第2話


「さあ! 行くわよ!」


 婚約解消を受け入れた翌日早朝。ベロニカはケニーを引っ張るようにしながら屋敷を出た。父親、母親、それから屋敷の人たちには


『心の傷を癒すために旅に出ます。探さないでください。

 追伸:護衛にケニーを貰っていきます。』


 と、ちゃんと手紙を書いてある。これで心配されることはないだろう。

 ベロニカは自信満々な顔で敷地を飛び出したのだが、その考えが甘くて、この数時間後に大騒ぎになるとは今の彼女には思い至らなかった。


「お嬢様、本気ですか?」


 呆れたような声を出しながらも、ケニーは反対する様子もなく後ろをついてくる。ベロニカは、小さなポーチを腰につけただけの軽装で、ショートブーツを軽やかに鳴らしながら歩く。

 身体の動きを邪魔しないブラウスに腰までの短いマント、膝丈のスカートにタイツにショートブーツ。革の手袋は、指の部分が出るようなデザインだ。豊かな巻き髪は後ろで一つに結び、リボンで止めている。


「本気よ」

「突拍子もないこと言い出すのは知ってましたけど、それにしても」


 ベロニカも軽装だが、ケニーもいつものような執事然とした服装ではなく、平民、どちらかと言えば駆け出し冒険者のような服装をしていた。さらには腰にはロングソードを携えているので、剣士のように見えるだろう。


「私のこと、そんなに強い強いって言うのなら、冒険者にでもなってやるわ!」

「傷心旅行なんじゃないんですか」

「だから、心の傷を癒しながら冒険者として名を上げるのよ。そうすれば、アントニオ様に振られたのだって『こんなに粗暴なご令嬢じゃ妃には向いていなかった』って、きっと、世間、も納得し、て……う……っ」

「傷付くなら、そういうこと自分で言うのやめましょ?」


 言いながら落ち込んで、庭の木に頭をぶつけるベロニカを憐れむ目で見たケニーは、腰の剣を撫でて少々不安そうな顔をする。


「それにしても、これ持ってきちゃって良かったんですか? 旦那様に怒られません?」

「良いのよ。それ、普段は広間に飾ってあるだけなんだから。代わりのを置いておいたわ」


 宝物庫から持ち出した見た目だけ立派な剣をダミーにしてこれを持ち出してくるとは、さすがのケニーも想像していなかった。

 絶対怒られる。怒られるだけで済めば恩の字で、ただの使用人のケニーなどは首を切られるかもしれない。いや、文字通り斬られるかもしれない。


「この剣、家宝じゃないんですか」

「そうみたいね。精霊剣とか聞いたわ」

「……この国の伝説の武器ですよね?」

「ええ。ご先祖様が使ってたんですって。それ、使える人は限られてるって話だけど、あなた使えるでしょう?」


 どうして使えると思うんだ? と怪訝そうな顔になるケニーに、ベロニカは明るく笑う。


「だって、小さい頃あなたそれ抜けたじゃない」

「……覚えてるんですね」

「ええ。私は抜けなくて悔しかったんだもの。忘れるはずないわ」


 幼い日、家宝の剣は選ばれしものにしか抜けない、などという話を聞いたベロニカは当然のように大人に見つからないように引き抜きチャレンジをしてみた。巻き込まれたのは、その当時からベロニカの遊び仲間として傍に仕えていたケニー。


「ぬけないわ」

「精霊の愛し子っていわれる、才能ある人にしか抜けないって言われたじゃないですか」

「わたしじゃだめなの?」

「駄目だから抜けないんですよ」


 この当時からベロニカに対して遠慮の文字のないケニーはそう言って、軽く鼻で笑った。当然、使用人からそんな態度を取られたベロニカはカチンときた。だから、彼に剣を押し付けて言ったのだ。


「ケニーもやってみなさいよ。どうせあなただってぬけないんでしょ」

「おれ?」


 ちょっとだけ目を丸くしたケニーは、すぐに真剣な顔になると、柄に手をかけた。それから、ぐっと力を込めてそれを引き抜こうとする。ぐぐぐ、と力を入れている腕が震えている。


「ほーら、やっぱりあなたにもぬけな――」


 人のことは言えないではないか、とやり返そうとしたベロニカだったのだが、目の前で薄水色の本体を現しつつある剣を前にぽかんと口を開けた。


「……へ?」

「あ、抜けそう」

「え?!」

「っ、と身長の問題で、これ以上は抜きにく……」

「うわぁああ?! なにぬいてるのケニー!!」


 慌てたベロニカは剣をケニーから奪い取って鞘に収め、元の場所に戻した。その時に少し切ってしまった手の平の傷は、いまだにうっすらと残っている。

 遊んでいて転んで手を切ってしまった、と言い訳したベロニカだったが、石で切った傷と剣で切れた傷は全く違うものだ。大人が気付かないはずがない。しかし、嘘を吐いた彼女に家族はなにも言わなかった。多分、彼女の家族は、本人が抜いたのだと思ったのだろう。

