第11話

「もうっ、ケニーったらクエストに出るのが楽しみすぎて寝られなかっただなんて……ふふっ、まるで子供みたいね!」


 翌朝、完全なる寝不足の元げんなりしていたケニーは、彼を眠れない状況に追い込んだ張本人から「どうしたの?」と無邪気に尋ねられ、そう言い訳するしかなかった。

 本心では「お嬢様のせいです」と真正面からぶつけてやりたかったのだが、この無自覚なお嬢様にはなにを言っても伝わるのに時間がかかるだろう。朝から疲れているケニーは、そんな説明ひとつすら面倒になっていた。


 この宿はサービスが行き届きすぎているほどで、宿泊者には無料の朝食が振舞われていた。もちろん、追加でお金を出すことでもっと豪勢なものに変えることも出来る。しかし、疲れ切っているケニーは朝からごはんを食べる気にはなれなかった。


「俺はカファンコーヒーだけで良い」

 

 焼きたてのパンと温かい野菜のスープ。小さなサラダと、日替わりで卵か塩漬け肉をローストしたものか、腸詰肉がつく。持ってくるよ、と笑顔で駆け寄ってきたマリーに、ケニーはぞんざいに手を振る。


「あ、私は全部いただくわ」


 そう言いながら手を上げれば冷たい視線を返され、ベロニカはそーっと手を下ろす。


「こら、マリー! お客さんにそんな態度取っちゃダメだって言ってるだろ!」

「気にしてないから大丈夫よ」


 腰に手を当てて怒りを表すベラ――本当はイザベラというらしい――に、ベロニカは苦笑いを返す。子供のやることに目くじらを立てるほど、ベロニカは心が狭くはないのだ。


「子供だからって甘やかしちゃダメなんだ。客商売なんだからね」

「そういうもの、なのね」

「悪かったね、うちの子、前からケニーのことが好きでさ。だから、ケニーが連れてきた女の子が気に入らないんだよ」

「ママ!! よけいなこと言わないでっ! あっちのお客さん呼んでるよっ」


 ぐいぐいと別のテーブルにベラを押していくマリーの耳は赤い。


「あら、モテるわね、ケニー」

「ん? 俺?」

「あんな小さい子にまで好かれてるなんて」

「………………」


 昨日のギルドでのことも絡めてからかったつもりのベロニカに、ケニーは意地の悪い笑みを浮かべた。なによ、と少し身を引けばその分顔を寄せてくる。


「まだ嫉妬してるのか」

「はぁ?!」

「今日も、あっちこっちで声掛けられるかもしれないけど、いちいち怒るなよ?」

「なに言ってるの、あなた」


 嫉妬ってなに、と眉をひそめたベロニカの前に、朝食のプレートが運ばれてきた。

 皿の上にはフロマールチーズまで乗っている。他の人のものにはないそれを見てベラを見上げれば「うちの子が迷惑かけたお詫びに」とウィンクを返された。


「ありがとう」


 素直に受け取ったベロニカは、頭を押さえながらカファンコーヒーをちびちび飲んでいるケニーに、こんがりと焼かれた塩漬け肉を小さく切るとフォークに刺して突き出してきた。


「なにか食べないと動けないわよ」

「動けま――動ける。大丈夫だ」

「あとでおなかすいたって言っても知らないんだから」

「その時は、どこかでなにか食べればいいだろ」


 ケニーの言葉に、フォークを口にくわえたベロニカはきょとんとする。彼女にとっては食事の時間というのは毎日決まっているものであって、三度の食事とお茶の時間以外に軽食を口にするという文化はそれまでのベロニカの世界にはなかった。馬車で移動中はもよおしても滅多なところで止めるわけにもいかないので、食事や水分摂取は最低限だったのだ。好きな時間に好きなものを食べるということは、彼女の頭の中には微塵も存在しなかった。


「食べて、良いの?」

「誰に叱られるんだ?」

「誰も叱らないけど」

「じゃあ、良いんじゃないか?」


 そうね、と呟いたベロニカの口元は綻んでいる。昨日馬車が着いた時に見かけた屋台の食べ物や飲み物が気になっていたのだろう。いつもならばおかわりするところの量の朝食を食べ終えると、ベロニカは勢いよく立ち上がってケニーを引っ張った。


「さあ、行きましょう!」

「どこに」

「まずは武器屋って言ってたじゃない」

「こんな時間から空いてるわけないだろ」


 まだ、朝の時間帯。その手の店が開くのは昼の少し前だ。馬車移動で疲れているだろうからもう少し長い時間眠るのだろうと考えていたのに、あまりに楽しみすぎて早朝から目を覚ましてしまったベロニカによってケニーの想定していた今日の予定は全部台無しにされていた。どっちが子供なんだか、と思ったのは口にしないでおいたケニーは賢いと言えるだろう。


