第10話

 食事処に降りていけば「そっちの席」と忙しそうな女将さんに指示された。

 ベロニカたちのために空けられていたのは壁際で、大きな窓からは外を眺めることも出来る良い席だった。

 メニューは、ときょろきょろするベロニカの肩をつついたケニーは、カウンターの横に設置されているボードを指した。


「今日頼めるものはあそこに書いてある。あとは、こういうのを食べたいって言えば、作れそうなものも教えてくれる。どうする?」

「ええと、そうね」


 ボードに書かれている料理は、どんなものかわかるものとわからないものがある。それに、思っていたよりも注文できる料理の種類が多い。普段はお任せかコースで頼めば順番に出てくるので、こういう単品で頼むような店のやり方にベロニカは慣れていない。馬車移動中に町で食事を買うことが出来る場合でも、ほとんどは屋台で品数が少なかったから迷うこともなかった。

 どうしようかと思っていると、ケニーが助け船を出してくれた。


「ここのおすすめは、この野兎のスタフ《シチュー》。たっぷりの野菜と一緒にじっくり煮込んであるヤツ。ここの主人は下処理も丁寧だから、変な臭みやえぐみなんかもなくて食べやすいんじゃないかと思う」

「じゃあそれにするわ」

「ベラさん、こっちスタフ2つで」

「あいよ!」


 テーブルの間を歩き回って、注文を取ったり料理を運んだりとベラはとても忙しそうだ。厨房では主人が次々と料理をしているのだろう。小さなマリーも、カトラリーや籠に入ったパンやサラダなどを運ぶお手伝いをしていた。あら可愛い、と思いながら彼女の動きを眺めていると、マリーはカトラリーに続いて前菜の盛り合わせのようなものを持ってきた。


「それ、注文してないぞ」


 席を間違えたのかと思えば、彼女は「ケニーに」と言ってお皿をテーブルに置いた。


「これサービスだって、お父さんが」

「いいのか?」

「うん、ケニーいっぱい食べてね!」


 彼女はベロニカのことを一切見ようとしない。どうやら気に入らないものは無視することにしたらしい。しかもサービスはあくまでケニーへのものだからベロニカには食べるなとでも言いたげな態度である。

 子供のやることだ、とベロニカも気にしないでいると、ケニーが小皿に取り分けてくれた。


「ありがとう」

「こういうのがあるならベイルビールとか頼んでもいいけど、ニカはそんなの飲み慣れないもんな」

「お酒? そうね、今日はやめておくわ」


 薄切りの塩漬け肉や、小魚と野菜の酢漬け、フロマールチーズなどどれもなかなかの味だ。この店からすれば、かなり値の張るものばかりを乗せてくれているようにも見える。ベロニカの言葉遣いで金持ちの娘だと思われたのかもしれないし、帰ってきたケニーへのプレゼントにも思えた。

 重くて汁気のあるスタフの皿は女将のベラが運んできた。サービスに対する礼を言うと「パンは1回までならおかわりできるから、必要なら言っておくれ」と気持ちのいい笑顔を見せて別の接客に戻っていく。

 ケニーの言う通り、料理はとても美味しかった。中ランクの宿だとは言うけれど、この人の多さを見るに食事処としても人気の店のようだった。


「美味しかったわ、おなかいっぱい食べちゃった」


 満足しておなかを擦りながら自然と笑顔の零れてくるベロニカに、ふっ、と笑ってみせたケニーは窓の外を眺めた。夜の街は賑やかで、酔った人が楽しそうに肩を組んで歩いていく。ダンジョンで強敵を倒せたのか、それとも良いものでも見つけたのか、その服装や雰囲気は、懐が潤った冒険者のように見えた。


「じゃあ、明日はまず装備品を整えに行って、それから時間があるようだったら、なにかの採取クエストに出ても良いかもしれないな。薬草やらキノコなら、凶暴なモンスターも出ない森の入り口近くで採れる」

「自分じゃどういうものを選んだらいいかわからないから、助言してね」

「ああ、俺がニカに似合うものを見繕ってやるから、安心しろ」


 彼から偉そうな言葉遣いをされることにまだ慣れていないせいで、ちょっとだけドキっとしてしまう。にやりと笑う顔はいつもとそんなに変わらないのに、言葉一つで振り回されているように思えて、なんだか悔しくなるベロニカだった。



