龍穴の実存・3

 ウカノミタマとされる男は映像で見るよりも実際に目の前で見る方がよっぽど容姿が目立つ男だった。ただでさえ芸術作品のように美しい顔立ちであるのに、目の周りを縁取る真っ赤なアイメイクまで施している。一度見れば誰の記憶にも残ってしまう、そんな人間だ。

 男は複数の研究者と役人らしき人間を引き連れて道場へやってくるなり、履いていた靴を脱ぎ、畳の中央まで歩みを進める。男が何をしたいのか予測のついてない周囲の人間たちは道場の出入り口でただただ男の行動を見守っていた。藤田と黄前も同様に何が繰り広げられるのかわからず、黙ってその様子を見ていた。

 男は畳の中央でくるりと振り返り、右手を目の前に力強く突き出す。すると男の目の前でぶわりと炎が生み出され、日本刀に変形した。

 ――昨日の映像で見たまんまじゃないか!

 藤田は鳥肌が立つのがわかった。やはりCGなどではない。男の力は本物なのだ。

「見込みのある人間がいるのなら、僕自身が手合わせをして見極めようじゃないか!」

 男は舞台役者のように芝居掛かった口調で、それはそれは大層に美しい笑顔で聴衆に宣言した。その瞬間だ。

 ジリリリリリリッ! けたたましいアラーム音と共に道場のスプリンクラーが作動する。

東雲祥貴しののめ・しょうき、何をしてるんだ、貴様ァ!」

 取り巻きのうちのひとり、灰色の髪の毛にメガネをかけた男が怒鳴り声を上げる。それを皮切りに道場は阿鼻叫喚。藤田と黄前も例に漏れず、スプリンクラーの餌食となり、全身がびしょ濡れになってしまった。


「いやあ、先程は申し訳ない……久しぶりに骨のある連中と手合わせできるかもしれないと思うとワクワクしてしまって……」

 道場の外にも休憩所が用意されており、藤田と黄前はそこに腰掛けていた。本日は快晴でそよぐ風がずぶ濡れになっているふたりの体温を徐々に下げている。運動するにも水を浴びるにも気持ちの良い日だ。そしてそのふたりとは対照的に目の前に立っている男――東雲祥貴は水滴のひとつすらついていなかった。これも男の能力によるものなのだろう。

「いえ、汗を流す手間が省けて感謝しております」

 黄前は顔色ひとつ変えることなく、東雲の謝罪を受け入れる。道場では職員たちが後片付けに追われていたがどこ吹く風といった様子で、自身のポニーテールを絞り続けている。

「そう言ってもらえると助かるよ……本当にすまない」

 東雲は先程までの堂々たる振る舞いから一変して真摯に謝罪を続けている。善良な人間なんだろうと藤田は感じた。そう、善良な「人間」だ。

 人智を超えた能力を目の前で見せられたが、藤田はこの男が自分と同じ人間なのではないかと感じる。しかし、道場にやってくるまでの研究者連中の会話から考えると、この男は件のウカノミタマであると断定されている。自分の感覚が間違っている可能性は十分にある。そもそも神話の登場人物である神々は人間くさいものなのだ――藤田はそう思い直し、その上で問いかける。