「え、じゃあ私はどうすればいいの?」

「店が開くまで、もうひと眠りしたら?」


 むしろ俺が寝たい、というのが見え見えなケニーに「そんなことしないわよ、もったいない」とベロニカは同意してくれない。


「ギルドは何時から開いてるの?」

「ギルドは、朝早くから開いてる。この時間ならもう――」

「じゃあ、先にクエストを選びましょう!」


 どんなクエストがあるのか見たい! とテンションの上がるベロニカを止めることを諦めたケニーは、一度部屋に戻るように言って今にでも駆け出していきそうな彼女の腕を引っ張って階段をのぼる。


「あのですね、お嬢様」


 部屋に入るなり、ベロニカをベッドに座らせたケニーは仁王立ちになる。


「これからは、全部自分で準備しなきゃいけないんです。今までみたいに、メイドたちがなにもかもやってくれるわけでも、従者が荷物を持ってくれるわけでも、あそこに行きたいって言ったら馬車が用意されるわけでもないんですよ。全部、自分でなにが必要か考えて用意しなきゃいけません。わかりますか? ただ防具を身に着けて武器を持って、それだけでクエストに出られるわけじゃない。ヒーラーがいれば体力回復用のポーションはそんなに多く持ってなくても良いかもしれないですが、魔力切れを起こされたら死活問題です。魔力回復用のポーションが必要になります。他にも、ライティングの魔法を使える者がいないのなら、暗い洞窟に入っていくクエストならカンテラなどが必要です。そこら辺、ちゃんと考えてます?」

「そんな一気に言わなくても」

「お嬢様、本当に全然わかっていませんね」


 甘い、と一刀両断にされたベロニカは眉を下げる。

 一応、冒険に出るのにあれこれと準備する必要があるのはわかっている。具体的になにが必要かは、店の主人やケニーに聞けばいいと思っていた。気が急いてしまったのは事実だけど、そこまで捲し立てられるようなことだろうか、とむくれそうになる。

 ――でも、ケニーは先輩冒険者として指導してくれてるだけなのよね。

 彼の言うことは間違っていないと反省したベロニカは、金庫に入れてあったポーチから余分な金貨と宝飾類を取り出し、収納魔法付きのポーチを腰につける。


「金庫の中にジュエリーボックスがあっても良いかもしれませんね」

「そうね、このまま剥き出して入れておくのもみっともないものね。部屋に飾っておくわけじゃないから、シンプルなデザインのものでいいわ。そういうのを売ってるお店もある?」

「女性が好むような小物を扱ってる店もありますよ。別に冒険者のためだけの町じゃないですからね。着替えだって全然持って来てないでしょう? 俺もですけど、ここでしばらく生活するのなら、そういうのも買っておいた方が良いですよね」

「だったら、そこも行きたいわ」

「わかりました。じゃあ、とりあえずギルドに行ってみましょうか」

 

 そう言うケニーも既に出掛ける準備は整っていて、精霊剣も腰に下げていた。


「それも持って行くの?」

「はい。宿に置きっぱなしよりも自分で持っている方が安全なので」

「目立たない?」


 一応伝説の剣のような扱いをされているものだ。見る人が見ればわかるのではないかとベロニカは思ったのだが。


「一応どこにでもあるような鞘に入れてあるんで、柄だけでわかるヤツはそんなに多くはいですよ、多分」

「確かに、その鞘って精霊剣と一緒に飾られてたのじゃないものね」


 これを持って行きなさい、とケニーに剣を押し付けた時、彼は揃いの装飾のされた鞘ではなく、どこからか今腰に下げているシンプルなものを持ってきた。サイズが合うのかと疑問に思ったベロニカだったが、ちゃんと剣に合わせて作られたもののようにピッタリ嵌っていた。


「あんな派手なの持ち歩くなんて、目立って絡まれてしょうがないじゃないですか。さ、準備できたなら行きますよ」

「待ってよケニー」


 階段をおりておくケニーの後ろを小走りについていくと、彼は主人に部屋の鍵を渡していた。


「じゃあ、ふたりが戻ってくるまでに部屋にベッドを運んでおくよ」

「ありがとう、助かる」

「それじゃ、いってらっしゃい」


 大柄で迫力のある身体とは不釣り合いにも思えるほどの愛らしい笑顔で手を振ってくれた主人に手を振り返す。挨拶のために後ろを見ていたベロニカは、ケニーが立ち止まっていたのに気付かずマトモにぶつかった。


「いったぁ!?」

「ロドリゴさん、ベッド、今あるのの反対側の壁にくっつけて設置しておいてくれると有難いんだけど」

「くっつけなくていいのか?」

「むしろくっつけないでくれ」


 意外そうな顔をしている主人、ロドリゴにそう返したケニーは、したたかにぶつけた鼻を押さえているベロニカを振り返らずに宿を出ていった。

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