龍穴の実存・6
邑神に導かれるまま社務所の中へ入ると男の言葉の通り、確かに東雲祥貴はそこにいた。
秋の実りを感じさせる美しい金髪に指を添え、雨水をもたらす雲のような色をした瞳は社務所のなんでもない蛍光灯の光を特別なものに感じさせるほど煌びやかに反射させていた。客用のソファに足を組んで座っていた男は藤田たちの姿を見るなり立ち上がって、嬉しそうな笑顔で歩み寄ってくる。黄前よりも背の高い男は珍しい。社務所の天井が低く思えるほどだ。そして男は藤田たちの目の前に手を差し出してくる。
「やあ、昨日ぶりだね! やっぱり僕の勘は正しかったというべきかな。黄前くんに、藤田くん! そして西宮さんもまたお会いできて嬉しいよ」
東雲が何について言及しているのか、そもそも本宮へ呼び出しを食らった理由すら聞かされていない藤田には何もかもわからない状態だったが、ひとまず歓迎はされていることがわかって安堵した。
「おはようございます、お世話になります」
西宮が今までに見たことのないくらいのとびきりの笑顔で東雲の握手に応える。やはり室長も女だったか、と一瞬邪推が過ぎるが、この東雲祥貴という男を目の前にすれば男でも女でも誰でも笑顔にはなるだろう。それくらいにこの男は美しい。そう評価せざるを得ない。
西宮、顔色ひとつ変えない黄前がそれぞれ握手をし、次に藤田が手を差し出す。
そして指先が触れ合った瞬間に感じる熱。これは紛れもなく龍穴の感覚だ。皮膚を透かして内側に溶け込むエネルギーをこの男は全身に迸らせている。少なくとも藤田はそう感じた。
「あっ……?」
握手をしながら挨拶をしようとしていたはずなのに、その衝撃に言葉を失う。こんな人間には今まで出会ったことがない。やはり、東雲祥貴という男は紛れもなくウカノミタマノカミなのか。
「おや……どうしたんだい?」
極上の笑顔とはこのことだろう。気遣わしげな美しい微笑みが嫌味にならない程度にこちらを見つめる。顔だけ見れば女なのか男なのかわからない。それが余計に藤田を混乱させる。
「えっと、いや……お世話に、なります……?」
「それはこちらのセリフだよ、藤田くん!」
目の前にいるのに声が通るためやたらと声量が大きく感じてしまう。東雲祥貴の龍穴と容姿と勢いに圧倒されながら藤田は「はあ……?」と声を漏らした。
「あれ……藤田くんは何も聞いていないのかな?」
「ここに来いと言われただけで内容までは……」
「おや、それはそれは……西宮さんも悪いお人だ」
イタズラっぽい笑みが西宮へ向けられる。西宮は西宮で苦しそうな笑顔を浮かべていた。
「人聞きが悪いですよ、東雲さん……情報漏洩を極力防ごうとしたまでのことです」
「そう言われてしまうと、僕も反論の余地がないなあ」
コホン、とお手本通りの咳払いが藤田たちの後ろから響く。
「今から説明をするから全員席についてもらえるか。西宮真尋、あなたはそちらへ」
邑神の言葉と共にピッと電子音が鳴り、社務所の照明が落ち、同時に壁にプロジェクターの光が眩しく映し出される。男の指示通りに西宮は邑神、東雲の隣に座り、相対する形で黄前と藤田もソファへ腰を掛けた。
プロジェクターから投影されたのは宇迦乃御魂神解放戦線が作成したと思われる映像だった。
『我々、宇迦乃御魂神解放戦線はウカノミタマノカミと思しき人物の解放を要求する。期限は一週間後の六月十日とし、十日午前零時までに解放を認められない場合は武力行使も辞さない』
ウカノミタマ――東雲祥貴を期限までに解放せよという新しい声明映像だったが、この動画が拡散された様子はない。藤田が今朝いつも通りに出勤の準備をしている段階ではそのような情報を見聞きすることはなかった。
「――この映像、どこで?」
黄前も同じことを考えていたらしい。疑問をすぐに口に出してくれる上司で助かったと思う。隣に座る黄前は手を組み合わせてそこに顎を乗せていた。あれほど顔色を変えない男なのに険しい顔つきになっている。
「この映像自体は動画投稿サイトに投稿されていたものだ。警察のサイバー課をすぐに動かしたため動画の拡散には至らなかったがな……よりにもよって田植祭の日に設定してくるのは……嫌がらせか、こいつら……」