「あの……東雲さん?」

「どうしたんだい?」

 金髪が太陽光に輝き、青灰の目が煌めく。眩しくも爽やかな笑顔が藤田に向けられた。

「昨日話題になっていたウカノミタマノカミとはもしかしてあなたのことですか?」

「そうだね」

 こともなげに答えられ、藤田は言葉に詰まる。やはりこの男はウカノミタマなのだ。藤田は納得するしかなかった。しかし。

「いくつか質問、よろしいですか」

 髪の毛の水気を絞り終えた黄前が、またも顔色ひとつ変えずにまん丸の瞳を東雲へ向けた。

「勿論、答えられるものなら答えるよ」

 一方、東雲も爽やかな笑顔が揺らぐことなく、黄前の真っ直ぐな視線を受け止める。

「ひとつめですが……あなたには東雲祥貴という名とウカノミタマノカミというふたつの名があるようですね。これはどういうことですか」

「どういう、とは?」

「あなたは人間なのか、神なのか、どちらなのかという意味です」

「おや、いきなり核心を突く質問だね」

 黄前のまん丸の視線がじっと東雲祥貴を貫いている。男にも動揺はなく、美しい笑顔に変化はない。

「君たちにわかりやすく答えるなら、そうだな……人間として生を受けたが、僕自身はウカノミタマだったと言うべきだろうか」

「もう少し詳しくご教示いただけますか」

「ちょッ、隊長……やめとけって……」

 藤田は黄前の図々しいとも言うべき態度に慌てた。目の前にいる神の機嫌を損ねるのは恐ろしいことであるはずだ。なるべくなら穏便に済ませるべきだと思っているのに、黄前はずけずけと土足で神聖な領域に入ろうとしている。そのように見えた。

 しかし、東雲祥貴は首を振って笑顔のままだ。

「いやいや、疑問に思うのは当然だと思う。もう少し詳しく言えることは、人間の腹からウカノミタマが生まれたということだね。だから出生記録も存在すれば戸籍もある、というわけさ」

「あなたが生まれるまではウカノミタマは世に存在しなかった、と?」

「いや、ウカノミタマは代替わりをする――ウカノミタマに限った話ではないけどね。東雲祥貴が今世でウカノミタマという神格を授かったという形かな」

「ふたつめ、あなたは関西弁――特に京都の方言を使う人ではないようですが、出身はどちらですか」

「……出身は京都だよ?」

「宇迦乃御魂神解放戦線が主張する内容にはあなたが『軟禁状態』にあると。そうであれば京都から出ているはずがないのに、どうしてこの地域のイントネーションすら見当たらない話し方をしているんですか」

「なるほど、それは確かに妙な話だね」

 東雲は黄前の隣に腰を落ち着けると空を見上げた。まだまだ笑顔のままだ。

「君たちは稲荷の名を冠する神社が全国にいくつあるか知っているかな?」

「……いいえ」

「およそ三万だ」

「三万!」

 藤田はその数に驚きを隠せず言葉を繰り返す。東雲は悪戯に成功した子どものように楽しそうに笑った。

「ハハッ……ね、驚くだろう。稲荷、つまりウカノミタマ信仰というのは全国に普及している。豊穣を願うというのは普遍の思いだからね。信仰のあるところに神がある。勿論総本宮のあるこの伏見がもっとも僕の力を最大化できる場所ではあるが……だから軟禁状態だなんてのは彼らのついた嘘なんだよ」

「だが、それは答えになっていない」

 黄前の探究心は研究者気質だと思う。東雲という男が穏やかな男だったから藤田は安心してふたりの会話を聞いているものの、これが並の人間、否、並の神相手ならどうなっただろうと想像して肝を冷やした。

「そうだね、少し話が逸れたか……総本宮のある京都で僕は生まれたが、やがてウカノミタマとしての神格を見出される。これが公になればどうなる?」

「それって……! さっき隊長も言ってたじゃないですか」

「誘拐のリスクを回避した、と?」

「もう少し意地悪な言い方をするなら、財団は龍穴研究開発から僕の存在を隠したかった、ということかな。財団側はあくまでも神は神であるべきという考え方だからね。神秘性を暴くのを良しとしない。だから僕は幼いうちに関東の方へ移住させられたんだよ。稲荷信仰が全国にあるからできた荒技ではあるけどね――土着信仰の神ならこうはいかない」

「土着信仰の神ならどうなってるんですか?」

 この言い方ではまるで、東雲がウカノミタマだから軟禁状態を免れただけというようにしか聞こえない。藤田は眉を顰めて東雲を見る。しかし東雲はまたも、なんでもないように答える。

「そもそも、神格を見出される人間の方が少ないんだよ。土着信仰の神格を持つ人間が誕生したとしても、人間として普通に生を終えるだけだ」

 なんでもないように答えた、藤田はそう思ったが、空を見上げる青み掛かった灰色の瞳は儚い色を帯びているように見えた。

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