ベロニカは傷心旅に出ることにした。
二辻
第1話
ぺゼリア国第三王子アントニオ・マグノリアの婚約者、ベロニカ・アンヘル侯爵令嬢はその日貴族令嬢たちに宣言した。
「アントニオ様の婚約者の座を狙うのなら、ありもしない悪事を仕立て上げて私を悪女にするのではなく、正々堂々と掛かっていらっしゃいませ! 私は逃げも隠れも致しません。いついかなる時でも、そしてどのような挑戦であってもお待ちしておりますわ!」
いつの間にか巷で流行っていた悪役令嬢モノ。それはぺゼリア国でも例外ではなく、物語を真に受けたご令嬢たち、その手の物語で王子の愛を勝ち取ることの多い子爵・男爵令嬢などは特に、アントニオの婚約者の座、真実の愛の相手、つまりは玉の輿を狙ってあれやこれやと動き始めていた。
ベロニカの前で階段から落ちる。よろけた拍子に噴水に突っ込む。誰かに嫌がらせのようにノートを汚され破られ、珍しく単独行動をしていたアントニオの前でそのノートを落としてはらりと涙をこぼす。
挙げ句、ベロニカの大事にしていた髪飾りがなくなったかと思えば、とあるご令嬢の鞄の中から出てきて「私、知りません!」とアントニオと周囲の貴族令息に涙で訴える、等々。
よく飽きないものだ、とは誰かさんの台詞ではあるのだが、そんな毎日に猫の額程度には心の広いベロニカだったがプツンと切れた。
その果ての、冒頭の宣言である。
自分以外にも同じようなアピールをしている娘が何人もいるというのに、ご令嬢たちは自分たちの間で足の引っ張り合いをすることはない。あくまでも、敵はベロニカだけなのだ。
正直言って興味のない悪意を向けられても笑顔でいることは可能だったが、それにしても、人が良いのかアホなのか、ご令嬢ズに泣きつかれるたびに「可哀想だよ」と言い出すアントニオにも頭は痛かったし、腹が立った。
ベロニカがなにかやらせているわけではないというのは付き合いの長さから理解しているようだが、それにしても「彼女たちも一生懸命なんだから」とこの状況を迷惑と思っていなさそうなのには頭を掻き毟りそうになったし、実際ストレスでハゲかけた。
そして、いわれのない悪評を流されている私は可哀想ではないのか? と毎夜枕に八つ当たりをした。
ベロニカは、アントニオの優しいところが昔から好きだった。しかし、それも度が過ぎれば頭痛の種になる。どんなに好きであったとしても――誰にでも優しい彼が好きだったのだけど――それにしてもこの状況がベロニカにとって喜ばしいものではない、というのを理解してくれないのは褒められたものではなかった。
はっきり言おう。ベロニカはそれなりに優秀と評価される人間だった。ある程度練習すれば、どのようなものもあるレベルまでは使いこなせるようになった。本も一度読めば覚えられたし、記憶するだけでなく物事の応用もそれなりに出来た。貴族令嬢ではあるが、料理や菓子作りだって出来る。花も育てられるし、詩を書くことも出来た。ただ、どれもトップレベルというには遠く、しかし貴族令嬢としては十分すぎる技術を取得していたのだった。
そんな彼女なので、あれこれ手を変え品を変え勝負を挑まれたところで簡単に負けはしなかった。それはもう、千切っては投げ千切っては投げ、見事なまでにベロニカの後ろには敗北者となったご令嬢たちの屍(仮)が累々と積まれていったのだった。
のだった、が。
「ぶわあっはっはっはっはははははははは!!!」
ソファーに泣き崩れているベロニカの後ろで、執事姿の男が爆笑していた。
「ひぁっ、はっ! そ、それで! お嬢様ってばあんなに頑張ってたのに、ノーマークだったメイドの娘に持っていかれるって……ふ、ふはっ! あはははははは!!」
「笑いすぎよ、ケニー」
正々堂々と、というベロニカの宣言に馬鹿正直に挑んできたものばかりではなかった。が、裏で手を回そうとしている娘も、次々とっ掴まえては正面からの勝負をしてきたベロニカだったのだが。
当然、そんなご令嬢方の相手をしていてはアントニオとの甘い時間など取れなくなる。そもそも、最初からそんなのはなかった。頼れる幼馴染として見られているのはわかっていたし、彼がベロニカを強い女だと認識しているのも知っていた。