「神のいない場所で神事をさせるっていうのは、なかなか皮肉だよねえ」
「誘拐される気でいるのか、お前は……」
呑気な東雲の言葉に邑神が溜め息をつきながら頭を抱えている。
ウカノミタマとは豊穣の神だ。毎年六月十日は田植祭という豊穣を願う神事が行われる。いわば初夏のメインの祭だ。毎日のように観光客を受け入れて忙しい総本宮だが、今の時期は田植祭の準備も加わり特に忙しいに違いない。
しかしそんな忙しい総本宮は宇迦乃御魂神解放戦線なる不思議な武装集団から脅迫を受けており、財団側としては猫の手も借りたい状態なのだろう。
「動画の投稿主の特定はやはりできていないのでしょうか」
「当然のように海外サーバーを経由していてね、国内からの投稿だとは思うんだけど……特定には至っていない。だから事件を起こされる前に逮捕するというのが難しいんだ。昔なら銃刀法なんていう法律もあってパクることができたんだけどねえ……今は君のように帯刀していても僕のように銃を装備していても、それだけでは引っ張っていけない」
東雲は己の右足に装備している銃に手を添える。
龍穴の活用が始まって十数年の間、それらの恵に預かろうとする者たちに神聖な場が踏み荒らされる歴史ができた。その闘争に巻き込まれた人々は己の身を守るために武器を手に取るしかなくなるほど、警察という組織が機能しなかった時期があったのだ。
「ですが大量の銃火器の所持は認められていません。検問をするなりなんなり、どうにかなるのでは」
「非現実的だな。勿論、検問は実施するがゲリラ的に潜られてしまえば難しいだろう」
「真夜中に神社をうろつく人間なんて怪しい奴らに決まっている。全員引っ張っていけるでしょう」
黄前の強硬な姿勢に邑神は呆気に取られ、東雲はおかしくて仕方ないのか大きな声で笑い出した。
「アッ、ハッ、ハッ……君、黄前くん、本当に君は……くっ、くっ……面白い。僕もね、そういう奴らは怪しいと、そう思うよ、アハハッ!」
「笑いすぎだ、東雲祥貴……」
諌める邑神に対して東雲はやっと笑い声を引っ込めて、笑いすぎてこぼれ落ちそうになっていた涙を指先で拭った。
「いや、すまない……黄前くん、どうか気を悪くしないでおくれ。僕も君の意見には同意だよ。この山は財団と研究所の私有地だから不法侵入で警察に引き渡すことは可能だと思う……しかしこの山のどこかに分散して隠れてしまえば、見つけることは難しいだろうね」
「じゃあ、逆に東雲さんがどこか別の場所へ……京都府外ならどこでもいいと思うんですけど……どこかへ行ってしまえば奴らの論理は破綻するじゃないですか。軟禁されているとかどうとかっていう。それを生配信か何かして奴らの主張を否定してしまえばすべて解決するんじゃないですか。東雲さんと総本宮を襲撃する理由は無くなりますよね?」
藤田は財団が未だに東雲の軟禁を公に否定していないことに気づき、指摘する。しかしその意見に対して邑神は真っ黒な瞳を伏せて首を左右に振った。
「いや……それは意味がないんだ」
「理由を伺っても?」
黄前が追及する。黄前も藤田と同じ疑問を抱いていたのだろう。
邑神から「はあ……」と大きな溜め息が吐き出される。呆れというよりも怒りの表情だ。重い瞼に伏せられていた真っ黒な瞳はすうっと藤田と黄前の両者を捉え、心の底を見透かすような強い眼差しへ変化していた。そしてその眼差しは、この怒りは、自分に向けられているものではなく、意味不明な主張を繰り返す団体への怒りだということに気づいた。
「これはどの宗教にも通ずる事象なんだが……例えば仏教の仏舎利、例えばキリスト教の聖槍……仏、神、聖人の骨やそれにまつわる遺物は祀り上げられる傾向にある。現代に神が実際に生き、その神が死んだとしても、その遺体には信仰が宿ることになる――という推測を立てることは自然だろう。つまり東雲祥貴がどこへ行こうが、生きていようが死んでいようが奴らには関係ない。東雲祥貴をウカノミタマとして世間に認知させ、東雲祥貴の肉体を奪うことができれば、龍穴を――信仰を奪い取ることが可能なんだ」
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