龍穴の実存・4
カランカラン、パタパタ。施設内であまり聞いたことのない音が藤田たちの座るベンチへ近づいてくる。なんの音だろうと思い藤田は東雲から視線を逸らして音のする方を見る。
「……子ども?」
音の正体は下駄の音だった。そこには真っ白な着物に真っ赤な袴を身につけたおおよそ五歳くらいの小さな人間の姿があった。時代錯誤な装いに、通常、大人しか存在しない場所に現れた幼い存在を見て、藤田は一瞬幻覚でも見ているのかと思い、目を何度も瞬かせる。しかし確かにそこに子どもの姿があった。真っ黒の前髪をぱっつんと切り揃えて、両耳の前に髪の毛を垂らしているが、後頭部はベリーショートで整えられている。なんとも奇抜な髪型だった。
藤田の声に反応して黄前と東雲も子どもの方を見る。東雲はその姿を確認するなり勢いよく立ち上がり、大股で子どものそばへ寄っていく。
「
宇以と呼ばれた子どもは東雲を見上げながらにこにこと笑っている。東雲の顔を見るために首を傾けた瞬間、太陽光に照らされていた黒髪が青や赤や紫に眩く輝いて光った。
「祥貴くん、怒らんといてやあ。
「怒っていないよ……驚いただけさ。ともかく合流できてよかった……」
「お子さん……ですか?」
東雲は年上には見えたが、そこまで年が離れているようにも思えなかったため、藤田は少々驚いた。もしかしたら自分の予想よりも年上なのかもしれない。
しかし、男はその質問に少し呆気にとられた顔をして、やがて声を上げて笑う。
「アハハッ……そう見えるかい?」
「いや、その……」
なんとも答えに窮する質問返しをされたと思った。どのように答えれば無難なのか藤田には判断がつかなかった。
「東雲さんのお子さんではないでしょう。言葉が違う」
黄前は特になんの感動もなく藤田と東雲の問いを一刀両断した。
そう指摘されるまで藤田は自分の中に抱えていた違和感に気づくことができなかった。確かに、この子どもは関西弁を話している。であれば、東雲に養育されているというのは考えにくい。しかも東雲の子であったとしても自身の子どもに対して「さん」付けで呼ぶ家庭は珍しいだろう。
「ご明察。僕の子ではないよ」
「……じゃあ、この子は一体……?」
藤田が当然の疑問を呈するとまたも足音が――今度は大人の走る音が聞こえてくる。
宇以がやってきた方向を見ると灰色の髪の、メガネをかけた男がまさしく大慌てといった様子でこちらへ走ってきていた。男は大きな声で叫びながら駆け寄ってくる。その声には少々の怒りが含まれているように聞こえた。
「東雲祥貴! そいつを離すな!」
「宇以さん、有奇くんとはぐれたというのは嘘なのかい?」
「いやな言い方せんといてよ。有奇くんがぼくから目ぇ離したのが悪いねん」
「……まったく……」
温厚そうな東雲だったが呆れ顔の見本というような表情を浮かべる。そしてそのまま子どもを抱え上げた。
「宇以さん、有奇くんから離れたらダメと言っただろう」
「だっておもんないねんもん。祥貴くんとおった方がおもろいこと起きそうやし」
「その『おもんない』ことが有奇くんにとって大事なお仕事なんだよ、君にとってもね」
男は子どもを抱えた状態で苦笑いを浮かべる。
化粧のせいだろうか。藤田には東雲がまるでお稲荷さんの遣い――つまり狐に似ていると思えた。
なんとも奇妙な光景を眺めている間にメガネの男が四人の元へやっと辿り着く。
「助かった、東雲祥貴――宇以、お前さんというやつは……!」
「いやや、いやや、有奇くんの小言なんか聞きたないわ!」
「小言くらい言わせろ……!」
宇以という子どもを取り囲む環境は少し特殊だと藤田は直感する。宇以は五歳ほどの見た目のわりに大人びた話し方をする。しかし行動は見た目の通り子どものように自由気ままで、それに東雲と『有奇』という男が振り回されているような形だ。
宇以は両耳を両手で塞いで『有奇』の言葉を聞くまいという姿勢をあらわにする。東雲はさらに苦く笑いながら宇以を『有奇』の腕の中へ引き渡した。
「この子は財団の傍系の子でね――直系の
「お前、色々ペラペラと話していないだろうな……」
橙色のアンダーリムメガネの下から真っ黒な瞳が疑わしげに東雲祥貴を睨みつけていた。
いくら財団の直系――つまり宮司とはいえ、己の奉っているウカノミタマノカミを睨みつけるなどということができるのだろうか。宮司だからこそ畏れ多いはずなのだが。
しかし東雲には邑神の睨みなど特に効いてもいない様子で、それまでの苦笑いをとんでもなく晴々とした爽やかな笑顔に変えて言う。
「そんな! 僕がウカノミタマだとか、京都で生まれたとか、育ちは関東だとか、それくらいのことさ! こちらのおふたり……そういえば名前を聞いていなかったね!」
邑神有奇はまさしくたった今、苦虫を噛み潰したような表情で東雲を凝視していた。
邑神という男は、宇以だけでなく、東雲祥貴にも振り回されている――藤田は自分の見解をそう改めざるを得なかった。
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