龍穴の実存・5
嵐のような人だった。いや神様だった。
藤田は三人の背中を見送り、ベンチに座り直す。道場から避難させていたボトルの水を口に含もうとしたとき。
「宇以とかいう子ども……」
黄前が気難しい顔で腕組みをしていた。まん丸の目は地面を見つめている。藤田はあの無邪気な赤袴の子どもを思い出しながら自然と笑みが溢れるのを感じた。
「宇以くん、賢そうで面倒見るの大変そうでしたよねえ」
「いや、そうじゃない。あの子どもは『戻って』きたと言ってただろう。スプリンクラー騒ぎのときに道場にいたということになるが……あんな子ども、あの中にいたか?」
確かにあの容姿の子どもはかなり目立つが、あの騒ぎの中でたくさんの大人たちが入り乱れていた。いなかったと断言することはできないがいたとも言い切れない。黄前の神経質な部分が出たと思った。妙な部分で凝り性というか疑り深い。正直、面倒臭い。
「ええ……そんなこといちいち覚えてないっすよ……」
「……まあ、それもそうか」
黄前はそうは言うものの、納得のいかない顔で地面を見つめ続けていた。
翌日の持ち回りは午前中は施設警備の予定だった。しかし、勤務前の早朝に警備部長から連絡が入り、藤田の勤務内容の変更が知らされる。
午前十時を少し過ぎたあたり。
藤田は隊長の黄前と共に大きな赤い鳥居を目の前にしていた。
本日も快晴。旅行日和ということで鳥居の周りは日本人外国人問わず様々な観光客で満ち溢れていた。
「相変わらず賑わってんなあ……」
「これが龍穴の源だから、賑わっているに越したことはないが……」
それにしても人が多すぎる。京都市のオーバーツーリズムは未だ解消されていない問題であった。だが、人が集まらなければ龍穴の供給も見込めなくなる。京都市財政は数ある龍穴のおかげで多少改善されたものの、財政とオーバーツーリズムの間で市議会は板挟みになっている。
この人混みからなるべく早く抜け出したいが、もうひとり待ち合わせている人物がいた。
「うわあ、人多すぎるてえ! Vくん助けてぇ!」
日本人女性の平均身長ほどの背丈であれば様々な体格の人間が混在する人混みに揉まれてしまうのも当然かもしれない。名前を呼ばれた藤田は参道の遠くの方から白衣を身に纏った女が人波に抗おうとする姿を目撃した。待ち合わせていた人物とは西宮研究室の室長・西宮真尋だ。
やっとの思いでふたりの元へ辿り着いた西宮は既に額に汗をかいている。爽やかな午前であるのに、西宮にとっては十分すぎるほどの運動になったようだ。
「室長、遅いっすよお」
「ごめんて……十時ちょうどに着く電車に乗ったらええかなと思って……駅に着いたら人間いっぱいおるし、動けへんし……」
「待ち合わせが十時なのに十時ちょうどに着く電車に乗る方がおかしいでしょう」
黄前が一刀両断する。正論パンチというやつだ。西宮も黄前の言葉に反論できず「ごめんって……」と再び謝ることしかできない。しょぼくれる西宮と顔色ひとつ変えない黄前を見兼ねて、藤田が「まあまあ」と割って入る。
「先方を待たせてますし、行きましょう、ね。隊長、室長」
稲荷山には観光客に大人気の千本鳥居の他にも様々に参拝場所があるが、藤田たちは観光目的でこの地を訪れたわけではない。人の流れから少し逸れて、本殿近くの社務所へ向かう。
社務所の前には既にメガネをかけた灰色の髪の男――邑神有奇が三人を迎えるために立っていた。
「邑神さん、すんません、遅れてしまって……」
西宮が先頭に立ち、邑神に声を掛ける。ふたりが既に顔を知っている仲だということに藤田は内心驚くが、特に何も言わずに見守っていた。
「いえ、こちらこそ……どうにも観光客が途切れず。そんな中、ご足労いただき感謝します」
昨日の大慌てしていた男と同一人物と思えないほど静かで大人な対応に藤田はまた驚く。この姿が普段の邑神の姿なのかもしれない。
「おふたりも昨日はうちの者が世話になりました。感謝申し上げます」
微笑みながら軽く会釈をする邑神に合わせ、藤田もつられて頭を下げる。
「いやいや、面白いお話を聞かせてもらえたので、こちらこそ」
「今日は東雲さんと宇以くんはいらっしゃらないんですか」
藤田が会釈をしている隣から飛び出してきた言葉に冷や汗をかいた。また隊長が余計なことを言っている、気がする。下げた頭を上げるのが少し怖かったが頭を下げ続けるのも妙であるため恐る恐る姿勢を元へ戻す。邑神の顔から微笑みが消え失せて無表情になっている。怒っているのか、何を考えているのかわからない。しかし隣の黄前も同じく無表情で邑神を見ていた。どちらも一歩も引かないといった様子だ。
観光客が発する喧騒に満ちているはずの空間に、耳に痛い沈黙が流れている。
「――黄前くん、やめなさい。仮にも『ウカノミタマノカミ』とされる人物の所在を問うのは畏れ多いことと心得なさい」
室長が珍しく怒っている。西宮は藤田たちの前に立っているため表情を見ることはできないが、確実に怒っていることが背中から感じ取ることができた。この女室長は声を荒げたり、キレたりすることは日常茶飯事であるが、人に対して真に怒ることは少ない。
普段あまり見ることのない西宮の様子に流石の黄前も表情を苦いものに歪めて再び頭を下げた。
「……出過ぎたことを申し上げました。謝罪いたします。申し訳ない」
「邑神さん、私からも謝罪いたします。弊社の教育不足です。申し訳ありません」
ふたりが頭を下げているからには連帯責任と思い、藤田も再び頭を下げる。なんと不毛なことだろう。いや、社会とはこういうものか。
しかし、邑神からは意外な反応が返ってきた。
「謝罪は受け取ろう。だが……『あれ』がウカノミタマノカミだと突然言われれば、どこにいるのだと問いたくなるのも当然だと思う。しかも昨日直接会ってすらいるんだからな。しかし、そうだな……西宮真尋、あなたの言う通り『畏れ』を忘れてはならない。それが信仰の肝なんだ。信じる力というものは『畏れ』と『神秘』があればこそ強化される」
頭を上げると邑神はまるで自分に言い聞かせるように語っているのがわかった。邑神が語っている言葉は説教なんだろう。ウカノミタマを直に感じているはずの人間だからこそ、忘れてはいけないことを反芻しているのだ。
そして次に、邑神はまた微笑みを浮かべてこちらを見た。
「それに、実は今日もアイツ――東雲祥貴はここにいるんだよ」
邑神が視線を送ったのは男の背後に建っている社務所だった。
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