〜夢の中で〜


 〜エーレは静かな森の中に立っていた。


辺りを見渡したながら、しばし呆然と立ち尽くした後、ゆっくりと歩き始めた。


少し歩くと、一気に森が開ける場所へ辿り着いた。


目の前には小さな湖畔があり、風に揺れる水面が、煌びやかに輝いていた。


対岸には一際大きな大樹があり、その根元に石造りの小さな神殿が建っていた。


特に何を思うでもなく、エーレはゆっくりとその神殿を目指した。


とても清らかな心地であった。


湖畔の淵に沿ってしばらく歩いていると、耳ではなく心の中に、何やら声が聞こえて来た。


声であることは確かなのだが、エーレには聞き覚えのない言語であり、いったい何を話しているのかは分からなかった。


分かった事は、どうやら『二つ』の『何か』が、言い争いをしているように感じた。


不意にエーレは、自らに迫りくる不穏なものを感じた。


先程までの清らかな心地は薄れてゆき、得体の知れない不安に包まれた。


 「急ぎなさい」


急に今までとはまた別の声が、鮮明に語りかけて来たのを合図に、エーレは神殿へと向かう足を少しずつ速めた。


その間も得体の知れない不安は、少しずつエーレの心の中に侵食していき、遂にはしっかりとした気配へと変わった。


気配を感じた方を見やると、森の中からいくつかの影が迫って来ていた。


その影とは正に『影』であり、それに実体が無い事を、エーレは直ぐに理解した。


瞬く間に不安は畏怖へと変わり、地面を蹴る足は、急激にその力を失っていった。


目指す神殿まであと少しという所で、遂にエーレの足は完全に力を失い、地面に両膝をついた。


地面に項垂れたエーレは、倒れ込む自身の背中に集まる無数の影を感じ取った。


その時、まるで身体から魂が抜け出したかの様に、辺りの様子が詳細に見渡せた。


そして、自身を取り囲むように、更に幾多の影達が森の中から現れるのが見えた。


「恐れるな」


いま一度鮮明な声が語りかけて来た折、魂が在るべき身体へと戻るが如く、エーレの視界にはただ湿った地面だけが広がった。


もはや首を持ち上げる気力さえ残っていないエーレの耳に、力強く駆け寄る蹄の音が近づいて来た。


何が起きているのかは全く分からなかった。


分からなかったのだが、耳には大地を蹴り上げる蹄の音だけが響き、背中に感じていた幾多の影が、少しずつ消えて行くのを感じていた。


畏怖は不安へと落ちつき、不安は清らかな心地へと昇華した。


辺りが完全に静まり返ると同時に、エーレは地面に突っ伏した。


しっとりと冷たい大地、湖畔を吹き抜ける風の音、エーレの心は壮大な安らぎに包まれていた。〜



その時、今度は聞き慣れた声が喋り掛けてきた。


「起きなさいエーレ」


エーレはベットの上で瞼を開けた。


「早く準備しなさい。

急いでミリアに帰るぞ」


父ヤニスの声に従い、虚ろな頭を小突きながら、エーレは急いで帰路の準備を進めた。

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ガイアと共に絶えず 三軒長屋 与太郎 @sangennagaya_yotaro

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