龍穴の実存・8
黄前は何も言わずにすっと立ち上がると、腰に携えていた刀をいきなり抜いた。
「貴様……!」
「待ってくれ、有奇くん。彼に攻撃の意思はないよ」
邑神が怒鳴り声を上げて東雲を庇うように立ち上がるが、当の東雲は制止する。黄前も小さく頷き、邑神の前に跪いて抜き身の刀を差し出した。
「邑神さん――これを見てほしい」
通常、抜き身の刀を人に触らせる行為は危険すぎる。そのため日本刀の受け渡しでは必ず鞘に収めた状態か、何かしらの布で巻いている状態にするのだが、それでも黄前は抜き身の刀を触らせようとする。
邑神は眉を顰めながら、その刀をまずはじっくりと観察し、何かに気づいたのかハッと目を見開き、刀身へ素手で触れた。柄を持ちながら刀身全体を再びゆっくりと観察する。
「刃が……こんな状態では物を切ることなどできない……模造刀?」
「少し、違う。だが、この刀が、俺がここに同席している理由だとも思う――そうだろう、室長」
黄前の言葉に西宮は頷く。またも苦々しい表情だ。
「黄前くんは元々、私が助手を務めていた研究室で研究協力をしてくれていた巫子のひとりでした。その研究室でもVプランと似たような目的で――つまり龍穴を地から分離し、別の形で保存するということを目的に実験を繰り返していた。その最中で生まれたのがこの刀です」
「この刀は俺にしか扱えない。人が持てば
黄前がそう聞くと、邑神は刀を持ち主に返しながらこくりとひとつ頷く。黄前は社務所のデスクの上に置いてあった田植祭のチラシを一枚摘み上げ、刃を天井に向けた刀の上へ滑らせる。すると、僅かな自重のみでチラシが一刀両断された。
「なんと……切れ味が鋭いねえ」
「……刃はないも同然だったぞ……どういう理屈だ……」
当然驚きを隠せない東雲と邑神に黄前は無表情だ。
「原理上巫子の適性があれば扱える……とは思う。だが、現状俺以外にこの刀を使える巫子はいません」
「その刀は龍穴保存の実験の最中に生まれたものとお伝えしましたが、この目的はVプランと極めて酷似している――そのため、Vプランにこの研究を併合する形で黄前くんとVくんの身柄を私が預かることになりました。でもそれもただの時間稼ぎにすぎない。結果が出なければ研究は棄却される……ある程度形のできている刀は生き残れても、本来のVプランがどうなるか、私には……」
「だが、財団がVプランに目をつけたことで、藤田くんの処遇は大きく変わるだろうね」
悲嘆に暮れている西宮とは対照的に明るく楽しい声が社務所内に響く。
「さて、ここからは機密事項をお話しすることになる。場合によってはあなたがたの命が――どんな手段かわからないけど――奪われることになるかもしれない、とだけ脅し文句を付け加えておこうか」
「おい、法に触れるな」と邑神が小言を言うが東雲は気にしない。
「ふふ……君たちは……特に藤田くんは研究所にいればいずれにしても『処分』される運命にある。であるなら……財団に保護される道を選ぶのはどうかな?」
「保護……?」
藤田が言葉を繰り返す。東雲が何を意図しているのかがわからない。それを見た邑神がまたも溜め息を吐き出しながら、メガネのブリッジを押し上げて口を開く。
「藤田幸――お前と似た事例を我々は既に何例も観測している」
「は……?」
――俺と似た事例、つまり体内へ龍穴を溜め込むことができる体質の人間が自分以外にも居る?
今まで、この体質のために色々なことを諦めてきた、つもりだった。それは自分が他と『違う』人間だから仕方ないと思ってきたから、諦めてこれたのに。
「どうして、財団は……」
何を言えばいいのかわからなかった。とにかく今は混乱していることは確かだった。
邑神という男は悲しそうな顔で――それが哀れみの感情だと一瞬で理解した――俺を見ていた。
「何例も観測している、とは言うが、実際は龍穴を溜めることが可能な人物を見つけること自体がいくつか条件が重なっていないと難しい。まず、大前提としてその体質を有していること。次に本人の周囲がある程度の信仰心を有していること――これは龍穴を溜め込めるだけの環境が整っているというふうにも言い換えられる。そしてこのふたつが揃った上で、財団側がその人物に素質があると見出せることができれば『ミコ』……この場合、
「本人の周囲が信仰心を有している、という部分が腑に落ちないのですが、どういう意味ですか」
未だ上手く言葉にできない俺の代わりに……いや、そうではない。隊長は単純に疑問に思ったことを率直に口に出す人間だ。
「初宮や七五三といった行事を経験したことは?」
「記憶にはない……が、探せば写真はあるかもしれない」
「藤田幸、お前はどうだ?」
邑神が再び悲しそうな顔でこちらを見ていた。その表情にどう応えればいいのか、わからない。しかし質問にも曖昧に答えるしかできない。
「……初宮はわからないです、七五三は……その……」
「そうだな、すまない――少々、心ない質問だったかもしれない。周囲の人間が信仰心を有していれば、それらの行事をこなすだけの環境が備わっているということになる。そしてそれらのふたつの祈祷の際に財団側の人間が子どもに能力があると判断すれば、彼らにある種の祈祷を授け、保護することがある。それは研究所から神子という存在を隠すための措置だ」
「どうして財団側はその……俺のような『神子』を隠したがるんですか」
「……お前さんのような境遇の子どもを増やしたくないからだよ」
邑神はメガネを外しながら、目を伏せた。
哀れみだけではない、悔しさがその男の全身から滲み出ている。
そして気づく。俺は網の目から取りこぼされてしまった、哀れな被験体だったのだと。
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