「でも、だからって……彼女にはベロニカにはないたおやかさがあるんだ、ってなんなのよ?!」
「たおやか――姿・形がほっそりとして動きがしなやかなこと、態度や性質がしとやかで上品なこと、でしょうか」
「私、別に太ってはいないわ」
「どちらかと言えば、お嬢様に不足しているとされたのは、『淑やか』という部分ではないですかね。淑やかという言葉は、言動が落ち着いてもの静かである様子、優雅で上品である様子、つつしみ深いことを指しているそうなので」
生まれた家柄からして、ベロニカの立ち居振る舞いが粗雑ということはない。
しかし、あらゆる物事に真正面から立ち向かい、立ちはだかり、ある意味ラスボスのようにそびえたっていたベロニカは、誰の目から見てもか弱くて庇護欲を掻き立てるような女性ではなかった。
まあ、つまりは。簡単に言えばアントニオは『強い女ベロニカ』に引いたのだ。そして、肉食獣のごとく自分の妻の立場を狙って、ギラギラと瞳を輝かせているご令嬢方にも恐怖と嫌悪感を覚えたのだ。
そんな時、近くにいたのは彼の身の回りの世話をするメイドの娘。身の程をわきまえていた彼女は、疲れて傷ついているアントニオを、それはそれは優しく慰め、励ました。そして、いつも隣で穏やかに微笑んでいるメイドの娘に、アントニオは心を奪われ「真実の愛を見つけた」などとのたまった。
王宮勤めなのだから、当然メイドとはいえ貴族出身。お決まりの没落しかけている男爵家の長女。
かくして、ベロニカはあっさりとアントニオから婚約解消を申し出られてしまったのだった。
「婚約破棄じゃなかっただけマシだと思わなければいけませんよ」
「どう違うのよ。違わないわよ。私はアントニオから婚約者、未来の妻として相応しくないって思われたのは事実じゃない」
「そこは否定しませんけどね」
アンヘル家の執事見習い、ベロニカとは幼馴染でもあるケニー・ナサリオは黒檀のような瞳に浮かんだ涙を拭う。
「ただ、アントニオ様はご自分が心優しいメイドに惹かれてしまっただけで、お嬢様には非はないって明言しているじゃないですか」
「そうね」
ベロニカは遠い目になる。
まるで悲劇の主人公のように、傷ついたのは自分の方とでも言うように、アントニオは涙ながらに語ったのだ。
「ベロニカは悪くないんだ。ただ僕が、身近に咲いていた美しい花に気づいてしまっただけ。君を女性として愛せなかった僕がいけないんだ」
ふざけているとしか言えない。一体、ベロニカが誰のために、誰に愛されるために努力してきたと思っているのか。一方的に悪者にされるのに耐えて泣き暮らしていれば憐れまれたのか、愛されたのか。
我慢に我慢を重ねた挙句、その場合でも肉食系令嬢たちに恐怖するアントニオを慰めて彼の心を射止めたのだろうメイドに負けるのであればやりきれない。
「それに彼女は、可憐で、か弱い女性で、僕でも守ってあげられると思うんだ。でもベロニカはそんなに強いじゃないか。僕がいなくても1人でも生きていかれるよね?」
そういう問題じゃない。
アホなのか。アホだったんだな、あの男。
ベロニカはなにを言っても傷付かないとでも思っているのではないだろうか。
そんなわけはない。
ベロニカだって1人のうら若き女性だ。好きな男から振られれば傷付く。
でも。
好きな男が、自分で一緒にこれからの人生を歩みたいと思う相手を、共に幸せになれる相手を見つけたと言うのだ。ここでゴネたところで、またメイドに慰められて愛が深まるだけだ。
二人の障害となって愛を育む手伝いをこれ以上続けるのはまっぴらごめんで、なおかつせめて最後くらいは美しい思い出――なんだかんだいっても聞き分けの良い素直な婚約者だった、という形で彼の記憶に残りたかった。
かくして、婚約解消を文句も言わずに受け入れたベロニカ・アンヘル侯爵令嬢は、傷心旅行に出掛けることにした。
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