「向日葵。そろそろ出て来い」


「……」


“合コン”という名のクラス会から3日。



 あたしは閉じ篭った。



 パパとママと太陽が、あたしをそっとしておいてくれたのは3日だけで、



「出て来ないならこっちから開けるぞ?」


「……」


「本当に開けるぞ?」


「……」


「噛まれても開けるからな?」


「……」


 いよいよ実力行使に出られた。



 ガラッと扉を開けられて、外から射し込む光の眩しさに目を細めたあたしに、



「クローゼットに閉じ篭るのはやめろ! 狭いだろ!」


 太陽はそう言いながら、目の前にしゃがみ込む。



「向日葵」


「……」


「臭い」


「……」


「とりあえず風呂に入れ」


「……」


「向日葵?」


「……」


「ずっとここにいるつもりか?」


「……ここに住む」


「え? クローゼットに?」


「……うん」


「狭いぞ?」


「うん」


「トイレはどうすんだよ?」


「極力食べないようにする」


「プリンパフェも?」


「…………うん」


「風呂はどうすんだよ?」


「我慢する」


「臭いぞ?」


「うん」


「……」


「……」


「向日葵。とりあえず出て来い」


「やだ」


「マジで臭い」


「やだ」


「びっくりするほど臭い」


「やだ」


「このにおいがトラウマになりそうだ」


「やだ」


「……」


「……」


「じゃあ、こういうのはどうだ?」


「どういうの?」


「俺は今からひとっ走りしてブンブン堂でスペシャルジャンボプリンパフェを買ってくる」


「うん」


「その間に向日葵は風呂に入ってて、出てくると俺が買ってきたスペシャルジャンボプリンパフェが食える」


「……」


「しかも2個も」


「……」


「でも風呂に入ってないと食べられない」


「……致し方あるまい」


 渋々ながらも承諾したあたしに、太陽は「絶対風呂に入れよ」って言ってブンブン堂に走っていった。



 だからあたしは3日ぶりのお風呂に入る事にした。



 お風呂から出ると太陽は、もう先に部屋に戻ってて、



「うん。いい匂い」


 隣に座ったあたしの頭の匂いをクンクン嗅ぎながらスペシャルジャンボプリンパフェを渡してくれた。



「あたし、プリンパフェならバケツくらいの大きさでも食べられる」


 自慢しながらスペシャルジャンボプリンパフェを食べ始めたあたしの隣で、



「今度クローゼットに閉じ篭ったらブンブン堂にバケツ持って頼みにいく」


 太陽はツヤツヤになったあたしの髪を撫でる。



「将来、ブンブン堂に住むっていうのはどう?」


「クローゼットに住むって言われるよりはマシかな」


「……」


「向日葵」


「うん」


「何でクローゼットに住む?」


「危ないから」


「何が危ない?」


「世間は危険で溢れてるから」


「そうか」


「うん」


「出来ればどんな危険で溢れてるのか教えて欲しいなぁ」


「色んな危険で溢れてる」


「……そうか」


「うん」


「……それって、この間の合コンでキスされた事も含まれてるのか?」


「うん」


「……そうか」


「油断ならない」


「そうだな」


「うん」


「……」


「……」


 太陽の方も見ないでスペシャルジャンボプリンパフェに夢中のあたしは、太陽が体をこっちに向けた気配に気付いて顔を上げた。



「あのな、向日葵」


 ジッとあたしを見つめる太陽は、やけに真剣な顔をしてて、



「うん?」


 普段余り見る事のないその表情にきょとんとしながら返事をすると、太陽はあたしの体を反転させて向き合う形で座らせる。



「世間は危険で溢れてるだろ?」


「うむ」


「でもだからってクローゼットに住んじゃダメだ」


「何で?」


「そんな事したら俺が寂しいだろ?」


「何で?」


「クローゼットじゃ一緒に遊べない」


「……うむ」


「それに世間は危険だけど、誰もクローゼットに住んでないだろ?」


「うぬ」


「だから向日葵もクローゼットに住むのはやめろ」


「でも、」


「大丈夫だよ」


「何が?」


