第4話

 そんなベロニカに「本当になんにも知らないですね、お嬢様」とまたしても呆れたように言ったケニーは


「今はちょっとタイミング悪いんで、もう少ししてからまた来ましょう」


 と彼女の腕を取って大通りへ戻ろうとした。しかし、ここで登録を済ませれば冒険者になれるのだ、と盛り上がってしまった彼女を止めることはできない。


「そんなに混んでるようには見えないわ。今すぐに登録しましょうよ」

「いや、だからタイミングが悪――」

「どこ? どこで手続きをするの?」


 ケニーの手を振り払ってギルド内に足を踏み入れたベロニカは、周囲をぐるりと見回す。それから自分で冒険者登録受付と書かれている窓口を見つけて足音も高らかに近付いていった。ちょうどベロニカの前で、手続きしていたらしい人が受付を退く。


「冒険者の登録はここで良いのかしら?」


 テーブルに両手をついたベロニカは、キラキラした瞳で職員を見つめ、乗り出すようにしながら尋ねる。このように興奮した状態でやってくる冒険者志願者は少なくはないのだろう。受付の職員は慣れたように笑みを浮かべて返す。


「はい、冒険者登録の窓口はこちらになります。おひとりでしょうか?」

「いえ、私とそれから彼――」


 ベロニカに手招きされたケニーは、彼女の後ろから受付を覗き込む。


「おふたりですね。ではこちらの書類に必要事項を書き込んで……」

「いや、俺はもう登録済だ」

「え?!」


 驚いているベロニカをよそに、ケニーは胸元から小さな金属の板がついているネックレスを取り出して職員に見せた。


「あら、そちらは烈光ランクでいらっしゃるんですね……って、あれ?」


 笑みを浮かべてタグを確認した職員は、しかしなにかを見ると途端にギョッとした顔になる。驚き顔で自分を見返してくる職員に、ケニーは笑顔で立てた指を自分の唇に押し当てた。それ以上詮索するな、というジェスチャーに、職員は無言で頷く。


「今日はこっちの子の登録をしに来た」

「……は、はい」


 ベロニカとケニーを交互に見た職員は、机の中から書類を取り出した。

 え? なに? と状況を把握できずにいるベロニカに


「あちらのテーブルで必要事項を記入したら、こちらにお持ちください。その後に各種手続きをご案内いたします」


 ペンと書類を差し出して、少し離れた壁際の長いテーブルを示す。


「あっちだそうですよ。行きましょう」

「う、うん」


 じっとケニーを見ている職員の様子を気にしながら、ベロニカは書類を抱えて記入用のテーブルに向かう。

 

「ねえ、ケニーって冒険者登録してたの?」


 そんな話聞いてない、と少しむくれながらベロニカは彼の顔を覗き込む。


「してますよ」

「いつ? いつの間に?!」


 しかも、職員の反応を見るに初心者というわけでもないように見える。


「3年ほど前に2年間ほど」


 3年前といえば、今18歳のベロニカが、全寮制の王立の貴族学校に入った頃だ。ちょうど寮にいる間に冒険者をしていたということだろう。ベロニカが寄宿舎から戻ってくるタイミングはわかっていたから、その時期だけ屋敷に戻ってきていたのであれば、彼が普段は不在だと気付かなくても仕方がない。


「なんで言わないの」

「なんで言わなきゃいけないんですか」

「……私とケニーの仲なのに」


 そう言えば、ケニーは鼻で笑う。どんな関係ですか、と返されるから、幼馴染? と答えると、疑問形じゃないですか、とまた笑われた。

 彼の雇い主はベロニカの父なので、そういう意味での報告義務がないのはわかっている。しかし、彼とはなんでも話せるほどに仲が良いと思っていたベロニカからすればショックでしかない。

