第9話

「なんて。脅してみてもしょうがないですね。まあ初心者はそんな危険なクエストは受けられませんし、危険なモンスターの出る場所にも近付かなければいいだけの話です。まず今のお嬢様には関係のない話ですよ」


 にこりと笑顔を作るケニーに、ベロニカはまたムッとする。からかわれたのか、それとも覚悟が甘いと暗に言われたのか、どちらにしても腹立たしい。

 冒険譚の、強敵にもなんだかんだ五体満足で打ち勝って帰ってくる英雄や勇者のようなものたちを夢見て冒険者になったわけでもないから、無謀な挑戦や無茶をするつもりはない。そもそも、そんなクエストを受けようとしてもケニーが反対するはずだ。まずは一歩一歩。誰にでも、それこそ子供にもできると言われてしまうようなクエストからコツコツと。それくらいベロニカでもわかっている。

 ケニーに説明された通りに、両手を登録して腰につけていたポーチを入れる。


「そこにいれるのは貴重品だけで良いですよ」

「このポーチの中は、宝飾品と金貨しか入ってないわ」

「……なるほど」


 あとの化粧品や傷薬、中級ポーション、簡単な着替えなどは、収納魔法付きのポーチの中に入れてあった、これまた収納魔法が掛かっている巾着ごとクローゼットに置いてある。


「そうだ。お嬢様金貨しか持って来てないんですよね」

「だって、それ以外だとかさばるじゃない」

「庶民の店では、金貨なんて使えないんですよ。庶民の店で使うのは銅貨がメインで、銀貨だって屋台なんかじゃ使えません。そもそも金貨を持っているのが知られたら、強盗に狙われますよ」

「えっ?! そうなの?!」


 貴族育ちのベロニカ自身がお金を払った経験などほとんどない。寄宿舎では、使った分は別途実家に請求されていた。仕立て屋や宝飾店などは実家に来てくれるものだったし、町に買い物に行くにしても誰かお付きがいて、その人たちが払ってくれていた。しかも、その時の支払いはほとんどが金貨で行われていたのだ。

 単純に、一番価値のあるものを持ってれば困らないわよね、程度の考えで金貨を突っ込んできたベロニカは、よもや、場所によっては使えないことがあるなんて考えたこともなかった。


「まあ、武器屋や魔法具屋だったら使えるかもしれませんね。どこかで両替しないと持ってるだけ無駄になります」

「でも、初心者が無駄に良い武器とか装備持ってるのって、顰蹙買わない?」


 下手に目立ちたくはないのだ、というベロニカに、ケニーは肩をすくめる。


「お嬢様に目立つなというのは無理な話だと思いますけど」

「なんでよ」

「顔立ちや雰囲気が、庶民には見えませんからね」

「え」


 気品ある高貴な顔立ち、というにはベロニカの顔は愛嬌があるに特化している方だが、それでもちょっとした立ち居振る舞いや言葉遣いに育ちの良さが出てしまっているらしい。


「でも、私お父様やお母様から、いつももっと上品にしなさい、おしとやかにしなさいって言われ続けていたのよ?」

「あくまで、貴族の令嬢として、多少お元気だったというだけです。平民育ちから見たら、どこからどう見ても金持ちのお嬢様です。そもそも、『だわ』だの『かしら』だの、あまり庶民は使いません」

「言葉遣いだっていつも注意されていたのに」

「だから、それは貴族社会での話です。お嬢様、本当になにもわかってないんですね?」


 ですの、やら、ですわ、やら、~ではなくて? などという言葉だけが貴族の娘が使う言葉だと思っているだろう、と指摘されたベロニカはぐうの音も出ない。今の言葉遣いも、だいぶお転婆な娘を演じているつもりだったのだ。


「育ってきた環境の感覚を抜くのって難しいわね」


 庶民っぽさを装って、変に浮かないように過ごすつもりだったのに、そうしている気になっていたのは自分だけで、傍から見ればどこからどう見ても貴族、もしくは金持ちの娘だと思われていたと指摘されて恥ずかしくなる。


「まあ、今は厳格な騎士団のやりかたについていかれないような貴族の三男、四男あたりが、成り上がりを目指して冒険者になることも珍しくはないですから。ああ金持ちなんだな、くらいで特段目立つことはないでしょう。ご令嬢が冒険者になるという話は、とても珍しいとは思いますけどね」