「キスの事は俺の不注意だったけど、これからはもうあんな事はない」


「……」


「これからはちゃんと俺が守るから」


「……太陽が?」


「今までだってちゃんと守ってきたろ?」


「太陽が!?」


「この間だって話してたじゃねぇかよ」


「何を!?」


「救急車の話!」


「救急車の話?」


「お前が木に登って落ちただろ?」


「うん。血がいっぱい出て死ぬかと思った」


「俺の血な」


「……太陽の血?」


 きょとんと聞き返したあたしに、太陽は溜息を吐き出す。



 だけど「俺の血」なんて言われたところで、その意味が分からなくて――…でもよくよく思い出してみるとおかしな場面がある。



 救急車の中の記憶で血まみれのあたしは座ってる。



 横たわってるのは太陽で、救急隊のお兄さんに「大丈夫だから」って優しく諭されても泣き喚くあたしの手を握って、



「大丈夫だよ」


 太陽は血の気のない顔でそう言った。



 死んじゃうんじゃないかって思った。



 だけどそれは“あたしが”じゃなく、“太陽が”で、



「お前が落ちてきたのを受け止めた拍子に引っくり返ったら、そこにでっかい枝があって俺の尻に刺さったの覚えてねぇのか?」


 そう言われて思い出すのは、あの時「やべっ」って言った直後の太陽。



 木から足を滑らせたあたしに「やべっ」って言った太陽は、そのまま落ちていくあたしに腕を伸ばしてた気がする。



 年月とショックに記憶が曖昧になったみたいで……確かにあんなに血が出た割には、あたしの体には傷なんてどこにもない。



「太陽はあたしを守ってくれるの?」


 あの頃の記憶を修正したあたしの質問に、



「そうだぞ? ずっとそうしてきただろ?」


 太陽は当然だって感じで答える。



「あたしも太陽の事守ってるんだよ?」


 そしてあたしのその言葉にも、



「うん。知ってる」


 当然だって感じで答える。



「向日葵」


「うん?」


「俺は一度も向日葵に守ってくれなんて言ってないよな?」


「うん」


「だけど向日葵は俺の事を守ってくれてるんだよな?」


「うん」


「俺も向日葵に何も言われてないけど、ちゃんと向日葵を守ってるんだよ」


「うん」


「じゃあ、何で向日葵は俺の事守ってる?」


「だって太陽はあたしの大事な太陽だもん」


「だろ? 大切だから守るんだろ? 俺だって向日葵が大切だから守ってる」


「うん」


「世間は危険で溢れてるけど、その分向日葵を大切に思ってる気持ちでも溢れてる」


「太陽以外に?」


「そりゃそうだろ。向日葵の親も向日葵を大切に思ってるだろ? 俺の親だって向日葵を大切に思ってる」


「そっか」


「だから向日葵はクローゼットに住まないで、今まで通りこの部屋に住む」


「うん」


「これからもちゃんと俺を守って、俺に守られる」


「分かった」


「それからな、向日葵」


 太陽はそう言って両手を伸ばしてあたしの頬に触れる。



 ポカポカ温かい太陽の手が、妙に心地良く感じた。



「合コンでの“あれ”は本当のキスじゃない」


「なぬ?」


「あれは挨拶みたいなもんだ。外国映画とかでもあるだろ?」


「うむ」


「それと一緒で特別な意味は何にもない」


「んー…」


「本当のキスってのは大切な人とするから“本当のキス”なんだと思う」


「……そっか」


「だから大丈夫だよ」


「何が?」


「向日葵の本当のファーストキスは俺がもらっておくから」


「えぇ!?」


「向日葵は俺が大切だろ?」


「うん」


「俺も向日葵を大切に思ってる」


「うん」


「攻撃は最大の防御って言葉がある。また何かややこしい事が起こる前に先手を打っておこう」


「分かった」


「俺にとっても本当のファーストキスだ」


 そう言った太陽は、あたしに顔を近付けて――…何が何だか分かんないまま、あたしは口の中を太陽にぺロリと舐められた。



 あたし達の本当のファーストキスは、スペシャルジャンボプリンパフェの美味しい味だった。

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