第7話

 ケニーがなにか言ったらしい、ということにだけは気付いたベロニカは尋ねる。


「なに?」

「ん、なんでもない。ああ、あっち、呼ばれてるのニカじゃないか?」

「ニカさーん、冒険者登録にいらしたニカさん、こちらの受付までいらしてください」

「はーい!」


 受付に向かえば、当然のような顔でケニーもついてくる。ギルド内の一部の視線を集めていることを自覚しながら、ベロニカは自分を呼んだ職員の前に立つ。ケニーはまた、ベロニカの後ろから手をテーブルについてくる。


「ねえ」

「なに?」

「近くない?」

「こうしないと見えない」


 ちょっと視線を横に向けると、そこにケニーの顔がある。こんなことでドキドキしてしまう自分の恋愛経験値の低さに情けなさを感じつつ、ベロニカはテーブルに置かれたものを見た。

 ベロニカの親指と人差し指をくっつけてできる丸と同じくらいの大きさの札。赤みがかった色のケニーのそれとは違って、そこにあるのは薄緑色のものだった。


「こちらが、ニカさんの冒険者タグになります。よほどの相手のものでなければ、炎や腐食にも耐える金属でできています。ダンジョン内部で亡くなった場合に、これがあれば身元の判明に繋がりますので、クエスト中は必ず身に着けていてくださいね」

「……これって、そういうものなのね……」

「これを見せることでサービスを受けられる店などもありますので、こちらの冊子を参考になさってください」

「ありがとうございます」


 ベロニカは札を受け取って眺める。ここに刻まれている数字が、ベロニカの冒険者番号ということなのだろう。先頭についている文字列はここのギルドを示しているようだ。頭の部分に穴が開いているので、ここに紐や鎖を通して身につけるようになっているらしい。


「そして、これがニカさんの適性診断の結果にになります」

「……っ、はははっ! さすがニカ。想像通りの結果だ」


 出された書類を見るなりケニーが笑い出す。そこに書かれていたのは『全職業に適性あり/最適職なし』の文字。

 クリスタルによる分析の結果、ベロニカは魔法職でも前衛でも、なんでも一通りはできると判断されたようだった。しかしこれではどれを選べばいいのかわからない。強力な魔法を唱えるには魔力量が乏しく、前衛となるには基礎的な体格や筋力の問題で重装備は身につけられないとも書いてある。


