第3話

 乗合馬車の旅は想像以上に長かった。

 途中、今回も止まって人が入れ替わる。食事時に町や村に行き当たることなど多くはない。食事は携帯食が中心になる。

 夜は当然野宿もする。てっきりどこかの町や村の宿に泊まれるのだと思っていたベロニカは、そりゃもう面食らった。


「ケニー、本当にここで寝るの?」


 袖を引き、何度も確認してくるベロニカの手を振り払ったケニーは「しつこい」とても冷たい目で言った。


「でも」

「女子供は馬車の中でいいって言ってくれてるんだ。雨露しのげるのに文句言わない。冒険者になるって言いながら、全然覚悟できてないじゃないか。横になれるだけありがたいと思わないと」


 ケニーから押し付けられた薄手の毛布を抱えたベロニカは途方に暮れる。こんなのは、ベロニカの頭にはなかった旅道具だった。

 彼は簡易的な調理道具も持っていたし、干した果物や肉、硬いクッキーなども持っていた。食事として差し出されたそれに顔を引き攣らせるベロニカを見て溜息を吐いたケニーに、同乗していた行商人らしい若い男は笑った。


「きみたちはどこに行くんだい?」

「カミノラで冒険者ギルドに登録しようと思ってる」

「ん? そこまでいかなくても、ギルドならあるじゃないか」


 どうしてそんなに遠くまで? と首を傾げる彼に、ケニーは肩をすくめてみせた。


「実は、うちの妹が恋人を寝取られちゃってね」

「寝っ?!」


 そんな話はないはずだ、と言い出しそうなベロニカの口に干しブドウを突っ込んだケニーは、苦い顔を作る。


「キレて暴れて相手を刺しそうな勢いでどうしようもないから、気分転換に旅行に連れ出したんだけど……まあどうせなら甘ったれた妹に世間の荒波を見せるっていうか、命のやりとりってのはこういうもんだって体験させるのも良いかと思ってさ」

「ははは、思い切ったことするねえ」


 嘘と真実を織り交ぜながら彼は話す。


「元気有り余ってるなら、ちょっと人助けしてるうちに別の興味関心持てるものも見つかるかもしれないだろ。あとはほら、うちの妹顔だけは良いから、高ランクの冒険者に見初められるかもしれないし、そうなったら俺も楽出来るかもしれないし?」

「確かに、そんじょそこらじゃ見かけないくらい可愛い顔してるな」

「顔だけはね。暴れん坊でどうしょうもないんだけど、実力ある冒険者なら妹を御せるかもしれないからな」

「ははは、お兄ちゃん、苦労するねえ」


 そんな話をしているうちにベロニカたちを気に入ってくれたのか、彼は野菜のスープと柔らかいパンをわけてくれた。

 ケニーがその後もでまかせで話した「恋人を『人の男をすぐに欲しがる泥棒猫女』に奪われてしまった可哀想な妹」と「失恋した妹の気晴らしに付き合って、ストレス発散のために冒険者になることにした兄」という風変わりな設定は面白がられたようで、そして傷心の妹というのは老若男女を問わず同情の対象になったようで


「そんな男はすぐに忘れちまいな!」


 だの


「でもまあ、兄貴がそれだけいい男だと目が肥えちゃって、新しい恋人探すのも大変だろうねえ」


 だのと言われながらあれこれと施しを受けつついろいろな人達と交流しながら5日間が過ぎた。否応なしにこういう旅路に順応してきたところで、目の前に目的地が見えてきた。


「そろそろカミノラにつくよ」


 乗合馬車の御者が声を掛けてくれる。


「えっ、どこどこ?!」


 顔を馬車から出したベロニカは、道の先に町の周囲を取り囲む壁を見つける。


「あの壁の中なのね?」

「ああ、本当なら馬車を停めるのは町の中心広場の奥なんだが……冒険者登録したいんだよな? 特別に近くで降ろしてやろうか」

「そうしてくれると助かる。ずっと座ってばかりで足腰痛くて歩けないってわがまま言われても、これだけ大きく育っちまった妹を背負っては歩けないからな」

「あはは! 違いねえ!」

「ちょっと! 私そんなに重くないわよッ」


 ケニーの軽口と御者の返しに対し、馬車の中に笑いが広がる。こうやってからかわれることにも多少慣れたベロニカは、遠慮なく言い返してケニーの肩を思い切り叩いた。


「いった……! 馬鹿力なんだから少しは加減しろって」

「それくらいでどうにかなるほど柔じゃないでしょ、お・に・い・ちゃん」

「………………」


 町に入り、入口に立っている守衛に手を振りながらベロニカはきょろきょろと周囲を見回す。広場に入る前の道の端に馬車が停まれば、こっちの方が目的地に近いから、と他にも降りる人がいた。正式な停止場所ではないので、挨拶もそこそこに馬車は動き出す。手を振る馬車の中の人たちに手を大きく振って、バッキバキになった身体をベロニカは思い切り伸ばした。