「貴族というだけで嫌われたりはしない?」

「そういう育ちなのを振りかざさない限りは、よほど問題ある性格でもなければ煙たがられたりはしませんよ。お嬢様の性格なら、問題はないでしょう」

「そういうもの?」

「はい」


 元々、ベロニカは正直すぎるほどに真っ直ぐな性格をしているので、そういう部分を煙たがったりバカにする貴族はいたが、素直で嫌味な部分はないので使用人たちにも好かれていた。高慢なわけでもないので、冒険者の中で悪目立ちもしなさそうだとケニーは言う。

 でも、と彼は続ける。


「まったく王位を継ぐ気配はなかったとはいえ、お嬢様は第三王子の婚約者でしたので、お顔を把握している貴族出身の冒険者はいるかもしれませんね。名前は、家名を出さなければどうにかなりますが顔はどうにもなりませんからね」

「そうね。それで面倒なことになる可能性はある?」

「社交界にお嬢様が冒険者になったという噂が回って、旦那様や奥様が胃を痛めるか、そんな突拍子もない娘を妻に選ばなくて良かったとアントニオ様の慧眼が評価されるか。まあ、お嬢様には関係のないことですよ」


 両親が胃を痛めるのであれば、関係なくはないのでは? と思うベロニカだったが、そんな話をしているとノックの音が聞こえてきた。


「誰だ?」


 そこにいて、とベロニカに部屋の奥にいるように指示して、ケニーは足音を潜めて扉に近付く。


「席の用意、できたよー」

「ん? その声はマリーか?」

「ケニー、おかえり!」


 扉を開ければ、7歳くらいの少女が飛び込んできて目の前に立っていたケニーにしがみついた。しっかりと彼女を抱き留め、その頭を撫でながらケニーはその顔を覗き込んだ。


「なんだ、少し見ない間に大きくなったな」

「お姉さんになったでしょ?」


 くりくりの濃いめの赤茶色の髪をケニーの腹部に押し付けながら、マリーと呼ばれた少女は彼を強く抱きしめる。


「もうっ! どこ行ってたの?」

「どこって、俺別にここが家なわけじゃないし。他にやることもあったんだよ」

「これからはずっとここにいる?」

「だから、聞いてるか? ここは俺の実家じゃない」


 まだ高い子供らしい声のマリーは唇を尖らせる。


「実家にすればいいのに」

「どういう意味だよ」


 明らかに彼を気に入っている様子の少女は、ベッド脇に立っているベロニカを見て目を真ん丸に見開き、それから無遠慮に指差してきた。


「あれ! 誰!」

「あの子? ニカ。俺の幼馴染」

「それだけ?!」

「………………」


 質問に対してなにも返さないケニーにショックを受けた顔になったマリーは「ケニーのバカ!」などと言いながら階段を駆け下りていった。唖然としているベロニカを振り返って「行きましょうか」となにもなかったかのような顔でケニーは手を差し出してくる。


「あの子追いかけなくて良いの?」

「オーナー夫婦の娘なんで、どうせ下にいますよ」

「そういう問題じゃないでしょ」


 どう見たって、マリーはケニーを気に入っていて、それこそ年齢的には初恋かもしれなくて、久し振りに会った想い人が知らない女を連れてきたら、それは大変なショックだろうに。


「ケアしてあげないと」

「なんて言えば良いんですか。俺はお嬢様の唯一の護衛で、常にお傍にいてお守りするのが使命だ、とでも正直に言えば良いんですか? 普通の娘には護衛なんてつきませんから、身分も含めて説明しなければいけませんが」


 貴族のお嬢様はこんな場所には泊められないとか宿泊拒否されても良いんですか、と続けられ、ベロニカは怪訝そうに首を傾げる。


「なんで言わなきゃいけないの? 冒険者になりたい幼馴染にいろいろと教えてあげるために一緒にいるだけで、他意はないって説明すれば良いじゃない」

「他意がないかどうかはわからないじゃないですか」


 しれっとした顔の彼に、ベロニカも真顔で返す。


「ないでしょ。私とケニーよ?」

「………………」


 またしても無言になったケニーは、ベロニカの近くまで来ると腕を掴んだ。


「あまり待たせると『その席空いてるじゃないか』ってゴネる客が来て女将さんたちに迷惑かけるんでさっさと行きましょう」

「わかったから、放してよ」


 腕を持ち上げて払おうとしても、ケニーはその状態のままベロニカを引っ張って部屋を出て鍵をかける。階段を降りながら、彼の手は徐々に移動して手首を握った。その後、自分の手の平を半分握るような変な位置まで滑っていった彼の手をじっと見たベロニカは、首を傾げるばかりだった。

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