第8話
「いらっしゃ――あー! アンタ生きてたんだねぇ!」
店を切り盛りしているらしいきりっとした美女が、ケニーを振り返って驚いたように口を大きく開けて指差してくる。
「勝手に殺すなよ」
「いやー、長いこと顔見せないから、てっきりどこかでモンスターに食われたのかと思ってたよ」
「ずっと元気だったよ」
「この町に戻ってきたんだね」
「戻ってきたって言うか」
そこで、ケニーの背後にベロニカがいることに気付いたらしい美女は口を噤む。何度もベロニカとケニーを順に見て、瞳が転げ落ちそうなほどに大きく目を見開く。
「え……? なんだい、アンタ、その子……」
「あー、ああ、えーと、こいつは幼馴染のニカ。今日冒険者に登録したばっかりなんだ」
幼馴染というのは嘘ではない。
そうです、と頷けば、美女はベロニカをじーっと見つめてくる。少し吊り上がり気味な大きな瞳で見られると、なかなかに迫力がある。へらりと笑い返せば、美女は腰に手を当てて大きく息を吐いた。
「はーぁ……なんだい。アンタ女に興味ないのかと思ってたら、こんな可愛い子を隠してたんだねぇ?」
「隠してたっていうか」
そこまで言って、ケニーはベロニカを見ている男たちの視線を見回す。すっと目を細めるとまた小さく舌打ちして「あんまり見せたくなかったんだけど」と顔をしかめた。
「おやぁ」
にまぁっと口元をほころばせた美女は「なんだい、そういうことぉ?」と嬉しそうな声を出す。どういうこと? とケニーに目で訴えるベロニカだが、彼は応えてくれなかった。
「でさ、またここを拠点に活動したいと思ったんだけど、今部屋空いてる?」
「あー、ちょっと待っておくれね。アンタ―! 宿泊のお客さんだよー! ケニーが帰ってきたァ」
店の奥に大声で呼びかけると、髭面の体格のいい男性が背中を丸めるようにして出てきた。
「おお、ケニーか」
「旦那、久し振り」
「部屋なら空いているが、ちょっと待ってろ」
カウンターの下から帳簿のようなものを取り出した主人は、ぱらぱらと捲って難しい顔になる。
「あー、いや、すまん。ちょっと今は難しいようだな」
「マジか」
「そうだったかい?」
隣からそれを覗き込んだ美女――女将さんは「空いてるじゃないか」と指差した。
「空いてないだろう。ソロ用の部屋はもう満室だ」
「だから、2人部屋ならこことここが空いてるじゃないか。アンタたち同じ部屋で構わないだろう?」
「えっ?! 同じ部屋!?」
驚くベロニカに対し、ケニーは「ああ、構わない」などと言い出す。ギョッとしてケニーを店の隅に引っ張っていったベロニカは彼の耳をつまむ。
「なに考えてるのっ! 同じ部屋なんて駄目よ、無理よ」
「なんでですか。他に部屋空いてないって言われてるじゃないですか。それに、お嬢様1人で全部準備できないでしょう。防具の装備とか」
「それは、その時だけ手伝ってくれれば……」
「夜中に、部屋間違えたふりして知らない男に押し込まれたらどうするんですか。そういう可能性だってゼロじゃないですよ。男女でフロアが違うなんてこともないですからね。隣同士になれるかどうかもわからない。同じ部屋の方が安全です。俺は、お嬢様の護衛で連れてこられてるんですから」
などと説得されてしまっては、なるほど、と頷くしかない。
知らない人が入ってくる可能性は考えていなかった。寄合馬車でも大きなトラブルがなかったのは、常にケニーがベロニカの側にいたからだ。申し訳ないが、このような宿の部屋の鍵が簡単には壊せないような頑丈なものとは思えない。
「お嬢様の安全のため、ただそれだけです。ベッドも部屋の端と端になるように移動させますし、布か衝立で部屋の中を仕切れるようにしましょう」
「……うん、それなら……」
しぶしぶ頷けば、ケニーは女将さんたちを振り返る。
「なるべく広い部屋が良いんだけど、どこも同じ広さだっけ?」
「いや、一番上の部屋が空いてるよ。あそこは他よりも広めに出来てる」
「じゃあ、そこで」
同じ部屋で寝泊まりすると考えると、少しだけ恥ずかしい。ベロニカは耳が熱くなるのを自覚していた。
「晩飯はもう済ませたのか?」
主人に聞かれたケニーは、手続きしながら首を横に振る。
「いや、まだだ」
