V《ヴィ》・2
激突の衝撃で身体の様々なところに打撲ができているのを痛みで感じる。藤田の体を中心として地面は大きく球状に抉れ、抉れた地面の端々から砂がさらさらと零れ落ちていた。その砂が鼻や唇に降り落ちてくるのが煩わしいのに、指先にすら力を込めることすら叶わず、自然のなすがまま、その煩わしさを受け入れるしかなかった。
俺はこんな目に遭っているのになんと穏やかな天気だろう。男は天高く存在する真っ青な空のその爽やかさが憎いと思った。
藤田はこういう惨状が身に降りかかるのがわかっていたため、なるべくならあの能力を展開することを避けたかった。この能力の出力を今回のように最大にしてしまうと、体の中に溜まっていたエネルギーが文字通り空っぽとなり、指ひとつ動かせない。あの女室長だってこうなることがわかっていたはずなのだ。マッドなのか、サイコパスなのか。藤田は未だにあの女室長の性格を掴みきれずにいる。
土を踏み締める複数の足音が山中に響いてきた。落下から十分も経っていない。今回は救出が早かったなあと安堵して嬉しいような、しかしどう足掻いても理不尽極まりない己の境遇を考えると手放しで喜ぶのも何か間違っているような気がして、藤田は眉を顰めることすらできない状態でただただ体を大の字にしていた。
「生きとるかあ、Vくん」
最初に大穴に影を落としたのは、白衣を羽織った黒髪ボブカットの女――
「よかったよかった。元気みたい。
どこをどう見たら元気だと思えたのか、その結論に思い至った思考回路を理解することができない。だが藤田は不満を覚えても口を開けない。それほど疲弊していた。
了解、という返事とともに男がひとり滑り下りてくる。右腕に簡易担架とロープを抱えて、長い茶髪を軽やかに靡かせている。藤田よりもやや背の高い男は左腕に緑色の警備腕章を着けていた(同様のものを藤田も身に着けている)。
黄前は慣れた手つきで簡易担架を広げると、藤田に大きな怪我がないことを確認し、ごろごろと転がすようにして担架の上へ藤田を乗せた。まるで物のように扱われている藤田だったがもはやそこに対する疑問はなく、隊長が迎えにきてくれたことに安堵した。西宮よりも黄前の方がよほど人間扱いをしてくれている。そして黄前の迎えは勤務終了の意味合いも大きかった。やっと休める。それが何よりも嬉しかった。
担架に乗せられた藤田は黄前の手によってくるくるとロープで縛り上げられる。
「……痛いところはないな?」
そこまで黙っていた黄前がゴーグルによって覆われた藤田の瞳を覗き込みながら聞く。藤田は口を開くことはできないが、辛うじて視線を動かしたり瞬きをすることはできた。藤田は同意の意味で何度か瞬きを繰り返す。
藤田の右目周りの痛々しい火傷痕を、黄前はもう見慣れてしまっている。藤田がとてつもなく疲労していることはわかったが、特に異常は見当たらないことを確認し、黄前は大穴の淵を見上げて声を上げた。
「川田ァ! いいぞ!」
黄前の合図と共に、担架がゆっくりと穴の淵へ向かって引き上げられていった。
古い時代では「マナ」や「龍穴」といったものは極めてスピリチュアルな非実在のものと考えられていた。
しかし現在。その存在は人類に発見され、火力や原子力などといった旧時代の発電方法を淘汰し、様々な動力として用いられるようになった。龍穴はエネルギー源であり、エネルギーそのものであった。それは「龍脈」によって各地へ運ばれ、人々の生活を支えている。
マナ及び龍穴の発見以来、世界中がその新たなエネルギー資源を求め、見つけ出した。
そしてその実在は秘匿されている。
「今回も見事に空っぽやねえ」
研究室の端に置かれた簡易ベッドの上に藤田は転がされていた。煙をぷかぷかと吐き出しながら、西宮はラップトップに表示された数値に笑っている。
笑いごとじゃねえぞ、この鬼。
藤田は心の中で毒づくが、表情を動かすこともできない今、何を思おうと彼女に伝わるわけもない。はずなのだが。
「Vくん、今いらんこと考えてたやろ」
強気な視線がラップトップの画面から藤田の方へ移される。男は両手首両足首に機器を装着されて龍穴の量を測定されている最中だった。
「目は口ほどに物を言う……私に何も悟られたくないんやったら、瞬きできへんようになるまで龍穴を使い切らんかったらあかんで。空っぽや言うても生命維持できる程度には龍穴が体の中に残ってるんやから」
「室長、Vに死ねと言っているのと同じ意味になりますが……ハラスメントですよ、それ」
西宮のあんまりな物言いに、批難がましい口調ではないものの抗議の声を上げる男がいた。藤田の直属の上司として一応苦言を呈したというところだろう。黄前は客用のソファに座り、藤田を眺めながらくつろいでいた。長い足を持て余しているのか、ソファは三人掛けであるはずなのにふたり分の幅を取っていた。真っ白で簡素なティーカップの中身をゆっくりと楽しんでいる。藤田は黄前の言葉に全力で同意したいところだったがそれもできない。
「ミントフレーバーの紅茶……いや、緑茶も混ざっていますよね、これ。うまいなあ、この季節にピッタリ」
「ちょっと! 私の自費で買ってるんやから、勝手に飲まんといてよ! グラム単価高いやつ!」
「室長と川田くんの分も淹れておきましたのでどうぞ飲んでください」
「こいつ……! どんだけマイペースやねん!」
マッドでもサイコパスでも、自分の高価な茶を他人に勝手に飲まれるのは腹が立つらしい。少々口調が荒々しくなっていた。西宮が苛立ちを募らせていると研究室の扉が勢いよく開き、人影がひとつ飛び込んでくる。
「室長、『発電室』をひとつ確保してきました」
助手の
「川田くん、おおきに。ほな、いつも通りVくんを抱えていってもらってええかな?」
「わかりました!」
川田は快活に返事をすると藤田に装着されていた機器を手際よく外し、また手慣れたように藤田の体を支えながら起こす。
「川田くん、俺も行った方が良いか?」
紅茶を楽しんでいた黄前だが、今回もまた一応といった形で声をかける。藤田がこのような事態に至るのは毎度のことでその度に川田に担がれて『発電室』まで運ばれるのだが、「一応」の言葉があるかないかで人間関係の円滑度合いが変わるのだ。黄前はマイペースな人間ではあるが、そういった気遣いはできる。
黄前の「一応」の言葉が功を奏している証拠に、川田はさっぱりとした短髪のまだまだ若々しさの残る顔に笑顔を浮かべて言うのだ。
「大丈夫です! 何かあればまたご相談しますので」
研究室の煙っぽさを一掃するほどの清風が川田から発せられるような気がして、その背中に抱えられている藤田も自分の疲労が少しだけ癒えた感覚がした。
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