 部屋に戻り、使い方を指導してくれたケニーのおかげで、1人で無事に風呂を済ませたベロニカは久し振りのベッド――かなり固めではあったものの――に寝転がる。

 ケニーがお風呂に入っている間に、ベロニカはうとうとしてしまったようだ。気配に気付いて目を開けると、ケニーが掛け布団を整えてくれようとしていた。


「ああ、寝ていて良かったのに」

「ん、うん、ちゃんと寝る……」


 半分以上眠りそうになりながら自分から布団にもぐりこむと、ケニーは入り口近くの壁にもたれて目を閉じようとした。


「ケニー、本当にそこで寝るの?」


 ぼーっとしたまま尋ねるベロニカに


「ソファでもあれば良かったんですけどね」


 乗合馬車では地面に座って寝ていたのだから大丈夫だ、と言った彼は膝を抱えて頭を乗せる。


「せっかくベッドがあるのに?」

「お嬢様、それって誘ってます?」


 顔を上げた彼が、月明かりの中で意地悪く笑っているのがわかる。

 頭が眠っていたせいだ、と後になってベロニカは思う。その時のベロニカは、ベッドの端に身体を寄せて隣を軽く叩いたのだ。意味が分からないという顔をしているケニーに、真面目な顔で言う。


「駄目よ。今までずっとちゃんとした場所で寝られてないんだから。今日もそれじゃ、疲れが取れないままになるじゃない。ここで寝なさい」

「いや、冗談でしょう?」

「本気よ」


 狼狽えた様子を見せるケニーに、ベロニカは続ける。


「ほら、さっさといらっしゃい」

「俺、男ですよ」

「ケニーでしょ」

「いや――はい、行きますよ。ご命令ですからね」


 どれだけ抵抗したところで、ベロニカは轢かないと経験から察したのだろう。溜息混じりに嫌々やってきたケニーは、失礼します、と隣に身体を横たえ、ベロニカに背中を向けた。しかし、今にも落ちそうなくらいに端に寝ている。それでは駄目だとベロニカはケニーの腕をつついたり引っ張ったりしてみるが、彼は身動ぎ一つしない。


「もっとこっちに来なさいよ」

「大丈夫です」

「落ちるわよ」

「寝相は良いので、大丈夫です」


 頑ななケニーの背中を恨めし気に眺めていると「視線、気になって寝られないんですけど」との苦情が出る。


「だって、こっち来てくれないから」

「あのねえ、お嬢様」


 振り返ったケニーの眉間には深いしわが刻まれていた。


「そちらに寄れというのは、こういう意味なんですよ」


 ぐっと身体を寄せられ、思いがけない距離感に一気に目が覚めたベロニカは身体を逸らすことになる。あわや落ちそうになった身体は彼の腕で支えられていて、見ようによっては抱き寄せられるような格好になっていた。

 ダンス以外で、男性からこのような格好で抱き寄せられたことなどない。薄い寝間着では、必要以上に相手の体温を感じてしまう。


「ひゎっ!?」

「なんですか、その声。こうしろって言ったのはお嬢様じゃないですか」

「言ったけど、ここまで近いなんて」

「狭いベッドなので、仕方ないですね。さっきの位置も駄目、この距離も駄目だとなったら、やっぱり俺は床で寝るしかありません。はい、ではおやすみなさい、お嬢様」


 一息で言った彼はベッドから降りていこうとする。ベロニカはその腕を引き留めて「大丈夫」精一杯の強がりを口にした。


「馬車では、肩を寄せ合っていたんだもの。あの近さを考えたら、こんなの同じようなものじゃない」

「お嬢様、強がりはやめてください。手が震えてますよ」


 指摘されたベロニカは、キッと彼を睨みつける。緊張で小さく震えている手を押さえて、自分から彼に顔を寄せる。極端に近付いた顔にはさすがのケニーも驚いたように腕の力を抜き、身体を離した。


「ちょ、と寒いだけだってば」


 ずっと一緒に育ってきた相手に対して動揺してしまったことが悔しくてならないベロニカは、険しい顔になる。そんな彼女を見たケニーは、反対に柔らかく笑う。その余裕のありそうな態度が、余計にベロニカを頑なにさせた。


「強がってなんかないわよ」

「本当は怖いんでしょう? お嬢様からは意識していないにしても、これでも男ですからね。身体が自然に――」

「なに言っているのよ。ケニー相手にそんなこと思わないわ、大丈夫だってば」

「ケニーだから、大丈夫、ね」


 ぼそっと呟いた彼は先程よりも近く、しかしベロニカには触れない位置に身体を落ち着かせた。そして再び背中を向ける。丸くなっている彼の背中をつついてみれば、やめろというように肩を動かされた。


「ねえ」

「安心安全な俺ですからね。安心してさっさと寝てくださいお嬢様」

「なんか怒ってる?」

「怒ってませんおやすみなさい」


 なにかやってしまったかと心配になったベロニカだったが、それ以上はどう話しかけても彼は返事をしてくれなかった。そのうちに温かな布団の中で眠気が押し寄せてきて、彼女はぐっすり朝まで熟睡したのだった。

 一晩中悶々として、結果床で寝るよりも悪いことになっているケニーのことになど思い至らないまま。

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