悪気


 5回。



 もう5回も携帯電話が鳴ってる。



 鳴っては切れ、数分空けて鳴っては切れる。



 着信音が切れるのは留守番電話に切り替わる所為で、目の前で鳴る携帯電話を取れないのは、



「マジで何考えてんだって話だよ」


 正面にいる『あのね君』がずっと怒ってるから。



 電話を掛けてきてるのが太陽だって分かってる。



 あれからの時間経過からして、多分店の前にいる。



 そしてきっとその事を『あのね君』も分かってる。



 分かってるけど、怒ってる。



 もしくは、分かってるから怒ってる。



『あのね君』のお説教は、電話が鳴り始めると更に声の荒げ振りを増して、「ごめんなさい」って言おうとしても、そのタイミングが分からない。



『あのね君』は凄く怒ってる。



 それくらいはあたしにも分かる。



 怒ってる理由もさっきからのお説教でちゃんと理解してるつもりだけど、「ごめんなさい」を言うタイミングがない。



 怒ってる内容に対して納得してるしてないじゃなく、ここまで怒らせるような事したから「ごめんなさい」しようと思ってるのに、



「変な子だとは思ってたけど、常識なさすぎだろ。俺の言ってる事間違ってる? 間違ってねぇよな?」


 次から次へと捲し立てるから、もう俯く事しか出来なくなる。



 早口の人は得意じゃない。



 太陽はこんなに早口で喋らないのに、『あのね君』は早口で喋る。



 息継ぎする間もないくらいずっと喋る『あのね君』は、ちょっと変わった人だけど頭がいいのかも知れない。



「って、俺の話聞いてんの? 向日葵」


「……うん」


 ちょっと変わった頭のいいっぽい『あのね君』は、あたしを呼び捨てにする。



 パパと太陽以外の男の人に呼び捨てにされるのは初めてで……何でか凄く不愉快。



「正直、向日葵の何がいいのか分かんねぇ。可愛くもねぇし」


「……うん」


「一体どこが良くて惚れてんだって感じだよ」


「……うん」


「太陽、頭おかしいんじゃね?」


「へ? 何で太陽?」


「はぁ?」


 思わず顔を上げたあたしに、『あのね君』はあからさまに不愉快って表情をして、



「俺の話聞いてねぇの?」


 眉間に深い縦ジワを刻む。



「聞いてるけど……太陽関係ないじゃん」


「……何それ。かばってんの?」


「庇うとか庇わないとかじゃなくて、太陽関係ないじゃん」


「喧嘩してんじゃねぇの?」


「喧嘩してるとかしてないとかじゃなくて、太陽関係ないじゃん」


「うぜ」


「うぜとかうぜくないとかじゃなくて、太陽の事悪く言わないでよ」


「マジうぜ」


「マジとかマジじゃないとかじゃなくて――…」


「俺の向日葵に意地悪しないでくんない?」


 あたしの反論を遮った声に驚いたのは『あのね君』だけだった。



 正面に座るあたしを睨み付けてる『あのね君』には、後ろにある出入り口から入ってきた太陽が見えてなくて、真後ろに立った事にも気付いてなかったみたいで、



「な、……んだよ」


 椅子から半分ズリ落ち気味で振り返った『あのね君』は、さっきまでの威勢はどこへやら太陽を見上げて情けない声を出す。



「何だって言われても……向日葵に意地悪すんなってだけ」


 涼しい顔してそう言ってのけた太陽は、『あのね君』からあたしに視線を向けて、



「向日葵帰ろ」


 手を伸ばしてくる。



 差し出されたその手に、あたしも手を伸ばそうと――…して、その手を引っ込めた。



「向日葵?」


「……」



 本当、考えれば考えるほど『あのね君』はよく分からないし、そんなに怒らなくてもいいじゃんって思うけど。



「向日葵?帰らないのか?」


「……」


 でもこの状況で太陽と帰るのはどうしても『あのね君』が可哀想だと思う。



 あたし達が帰った後、ポツンとここに残される『あのね君』を考えると、さっさと帰っちゃうのは何か違う気がして――…



「え!? 何で!? 何で向日葵が反抗期!?」


「は!? 俺に聞かれても知らねぇよっ」


