存・10
邑神のしかめ面を眺めながら、しかし藤田はそんなことが可能なのだろうかと疑問に思う。
「あの……Vプランと東雲さんの警備に因果関係はありませんよね。例えばさっき言ってたような……神子……龍穴の器が俺しかいないと思い込んでいる研究所にとってみれば、簡単に管理外へ手放すわけにはいかないと考えると思うんですけど……」
すると男はしかめ面から一瞬呆けた表情になり、そして真っ黒の瞳を弓形に曲げて笑顔を作る。邑神という男はこんな表情、つまり悪い笑顔を作ることもできたのかと藤田はギョッとした。
「……知っての通り、『ウカノミタマノカミ』、通称・東雲祥貴は人間たちに『力を貸してやっている』状態だ。この男の機嫌を損ねれば、研究所だけでなく近畿圏に大きな損失がもたらされる可能性が高い。たまたま、『ウカノミタマノカミ』が人間に協力的なだけなんだ。力を貸さない神が存在してもおかしくはない……そうなれば龍穴の新活用どころではなくなる。研究所はこちらの条件を飲むしかないだろう」
「強権発動って感じだよねえ。封建時代の殿様にでもなった気分だよ」
邑神の悪い企み――実際には藤田を守るためのもので、『悪い』と形容するのはなんとも奇妙だが――を隣で聞いていた当の東雲は、未だ楽しそうな笑顔で両手を頭の後ろで組み合わせてくつろいでいた。藤田にとってみれば、この会合で明るみになった情報はすべて深刻なものだったが、男たちはそうは思っていないらしい。
「それに、龍穴の器という存在は今までなかったも同然だ。財団側が藤田幸特有の体質に興味を持ったとしても自然な流れのはずだ。そもそも、毎月の派手な実験もこの筋書きを作るための伏線だったんだからな」
「えっ?」と呆気にとられる藤田。
「それは言い過ぎです、邑神さん……私は真面目に実験はしていたんですよ」
西宮が居心地の悪そうな、気分を害したような、複雑な表情で邑神の方を見る。邑神は邑神で、西宮の表情に少しだけまずいと思ったらしく表情が強張るが、それでも口は止まらなかった。
「……成功の見込みが低い実験を大真面目にやっているとは、研究者もなかなか難儀な生き物だ」
「有奇くん、そういうことを言うから君は……」
あちゃあ、とでも言いたげに東雲は手のひらで自分の額を軽く押さえた。
後日正式な辞令が下るだろうという話でとりあえず会談は解散となり、藤田たちは社務所の外へ出る。
爽やかな風が吹いているものの、太陽光は容赦なく男たちを照らしだす。夏の到来だ。
「太陽、あっついなあ……」
西宮が白衣をばたばたと開け閉めして、こもりそうな熱を逃がそうとする。
「これから蒸し暑くなることを考えると辟易しますね」
西宮の後ろをついて外へ出てきた東雲はこれ以上ないくらい輝かしい笑みをその相貌に湛えて女の言葉に同調する。それと同時に彼らの前へ立ち塞がった人間がいた。
「京都の夏は、東雲さんが思うてはるよりもきついですよ」
京都訛りのきつい袴姿の男だった。髪の毛を刈り上げた少し痩せ気味の男は笑顔を浮かべているが、その目は笑っていない。
「多分、関東の方が涼しいんとちゃうかなあ……東雲さんが育った場所で過ごされる方がよほど快適やと思いますけど」
いわゆる京都しぐさのわからない人間でもわかる。袴姿のこの男は東雲祥貴のことを快く思っていない。
昨日今日と会話を交わすうちに東雲と邑神の関係性をなんとなく感じ取っていた藤田は、邑神がこの男に激怒するのではないかと思ったのだが、実際はそうならなかった。
「『ウカノミタマノカミ』に対するその態度、処分される可能性を考えた上での発言なんやろうな?」
袴姿の男のさらに後ろから、老齢の男の声がした。西宮よりも少し背が高いくらいの男は白髪混じりの頭髪を後ろでひとつにまとめていた。その男も袴姿であり、この神社の関係者であることが察せられた。
声よりも少し若く見える顔つきの男は東雲に対して恭しく一礼をしたのち、邑神の方へ目を向ける。
「東雲さん、有奇さん、申し訳ない。まだ、神の身姿というものを実感できない者たちが多い……」
男の畏まった動きに、東雲への嫌悪をあらわにしていた若者は不満を隠さない。腕組みをして苛立たしげに貧乏ゆすりをしていた。
「実感もなんもありませんわ。東雲さんは人間にしか見えへんやん。ちょっとマジックができるだけの人間やろ」
「
「親父は関係あらへんやろ、
ふたりの男の口論が盛り上がりの頂点に達しそうになったとき、観光客の喧騒にも負けない麗しく芯の通った声が彼らの会話を断絶する。
「邑井さん!
荒れ狂う海を一刀両断する男の――否、神の一声。身振り手振りで芝居掛かって声を上げる東雲祥貴の放つ圧倒的存在感に男たちも流石に口論をやめてしまい、若者の方は東雲をひと睨みすると立ち去っていった。
若者の後ろ姿を見送ったのち、邑井が再び東雲に頭を下げる。
「お見苦しいところを……寛大な御心に感謝申し上げます」
「邑井さん、あなたは何も悪くない。勿論、彼――邑田くんもね。ただ、お客人の目の前であるというところには配慮してほしかったかな」
東雲に言われて初めて邑井は藤田たちに気づいたのか、気づいていたがわざと眼中に入れていなかったのか、そのどちらなのか誰も判断することはできない。しかし邑井は藤田たちとようやく目を合わせてもう一度頭を下げる。
「皆様方も大変失礼いたしました……有奇さん、こちらの方々は?」
「龍穴研究開発から派遣される警備員ですよ。今後、東雲祥貴の護衛をお願いすることになる黄前葵さんと藤田幸さんです。こちらはふたりの責任者の西宮真尋さん――西宮研究室の室長でもあります」
「なるほど、昨日の会議で議題になっていた件のミーティングをされていた、と」
「そうです。これで研究所のお偉い方は黙ってくれるでしょう。仮にも研究所側の人間を警護につけるわけですから……」
「有奇さん、それは……西宮さんの目の前で話してもええことですか?」
研究所を臭いもの扱いするような物の言い方に邑井は額に汗をかきながら邑神に尋ねる。
「ああ――西宮さんは『こちら側』の人間ですよ」
邑神は再び、悪い企みをしているような笑顔で邑井を見ていた。
紫炎 AZUMA Tomo @tomo_azuma
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