「ええと、これって」


 あまりに半端では? と顔を引きつらせるベロニカに、職員は笑顔を見せる。


「とても珍しいですね。このような結果なら勇者や英雄が適職とされることが多いのですが、ニカさんはそういうわけでもないようでして」

「ええと?」

「器用貧乏ってヤツだな」


 なんですって!? と軽口を叩くケニーを振り返るが、職員は否定しない。

 ここでもそうなのか、とベロニカは軽くショックを受ける。なんでもやればできる、でも超一流にはなれない。これまでのベロニカの評価は常にそれだった。


「まあ、いろいろ試してみて、一番合ってる、楽しいって思うのになれば良いんじゃないか?」

「じゃあ、まずは剣士をやってみるわ。なんか、一番冒険者っぽいし」


 職業登録窓口に行って、タグに『剣士』と入力してもらう。これで、今のベロニカは剣士になったわけだ。


「クエストは、あっちのボードに貼ってあるのから選んで受付に持って行けばいい。必要条件満たしてないと受けられないから気を付けて」

「うん」


 早速クエストを確認しに行こうとすれば、ケニーに腕を引っ張られた。


「その前に、今晩の宿っていうか、ここでの拠点を探さないと」

「あ、そうね」

「宿があるのは、広場の向こう側だから――」


 ギルドの外を指差したケニーの後ろに影が立つ。ベロニカはそろりと見上げる。目が合えば、その男は小さく微笑んでからケニーの肩を叩いた。



「さっき見かけた時、もしかしてと思ったんだけど――冒険者、やめたわけではなかったんだね、ケニー」

「……チッ」


 突然声を掛けてきた男に、ケニーは露骨に不機嫌そうな態度になって乱暴に手を振り払い、舌打ちまでする。しかし、そんなケニーを気にする様子もなくその男は続ける。


「そちらのお嬢さんは、きみの連れかい? きみは誰ともパーティを組まないのだと思っていたんだけど」

「そう、俺の連れ。手、出すなよ」

「手……? ああ、なるほど」


 にこりと微笑んだ男は、ベロニカに向かって丁寧に頭を下げる。


「こんにちは、お嬢さん。僕はエルピディオ・カリスト。みんなからはエルって呼ばれてるんだ。ちなみに槍使いだよ。迷惑でなければ、お名前を聞いても良いかな」

「あ、私はニ――」

「答えなくていい」


 ベロニカの口を後ろから塞いだケニーは、そのままずるずると引っ張っていこうとする。


「おや、女性にそういう態度はどうかと思うよ」

「うるさい。声掛けるな」

「つれないなぁ。……お嬢さん! 僕もこの町を拠点にしているから、なにか困ったことがあったらいつでも相談に乗るよ」

「あ、ありがとうございますーっ!」


 失礼します、とケニーに引きずられながらも返すベロニカに、エルはにこやかに手を振った。

 手続きをしている間にいつの間にか日は落ちかけ、空はオレンジ色に染まりつつあった。仕事を終えたらしい人々が町に繰り出してくる時間だ。ざわついた空気に、それすら新鮮なベロニカは瞳を輝かせる。しかしすぐに、半分抱きかかえられるような形でほぼ運ばれている状態のベロニカは、自分がちらちらと見られているのに気付いた。

 ハッとしてケニーの腕から抜け出し、彼に指を突きつける。


「ケニー! あなたなんなのあの態度は」

「俺、あいつ嫌いなんですよ」

「でも、親切そうだったわよ。なんでも聞いてって言ってくれたし、あの雰囲気だと顔馴染みなんでしょう?」

「そうやって第一印象だけで判断しようとすると、いつか騙されて身包み剥がされますからね」


 そんなに間抜けじゃないわよ、とベロニカは言うがケニーは全く信用していないような顔で視線の先を指した。


「冒険者用の、長期滞在を基本にしている宿はあの辺りですね。広場から離れた裏通りにも何件もあるにはあるんですが、お嬢様には耐えられない環境ですから、このくらいのランクの宿を選んだ方が良いと思います」

「耐えられないって、なによ」


 一応金貨や万一の時に売り払うための装飾品はいくつか持ってきたけれど、1ヶ月や2ヶ月の冒険者生活でもない限りそんなに贅沢は出来ない。すぐに家に戻るつもりなどはないので、あまり立派すぎる宿には長期滞在が難しいことくらいベロニカにもわかった。


「……部屋の壁薄いんで、隣の生活音とか声が聞こえたりするんですよ」

「それくらい我慢でき――」

「夜、お盛んなのが隣だったら地獄ですよ」

「お盛んって?」


 なに? と疑問を浮かべるベロニカの耳元に、仕方なさそうな表情を浮かべて顔を寄せたケニーは「だから、夜の営みの声とか音とか。そういうのが丸聞こえって意味です」そう囁くと「聞きたいって言うなら、まあ経験としてアリかもしれないですけどね」意地の悪い笑顔を浮かべた。


「なし! なしでお願いっ!」


 意味を理解したベロニカは真っ赤になって手と顔を激しく左右に振る。


「じゃあ、やっぱりあそこで――」

「で、でも」


 ケニーが指さしたのは、庶民の感覚からすればかなり立派な宿なのだろう。きっと、上位の冒険者が使うような場所だ。となると。


「初心者が使う場所じゃないでしょう、あそこ」

「ランクじゃなくて、金を持っているかどうかですよ」

「そういうの、嫌だわ。アホな金持ちが暇潰しに冒険者しにきたみたいじゃない」

 

 ベロニカの言葉になにか言いたげな顔をしたケニーだったが、そこは敢えて口にはしなかった。


「なによ、その顔」

「では、中ランク程度の宿にしましょう。その道を入って、2ブロック行った先に俺が使ってた宿があります」

「あ、良いわね。ケニーが使っていたっていうなら、清潔で安全で、かつ信用できるオーナーの宿ってことでしょう?」

「まあ、そうですね。気のいいオーナー夫婦ですよ」


 1階は食事処になっているようで、扉を開ければ喧騒が押し寄せてくる。ケニーの後ろから室内を見ると、冒険者らしき人以外に、商人などに見える人たちも何人もがそれぞれにテーブルを囲んで楽しそうに食事をしていた。

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