人狼編

第2話 邂逅①

 帝国歴1890年


 絶え間なく雨が降り注ぐ中、ある森の中の道を馬車がひとつ進んでいた。

 先頭には馬が数頭、それらを従える屈強な用心棒たち、その背後にやたら大きな黒い荷台が続く。そして、荷台の扉は重厚な鋼鉄で作らており、その向こうにはボロ布で出来た粗末な服を纏う人間達が並んでいる。


 奴隷運搬車である。


 荷台の中では鉄柵越しに降り注ぐ雨音が、ただ無機質な暗闇に響いていた。冷たい床に奴隷たちが左右二列に並べられ、窮屈そうに身をかがめ座り込んでいる。彼らの目には一様に絶望の色がうつろい、運命を受け入れるしかないと悟っていた。


 ただ、様子の異なる者が一人……。


 よわい、十五か、十六。

 やけに上等な服を身に纏うその少年は、手首に巻き付けられた鉄の鎖を必死に引っ張り、何とか壊そうともがいていた。が、何度試みようと鎖はびくともせず、焦燥と苛立ちが顔に浮かび、少年はますます感情を抑えきれなくなっていた。


「……クソッ! こんなところで終わってたまるか……!」


 彼にとって、この現実を受け入れることはどうしても耐え難いものだった。


 少年の名をカイル・シルヴァスタイン。彼は帝都近郊の領地を治める貴族の嫡子だった。だが、家は貴族同士の権力争いに巻き込まれ、多額の借金を背負い、瞬く間に没落した。結果、かつては名家の誇りとされていたシルヴァスタイン家の名も今は色あせ、彼を含む一族全員が奴隷として売られるという非情な運命を辿ることとなった。


 奴隷運搬車に無理やり押し込まれる中、華奢で小汚い風貌の奴隷商人が吐いた不気味で甲高い声がカイルの耳にこびりついている。


「ヒヒッ、世間様じゃあ、お宅の家紋はボロクソに言われちょるが、オイラに取っちゃ何よりも金ピカに輝いとる。キヒッ、そんなかでも、にいちゃん。オマエが……一番いい値で売れたゾ。こんなの久々だで、ヒヒヒッ……」


 奴隷商人は最後に、ねじれた笑みを浮かべて「ヒヒッ、感謝、感謝」と囁きながら、荷台の重厚な扉を閉めた。その時、カイルはあまつさえ家紋を奪われただけでなく、自らの運命もまた商品として扱われている現実に激しい屈辱を覚えた。だが、同時にカイルの中には言いようの不安がとめどなく押し寄せていた。彼に高額の値がついたのは、貴族という出自と若さ、その恵まれた容姿が“歪んだ”嗜好を持つ資産家や有力貴族に目をつけられたからである。もちろん、奴隷になれば人権など存在せず、慰みものにされ生き地獄を味わうのも、人間的な扱いを受けるのも飼い主次第。彼に待っているのは、明らかに前者であった。


「嫌だ……」


 カイルは震える手を強く握りしめ、浅くなった呼吸を大きく息を吸って整える。しかし、内心では恐怖が胸を締め付け、頭の中で最悪の未来が浮かんでは消えていくのを感じていた。





 そうして、現在。周囲を見渡せば、他の奴隷たちが虚ろな目でカイルを見つめている。彼らもまた重い鎖で繋がれており、誰一人として逃げ出せる状況ではない。それでも、カイルは悪あがきだと知りつつ、なんとかしてこの鎖を壊そうと延々格闘していた。


「無駄だよ。そんなことしても」


 ダメ押しに正面に座る男が力なくつぶやいた。その言葉にカイルは激しい憤りを覚えつつも、何も言い返せなかった。事実、鎖は傷一つついていない。

 ……次第にまるで彼らから伝染するかのように、カイルの瞳にも抗えぬ絶望感と無力感が生じ始めていた。



 ――が


 その時だった。運搬車が大きく揺れたかと思うと、車両の前方から獣の唸り声と用心棒たちの悲鳴、そして馬のいななきが続けざまに響いた。


「なんだ……?」


 驚きと共にカイルは顔を上げ、反射的に体を強張らせた。周囲もざわつき始め、奴隷たちの表情に恐怖が広がる。


 次の瞬間、激しい衝撃音が運搬車を襲い、カイルの視界は暗転した――

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