第5話
馬鹿にされた気になったベロニカは、ムッとした顔で聞き返す。
「なにも覚えてないって、なによ」
「あなたと最初にお会いした時、俺はちゃんと名乗りましたよ」
はて? と首を捻りながらベロニカはケニーとはじめて引き合わされた日のことを思い出そうとした。あれは確か5歳くらいの時。父から「遠縁の子だ」と紹介されたのがケニーだった。
「これからお前のことを守ってくれる子だよ」
そう言われたのは覚えている。こんなに小さい子供になにが出来るの? と、子供ながらに思ったのも記憶にある。その頃はベロニカの方が背も高かった。ケニーは幼い頃から剣術や武術を叩きこまれ、アンヘル家に来てからもベロニカの身辺警護をしながら技術を磨き続けていたようだった。早朝の庭で剣を振るっている姿を何度も見た。
ベロニカにとって、ケニーは唯一自分を守ると言ってくれて――もちろん彼以外にも護衛をしてくれる人はいたのだけど――一緒にいて安心できる人で、愚痴を吐いたり気負わない素の自分のままでいられる相手でもあった。彼とはずっと一緒に育ってきて、だからケニーについて知らないことなどないと思っていたベロニカだったから、この短時間でそうではなかったと思い知らされてショックを受けていた。
そして、その最大級の衝撃が今、目の前にあった。
「ごめんなさい、ケニー。今あなた、自分のことをなんて名前だって言った?」
「イルデフォンソ・ナタリオです」
「イルデ……え?」
「あの時と同じ反応するんですね」
ケニーはまたしても大きな溜息を吐く。
「お嬢様はあの時、俺の名前をうまく言えなくて、覚えられなくて、挙句――『あなた、ケニーって顔してるから、これからはケニーね』と、俺にそう名乗るように命じたじゃないですか」
「……あ。」
「思い出しました?」
「言った、かも?」
幼い日、初対面の相手の名前が言えなかったのを棚に上げて、その子に適当な綽名をつけたことを思い出す。えへ♡と笑ってごまかせば、ケニーはにこりと貼りつけた笑みを向けてくる。明らかに機嫌の良さそうではない彼の態度に、ベロニカは顔が青くなっていくのを感じていた。
なんて失礼なことを幼い頃の自分は言ってしまったのだろう。アンヘル家では、彼はずっと「ケニー」で「イルデフォンソ」ではなかった。自分のせいで、彼はずっと違う名前で呼ばれ続けていたのだ。
「ずっと聞きたかったんですけどね、お嬢様。ケニー顔ってどういう顔ですかね? ああ、聞くまでもありませんね、こういう顔ですよね、これ。そんなにケニーですか、これ」
彼はずいずいと顔を寄せてくる。
「ちょ、ごめん、ごめんなさいって!」
顔が近いわ、と及び腰になったベロニカを見て少し溜飲が下がったらしい彼は身体を引いた。
「あなたのなまえがイルデフォンソなのは覚えたわ。でも、私の中ではもうケニー以外の名前じゃしっくりこないの」
「もうじゃなくて、その当時から俺の本名はしっくりこなかったんでしょう? 確かに呼びやすい名前でもないとは思いますけど」
「じゃあ、これからもケニーって呼んでいい?」
「今となってはケニーと呼ばれている期間の方が長くなりましたからね。今更イルデフォンソと言われても、自分のこととは思えなくなってしまいましたよ」
「ごめんね?」
「別に、怒ってないですって。さあ、登録しに行きましょう」
ベロニカと共に受付に赴いたケニーは、受付の前に立っている彼女の後ろからテーブルに手をつき、覗き込むような体勢で職員の作業を見守っている。婚約者はいたもののアントニオとはダンスで手を繋いだことしかなかったベロニカにとっては、同世代の男がこんなに近い位置にいるというのが非常に珍しいことだった。
馬車の中では、それこそ身を寄せ合って座っていたのだけれど、慣れない旅路、彼しか頼る存在がいない状態では異性を意識する余裕はなかった。だが、自分の知らない部分を持っていると理解した瞬間、自分の知っている青年ではないように思えてしまってこの距離感が急に緊張するものになる。
「……カ、ニカ、聞いてる?」
「へっ!?」
耳元に響いた声にビクッと身体を跳ねさせたベロニカを不思議そうな顔で見たケニーは、顎をしゃくって前を見るようにいってくる。
「説明。聞いて、ちゃんと」
