龍穴の実存・9

「龍穴を体内に溜め込むことが可能となれば、次に人間は何を考えると思う」

 邑神は目を伏せたまま、組み合わせた手で額を支えていた。

 藤田のような境遇の子どもを増やしたくないという男の発言から色々と思考を巡らせることは可能だったが、当事者の藤田自身はその問いに答えられなかった。

 何が正常で何が異常なのか、もはや判断がつかない。藤田の生涯はそれほどに研究所と密接だった。

「……兵器、ですかね」

 今度は黄前が苦々しく口にする。その発言に驚いたのは藤田だけだった。

「は……? 隊長、何を、言って……だって龍穴保存のために実験をしているんじゃないんすか、俺たちは!」

「保存したエネルギーを何に利用するんだ。勿論、生活は今以上に豊かになるだろう。だが、俺たちの生活は現状でも十分に、おそらく昔よりも安定してエネルギーが供給されている。この災害大国の日本でずっと問題となっていたエネルギーの安定供給が既に解決されたんだ。では、何に応用するのか――龍穴の活用は非核三原則には含まれない――研究所が人間兵器を開発してると言われても、俺は不思議には思わない」

 黄前の過激な発言を誰も止めはしない。西宮は力のこもっていた手をストンと膝の上に落とすと、曖昧な笑みを浮かべる。

「……ま、そのエネルギーの保存――つまり龍穴の保存を達成しないと実現せえへん話やけど、ね」

「……室長は、隊長が言うことを否定しないんですね」

「……否定できない、というところやね。Vプランは龍穴を地から離して保存することを目的としている。それは被験者であるVくん――藤田幸の身柄を守るためでもあった、って言っても信用してもらえへんかな」

 藤田が西宮を信用するしないという問題ではなかった。単純に己の知らない情報をごまんと出されて混乱していた。その上に黄前の人間兵器発言。余計に思考を混沌とさせる要因となっていた。

「では藤田くん、こう考えてみてはどうだろう」

 東雲が口を開いたかと思えば先程まで湛えていた微笑みを一切排した面立ちでこちらをじっと見据える。人が考えうる限りの美しい顔が無表情で自分を見つめてくるのが、藤田にとっては気味が悪かった。

「――ここに名のわからない紫色に咲く花がある。人はこれを大変魅力的に思った。しかし、花の命はすぐに尽きてしまう……では人間はどうするか。その花が種になったらそれを植えて育てるだろう。だが、新たに咲く花が紫色をしているか確証はない。しかも他の人間もその紫色の花を欲しいと言い始めた。そうなれば単純に数を増やそうとするよね。しかし種子をいくら植えようと同じ花が咲く保証はない。そしてそのとき、ある人間が言うだろうね……我々にはクローン技術があるだろう、と」

 流れるような語り口調の最後に発された言葉に怖気が走った。全身の毛が逆立つ感覚がして、胃が気持ち悪くなってきた。紫色の花とはつまるところ、藤田のことだ。

「……俺のコピー人間が、生まれると」

「最悪のケースだが、有り得るだろうね。しかも、君の遺伝子のどの部分かわからないが……龍穴の操作にまつわる部分だけを抽出されたような歪な存在が生まれる可能性だってある。龍穴を人間以外の容器に保存できないなら人間自身を容器にしてしまおうと考えるのはごく自然の理屈ではある……そうは思わないかい?」

 にこりとも笑わない東雲の灰色の瞳は曇天の色だと気づいた。豊穣をもたらすための雨雲は人命に牙を剥いてくることだってある。

 ――そうだ、こいつは神を名乗る男だった。人を物として扱うような言葉が出てきても何らおかしくはない。

「だが、Vプランは仮にも龍穴を地から、人の手から離して保存しようとする試みだ。それが成功すれば、君の尊厳が守られる期間も自ずと延長されるだろう――少なくともしばらくの間『処分』にはならないだろうね。君がエネルギーの運び手として役割を得ることとなるわけだから」

「あまり、状況が変化しているように感じられませんが……」

「――どうして道徳や倫理なんて言葉が生まれたと思う?」

 東雲の言葉が腑に落ちていない藤田の言葉を遮って、黄前が言う。黄前がどこを見つめているのか定かではなかったが、藤田でも他の誰でもない何も空間に視線を向けているのだけはわかった。

「……いきなり何の話ですか」

「昔、俺が言われた言葉だ。人間はそれ自体が非力でも対象を侮った瞬間から己の力に溺れ、暴走してしまう。そうならないために人間は道徳心や倫理観なんて言葉を生み出した。暴走は破滅に繋がるからな――心がなさそうな科学者連中でもできるなら人の理から外れる行いはしたくないはずだ。だから、実験を成功させることができればしばらくはお前の存在が保証される……ということだと思う」

「そこまで言っておいて、なんだか曖昧……」

「……すまない、お前に言ってやれる言葉が、少し思い当たらなかった……が、少なくとも研究所の全員がお前の『処分』を望んでいるわけじゃない。だから今、俺たちはここにいる」

 どこかを見つめていた視線は西宮の方へ向けられた。その視線を辿って藤田も女を見る。自嘲気味の表情で視線を自分の手元に落としていた。西宮は紛れもなく研究所の職員だが、東雲と邑神を頼ってここへ来たと言っていた。

「さて。では具体的に僕たちが君たちをどのように保護するのかという話だが、僕の護衛としてしばらくここで働く……というよりも訓練をしてもらおうかと思う」

 東雲は再び楽しそうに身振り手振りで笑顔を振り撒き出した。無表情の東雲と表現豊かな東雲、一体どちらが本当の姿なのか藤田にはわからなかった。

「訓練ですか」と黄前。

「君たちは配置としては警備部門の人間だっただろう。開示されたVプランの情報を精査した結果として、こちらへ警備として派遣してもらおうという魂胆だよ。藤田くんには警備期間中――場合によっては無期限になるかもしれないが、その間に他の神子と共に龍穴操作の訓練をしてもらう。黄前くんはどうやら刀使いのようだし、こちらにも刀の心得がある人間はいるからね。その人物と鍛錬を重ねてほしい」

「勿論、神子の存在は口外厳禁だ。神子の存在をはっきりと知っているのは当事者と直系の一部のみ……神子の情報が流れれば、研究所は血眼で適合者を探すだろうからな――それは避けたい」

 邑神はメガネを掛け直すと研究所から訪ねてきた三人を見回しながら、固い表情をしていた。

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