 露骨に落ち込むベロニカの顔を覗き込んだケニーは「どうしました?」と不思議そうな顔になる。


「ケニーに内緒にされてた……」

「? そりゃ全部話さなきゃいけないなんて決まりはないですから」

「他にも、私に言ってないことあるんだ」

「ありますよ」

「!!」


 うるっと瞳を潤ませるベロニカに、ケニーは目を真ん丸にする。婚約解消を申し込まれた時も毅然としていた彼女が、これくらいのことで泣きそうになるとは思ってもいなかったのだ。


「え、ちょっと、お嬢様?」

「ケニーには、私なんでも話してるのに」

「はあ……」

「なのに、ケニーは私に隠し事するんだ」

「……仕事に関する話とか、お嬢様には出来ないこともあるんですよ」

「言えないのはお仕事の話?」

「はい」


 そう聞けば、なんだぁ、とベロニカは明るい顔になって書類を書き始める。「お仕事の話じゃしょうがないわね」とすっかり立ち直ったように見える彼女に、内心「それだけのわけないでしょう」と思いながらも、チョロくて良かった、と安堵もしているケニーなのだった。


「ええと……名前、と……」


 ベロニカ・アンヘルと書き込めば、すぐに文字が消えてなくなる。


「あれ?」


 もう一度書き込もうとする手は軽く握られて止められる。


「大丈夫ですよ。個人情報の保護の魔法が掛かっているだけです。冒険者になる中には、身分を明らかにしたくない人もいますからね」

「そういうものなのね」

「例えば貴族だとか、あとは元奴隷だとか。それを公言している連中もいますけど、内緒にしている人も多いですよ」

「ふぅん」


 生年月日や出身地、信仰している神の名前などを記入すれば、もう1枚目に書かなければいけない情報はない。

 2枚目を見れば、それは死亡時にもギルドに責任を負わせることはないという誓約書だった。ケニーによれば、特に高位貴族の放蕩息子などが勝手に冒険者になって死んだ時に、身内が怒鳴り込んでくるのを防ぐためのものらしい。

 そこにも躊躇いなくサインをして、死亡時の連絡先なども書いていく。それらの情報もすぐに見えなくなった。


「ああそうだ。ここで名乗る名前なんですけど」

「なに?」

「本名だと面倒なことになるかもしれないので、冒険者としての名前を決めましょう」


 貴族だとわかればたかってくる連中や、騙せると思って擦り寄ってくるようなたちの悪い連中がいるかもしれない、とケニーは言う。


「なにか、呼ばれたいものはありますか?」

「急に言われても困るわ」

「お嬢様の名前からですと、ロニーやニカ、ビッキー……などでしょうか。本名に関連していなくても良いですよ」


 ロニーだとケニーに似た響きね、と一瞬頭に過ったのだが、なんでそんなことを想ったのかを深く考えてみるようなことはしないベロニカはそれを採用することはなく、少し考えてから自分の腰に手を当てて胸を張った。


「じゃあ、ニカにするわ。なんか格好良いし、強そうな響きじゃない? これからの私は、冒険者ニカよ」

「ニカ……いいんじゃないですか?」

「ケニーもこれからはお嬢様じゃなくてニカって呼ぶのよ、わかった?」


 呼び捨てで良いんですか、と真顔で返してくる彼に「ランクの高いあなたの方が初心者の私に対してそういう喋り方っていうのも変だわ。馬車の中でのような話し方を許してあげる」どこまでも上からの目線で言ってくるベロニカに、ケニーは黙って頷いた。


「ところであなたのことはどう呼べばいいの?」


 と、まだ登録を終えていないにもかかわらず、すっかり冒険者気取りのベロニカは楽しそうに聞いてくる。


「俺はケニーのままで大丈夫です」

「あら。あなたは本名で呼ばれてるのね」

「本名じゃないですよ。俺の名前は、イルデフォンソ・ナタリオですから」

「……なに言ってるの? ケニーはケニーでしょ?」


 怪訝そうに眉をひそめたベロニカに、彼は露骨に呆れ果てた顔をして。


「本当に、なんにも覚えてないんですね、お嬢様」


 大きな溜息を吐いた。

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