 先祖が使っていたという、選ばれしものにしか抜けない剣。うちの娘は選ばれしものなのだ、とそう思ったに違いない。それまでもかなりじゃじゃ馬な娘ではあったのだが、それ以降、両親は輪をかけてベロニカの言動に制限を掛けることはなくなった。

 とはいえ、ベロニカ・アンヘルという人は元々が善人でお人好しなので、彼女が誰かを不当に傷つけることはなかった。貴族らしからぬ裏工作などには縁のないバカみたいに真っ直ぐな人間に育ってはいたが、それだけだった。

 

「どうせ他の人には抜けないものなんだもの。だったら、使えるあなたが持って行くべきだわ」

「まあ、そこそこ剣術は習っていますけどね。お嬢様を守るために」

「……私を守るなんて言ってくれるのは、ケニーだけよ」

「仕事ですから」


 にこりと微笑むケニーに、ベロニカはじっとりとした視線を向けた。


「仕事でも、よ。私にそう言ってくれるのはあなただけだもの。貴重な人材だわ」

「それは、今のお立場だからの話ですよ。本当に冒険者になるのなら、駆け出しであれば先輩冒険者の世話になることも多いでしょう。その中には、勇者や英雄と言われるほどに強い男も何人もいるでしょうね。その手の連中は一見女性に優しいようですから……」


 ふう、と溜息を吐きながらケニーは冷めた目をした。


「お嬢様、お願いですから、そういう男に守られたからって安易に恋になんて落ちないでくださいよ。身分違いの恋とか、面倒ったらないじゃないですか。相手の身辺調査とかしなきゃいけないの俺ですからね。お嬢様、そういうところ本当にチョロそうで心配なんですよ」

「……大丈夫よ、多分」

「多分、ねぇ?」


 ケニーはベロニカにとっては遠縁であり、彼自身も精霊剣を使っていたご先祖様の血を引いているので、選ばれしものになっても不思議はない。彼らの関係を表すなら幼い頃からの悪友のようなもので、彼は雇い主の娘であるベロニカに対しても遠慮がなかった。


「で? どうするんです? 本当に冒険者になるのなら、冒険者ギルドに登録しなきゃいけないですけど――昨日まで王子の婚約者だった侯爵令嬢が王都で冒険者になるなんてのは問題でしかないですから、そういう話の回ってきにくい少し離れた町まで行かなくちゃいけませんね」

「確かにそうね。じゃあ、どこの町に行けばいい?」

「お嬢様、本当になんにも考えずに飛び出してきたんですね」


 呆れ顔を隠さないケニーにムッとしたベロニカは、乗合馬車の乗り場を見つけてそこを指差した。


「とりあえず、アレに乗りましょ」

「どこに行く馬車ですか?」

「知らないけど、どうにかなるわよ」

「……いや、本当になんにも考えてないですね、お嬢様」


 いいから、とケニーを引っ張って馬車に乗り込もうとしたベロニカだったが――


「お嬢さん、前払いだよ」

「え? あら、ごめんなさい」


 ポーチを漁って金貨を取り出そうとするベロニカをそっと手で制して、ケニーは自分のポーチから銅貨を数枚取り出した。


「カミノラまで、この子と俺の2人」

「なんだ、兄ちゃんたちは兄弟かい」

「まあ、そんなもんかな」


 ほら、とベロニカに手を差し出して少々乱暴に引き上げたケニーは一番奥まった場所に腰を据える。戸惑っているベロニカに「座って。他の客の邪魔になる」とつっけんどんに言って背中を壁にもたれされ、目を閉じた。まだ早朝だ、無理矢理引っ張り出された彼は眠いのだろう、と思ったベロニカだったが。


「ケニー、あの」

「…………」


 おどおどしているベロニカを薄く片目を開けて見た彼は、ぐいっと彼女の手を引いて横に座らせると、自分の肩に寄り掛からせるように頭を抱き寄せた。


「ちょっ……!」


 いきなりなにをするの、と抵抗するベロニカの耳元に彼は囁く。


「金持ちだって知られたら狙われるから、大人しくしてて」


 あまりにも質素で硬そうな、しかも直接床に腰掛けろと言われてご令嬢育ちのベロニカは戸惑ったのだ。しかし、そんなことに驚いていてはこれから先冒険者などできない。腹をくくって、ケニーと兄妹のフリをすることに決める。


「……わかったわ」

「どうしてもお尻が痛くなるようだったら、膝に乗せてあげてもいいよ」


 にんまりしたケニーの脇腹を指先で突いたベロニカは、彼を真似して目を閉じることにしたのだった。

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