「んーっ! ようやく着いたのね。身体中が痛いわ」


 一緒に降りた男も行ってしまったのを見て「お嬢様、こっちです」誰も聞いていないとなってから、ケニーはやっと言葉遣いを元に戻した。ベロニカにとっては初めて訪問した町、しかしケニーは勝手知ったるなんとやらなのか、ギルドを探す様子もなく建物の一つに向かって歩き出す。

 自分を気にする様子もなくさっさと歩き出すケニーを見て、見知らぬ土地で置いていかれそうになったベロニカは焦って小走りにその背中を追う。


「ケニー、待って、待ってどこいくの?」

「どこって、お嬢様ここになにしに来たんですか」

「冒険者になりに」

「ってことは、はい、ここで登録しなきゃいけないってことですよ」

「あ。そっか、そうよね。ギルドだわね」


 開け放たれている扉の奥にはたくさんの人が行き来していた。それぞれの職業や所持スキルに最適なのだろう格好をした、年齢も性別も民族も様々な人たち。普段男性の肌を見ることなどほとんどないベロニカからすれば、目のやり場に困るような露出度の男たちがウロウロしていた。

 数か所設置されているカウンターは、場所によって業務内容が異なっているようだ。

 まるで異世界のような光景を前に、ベロニカがぼうっとした様子で中を眺めていると


「ごめん、そこ通してくれるかな」


 やたらと爽やかな声がした。

 ハッとして振り返れば、長身で優しそうな雰囲気の、やたら整った顔立ちの男が立っている。美形な貴族の男女を見慣れているベロニカから見ても、かなりの美形だ。身に着けている装備品は明らかに品質の良いもので、金持ち、もしくは高ランクの冒険者なのだろうと想像できた。


「あっ、ごめんなさい」


 入口を塞いでしまっていたことに気付き慌てて場所を譲ると「ありがとう」とまた爽やかに言って、男は中に入っていく。

 その瞬間、一瞬ギルド内が静かになったように思えた。

 すぐにざわめきを取り戻したギルドの中、男が真っ直ぐに向かったのはクエストの完了報告をする窓口のようで、対応した職員が「早かったですね、さすがは閃影ランク!」などと手を叩いて喜んでいるのが見えた。


「ケニー、ねえ、閃影ってなに? そんなに強いの?」


 ベロニカは目を輝かせてケニーを振り返る。

 今まで嗅いだことのない匂いと、接したことのないような職業の人々。まるで冒険譚の世界に入ってきたようなギルド内の様子に、彼女は興奮と期待が抑えられていない。一旦落ち着いて、とベロニカの肩に手を置いたケニーは、先ほど入っていった長身の男を顎で示す。


「閃影っていうのは、冒険者の中でも最も優秀な上位数名にだけ与えられる称号です」

「へえ、あの人強いのね!」

「強い……っていうか、アレ、かなり有名な男ですよ。冒険者でアレの名前を知らないなんてモグリです」

 

 モグリと言われても、ベロニカはこれまで冒険者とは縁のない人生を送ってきていたのだ。高名な冒険者がいるのは知っているが、どれも遠い世界の話のように思っていて個人名までは把握していなかった。

 ――そんなに強い人といきなり会ってしまったのね。

 確かに、ギルド内にいた人のほとんどが興味と尊敬の眼差しで彼を見ている。しかし、ケニーの顔には特に好奇心などは浮かんでいないので、ベロニカとしてはどの程度に有名で憧れるべき人間なのかわからない。


「あの人、1人なのかしら。冒険者ってパーティ組むものなんじゃないの?」

「ソロじゃ受けられないクエストでもない限りは、別に1人でも問題ないですね。固定のパーティ組んでる奴らもいますけど、必要な時だけお互いに必要な職業の人間探して野良で組んだりとかするのも多いです。報告が1人ってことは、今回はソロだったんじゃないですかね」

「そうなのね」


 知らない単語がたくさんあったが、そのうちに覚えていけばいいとベロニカはこの場で質問責めにすることはやめた。

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