「ご、ごめんなさい、もう一度言っていただける?」
「何度でも構いませんよ」
人の良さそうな笑みを浮かべた登録担当の職員は、改めて登録手順を説明してくれる。
まず、これから現在の適性を調べてくれるそうだ。そこで本人の性格や向いている職業や、取得しやすいスキルを教えてくれるらしい。
「とはいえ、あくまでも適性は適性なだけで、ご自身が就きたい職業を選ばれて構いません。ジョブチェンジも何回でも出来ますので、お試しで何度かクエストに出てみて、最終的に伸ばす方向を決める方もたくさんいらっしゃいますよ」
「それは嬉しいわ。最初に決めろと言われても困ってしまうもの」
「では、ここからは登録される方お一人になります」
ベルが鳴らされて、適性検査担当の職員がやってくる。
「登録名、ニカさんですね。こちらにどうぞ」
「あ、はい」
返事をしたものの、ベロニカは不安そうな顔でケニーを振り返る。
「大丈夫、ニカなら才能ナシとか言われないはずだから」
「……うん」
「あはは! そんな不安そうな顔で見られると」
――ちょっとゾクゾクしますね。
「ふぁ……ッ?!」
耳元に囁かれた声にびくぅっと跳ねると、ケニーは笑いを押し殺しながら「いつもはあんなに自信満々なのに、ねえ?」とからかうような声を出す。
「ほら、職員さんが待ってる」
さっさと行けという意味だと理解して、ベロニカは職員の後ろについてホールの奥にある部屋に入った。
「それでは、このクリスタルに手を触れてください」
見上げるほどの大きさのクリスタルが宙に浮いている。どんな仕組み? と下を覗きたくなるが、今はそんなことをしている場合ではない。ドキドキする胸を押さえながら、右手でひんやりとした石に触れる。
ぼんやりと光り出すクリスタルに見とれていると、職員が質問をしてきた。
「では、正直にお答えください。どのような回答でも、今後の活動において不利になることはありません」
「それって、例えば非人道的な答えだったとしても?」
「正直に伝えていただくことが重要です」
わかったわ、と頷くと、質問が始まった。
「あなたが冒険者になろうと思った理由を教えてください」
「えぇと……本音で、なんですよね」
「お願いします」
「君は強いから僕なんていなくても1人で生きていかれる、って言われて婚約者から振られたから、その言葉を本当にしてやろうと思って……」
自分で動機を口にすれば、あまりにもくだらなくてこんなもので本当に大丈夫なのかと不安になる。
「なるほど、力試しということですね」
「え、あ、そうなるのかしら」
なにかメモしながら言う職員の言葉に、そう言えば良かったんだ、とベロニカは恥ずかしくなる。しかし赤くなった彼女を無視して質問は続く。
「冒険者として最も大切にしたいと思うものはなんですか?」
「大切にしたいもの?」
「思いつきませんか?」
人生ならともかく、冒険者で、と言われてもすぐには思いつかない。少し考えさせて、と伝えたベロニカは思い悩む。
人生で、と言われたら、生まれに相応しいような立ち居振る舞いと、人々の上に立つ人間として恥ずかしくないような威厳、知識を身につけることが今までの目標だった。でも冒険者であれば?
名声が欲しいわけではない。
最強になりたいわけでもない。
解き明かしたい謎があるわけでも、身につけたい技術があるわけでもない。
当然、貴族の生まれで裕福な暮らしをしてきたベロニカは、金銀財宝を手に入れて成りあがることが目的でもない。
――私の、大切にしたいもの。
「私自身の、価値? それを自分で見つけること、かもしれないわ」
「なるほど」
答えはそれでも良かったようだ。ホッとしながら次の問いに答える。
「戦場で最も頼りにしようと思っているのはなんですか?」
「状況判断かしら。その場で最適、最善の方法をいち早く見つけることが、命を永らえさせる方法ではないかと思うわ」
「ニカさんは、自分だけの力ですべてを切り抜けようとは思っていないのですか?」
「私は、冒険者としてはこれからで、自分だけを信じるには無力だもの」
職員は無言でなにかメモをしてから、続く問いを口にした。
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