「外に食べに行くのかい?」
女将さんから尋ねられ「ここで食べたいんだけど、席空いてなさそうだよな」とケニーは店内を見回す。
「あっちの客がそろそろ出そうだから、出たら知らせるよ、部屋で待ってな」
「ありがとう」
鍵を受け取ったケニーは、ベロニカを振り返る。
「3階だって。行くぞ」
「え、あ、うん」
彼の後ろをちょこちょこついていく彼女を、オーナー夫婦は微笑ましそうな顔で見送った。
「……広めの部屋……?」
指定された部屋は3階の一番奥にあった。扉を開けて中を見たベロニカの眉がきゅうっと寄る。
「広いですよ、これでも必要以上の広さです。活動拠点を1箇所に決めた固定パーティなんかは、自分たちで持ち家を持ったりするんですよ。そうじゃない奴らは寝るためのベッドと、自分の装備と貴重品なんかを置いておくくらいのスペースで生活してるんです」
「そういうものなのね」
「お嬢様、本当になにも知らないんですね」
自分の部屋の1/5くらいしかないのではないかと思われる部屋を前にして、ベロニカは困惑していた。
ベッドは部屋の隅に置かれている。それから、とても小さいベッドとクローゼット――といっても、ベロニカにとっては小さいというだけで、一般的な大きさのものである。
更に小さなテーブルと椅子が2脚が置いてあり、貴重品をしまうための金庫もあるのは珍しいのだとケニーは言う。
「っていうか、ケニー」
「はい」
「ベッド、1個しかないんだけど?」
「みたいですね。おかしいな」
ちょっと聞いてきます、と下に行ってしまったケニーに置いていかれたベロニカは、椅子に腰かけてみる。
「硬いわね」
木製の椅子だ。当然、布張りの物のようにふわふわした座り心地ではない。しかし、このような素材には寄合馬車で慣れた。長時間でなければ十分に耐えられるし、なんならベッドに腰掛けてしまえばいい。
「そういえば、こっちの扉はなにかしら」
入口の右手にある室内の扉を開けてみると、そこはお風呂だった。簡易的な洗面所とお手洗い、同じスペースにカーテンで仕切る形の湯船にシャワーがある。ベロニカからしてみれば信じられないくらいに簡素な作りで、湯船は桶のようなものだったが、これはあくまでも一般的なサイズなのだ。彼女は知らないが、このランクの宿の個室にお手洗いや風呂が設置されていることは珍しく、お手洗いは共用、風呂は外に入りに行かなければいけないような宿の方が多い。
「すみません、お嬢様。ベッドが2つある部屋は満室のようで、追加の簡易ベッドは今は忙しくて出せないと言われてしまいました」
階段をのぼってきたケニーは、ベロニカを見ると頭を下げる。
「俺、今日は、床で寝るので」
「明日になったら、ベッドを追加してもらえるのね?」
「はい。追加料金は発生しますが」
「……わかったわ」
一晩くらいは、我慢できる。頷けば、彼はホッとした顔をした。
ケニーは、金庫の使い方を説明してくれる。まずは、使用する人を登録するようになっているらしい。それで他の人からは簡単には開けられなくなる。登録方法は簡単だ。手の平を当てて、名前を言えば良いだけ。
「あ、それ、両手でやっといた方が良いですよ」
「どうして?」
「片手、無くすかもしれないからですね」
「無くすって?」
「モンスターと戦って、切られるとか、喰われるとか、魔法で吹き飛ばされるとか。色々あるじゃないですか」
当然のように言われた言葉にゾッとするベロニカに「上級回復職がいれば、その場で戻してもらえるからそんな心配しなくても良いんですけどね。処置が遅れたり、ダメージがデカいと治せないこともありますから」とケニーは笑う。
「笑い事じゃないわよ」
「なに言ってるんですかお嬢様。冒険者ってのは、そういう世界で生きてる連中ですよ」
このタグだって、とケニーは胸元から冒険者タグを取り出した。
「いつどこでおっ死ぬかわからないってことでしょう? まさか、そんな覚悟もなく冒険者になるとか言い出したわけではないですよね?」
笑っていない目で見てくるケニーに、ベロニカはなにも答えられなかった。
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