「……」



「お前、向日葵に何か言ったろ!」


「何かって何だよっ」


「……」



「……おい! 向日葵が俯いて下唇突き出してんじゃんかよ!」


「俺が知るかよっ」


「……」



「お前何言ったの!? 向日葵に何言ったの!?」


「別に何も言ってねぇよっ」


「……」



「向日葵グレちゃったじゃんかよぉ!!」


「知らねぇってっ」


「……」



「え!? どうする!? 俺、どうしたらいい!?」


「そ、そもそも太陽が迎えに来んのが悪いんだろうが!」


「……」



「何で迎えに来ちゃダメなんだよ!?」


「何で俺と遊んでんのに迎えに来んだよ! おかしいだろうがっ」


「……」



「何でだよ! じゃあ、お前ちゃんと向日葵送るのか!? 家まで送るのか!?」


「はぁ!?」


「……」



「送らねぇだろ!? 送らねぇに決まってる! お前は送らねぇ顔してる!!」


「お、送れって言われたら送るよっ」


「……」



「言われなきゃ送らないんだろ!? 危ねぇじゃんかよ! 向日葵誘拐されたらどうすんだよ!?」


「……されねぇだろ」


「……」



「言い切れるのか!? 向日葵が誘拐されないって言い切れるのか!? されたらどう責任取るつもりだ!? 向日葵が明日のニュースに流れたらどう責任取るんだよ!!」


「そ……そこまでの責任感背負って誘ってねぇよ……」


「……」



「……まぁいい。その話はまぁいい。とりあえずお前、向日葵に『可愛い』って言え」


「はぁ!?」


「……」



「いいから言えって!! 向日葵拗ねてんじゃんかよ!! 機嫌取らなきゃ帰ってくれねぇじゃん! ほら、『可愛い』って言えよ!」


「何で俺がそんな事言わなきゃなんねぇんだよっ」


「……」



「お前が怒らせたんだろ! いいから早く言えって!!」


「嫌だよ! 何でだよ!」


「……」



「じゃあ俺はどうやって向日葵連れて帰りゃいいんだよ!」


「知るかよっ」


「……」



「……向日葵は今日も可愛いな!」


「……」


「……」



「ほら見ろ! ほら見ろ!! 俺が言っても無反応じゃねぇかよ!!」


「俺は関係ねぇだろ! こっちに振んな!」


「……」



「お前が悪いんだろ!?」


「お前だろ!」


「……み、」



「ほら見ろ! 『み』とか訳分かんねぇ事言っちゃってんじゃんかよ! お前噛まれろよ!? 噛まれるならお前だぞ!?」


「何でだよ! 噛むって何だよ!!」


「みんなで、帰ろう」



「……」


「……」


「……」



「おい!早く立てよ!! お前がまず立てよ!! 向日葵が帰る気になってんだろ!?」


「うるせぇ! 言われなくても立つっつーんだよ! 椅子蹴んな、太陽!」


「……」



「向日葵、おいで。ほら、おいで」


「……ちっ」


「……」



「おい!! お前が舌打ちとかするから向日葵が近付いてこないだ――…あ、向日葵待って!」


 ツカツカと出入り口に歩き始めたあたしに、2人はついて来る。



『あのね君』まだブツブツ文句を言ってて、たまに舌打ちもしてたけど……それでも一緒に喫茶店を出られて良かったとは思う。



 あたしに悪気はなかった。



 太陽に迎えにきてもらう事で、そんなに怒られるとは思ってなくて……でも『あのね君』が怒ったって事は、『あのね君』が嫌な気持ちになったって事。



 悪気はなかったけど、『あのね君』は太陽の悪口言ってムカつくけど、それでも……



「……ごめんなさい」


 喫茶店を出たところで、振り返ったあたしは太陽の体に半分身を隠しながら『あのね君』に謝罪した。



 あたしの謝罪に『あのね君』はちょっと驚いた顔をして、



「全然気にしてないぞ?」


 太陽はそう言ってあたしににっこり笑う。



「お前じゃねぇだろ、太陽! 俺だ、俺!」


「あぁん!? お前も気にしてねぇだろ! 代わりに言ってやったんだろうが!」


「……」



「だから何でお前が代わりに言うんだよ! 原因はお前のくせに!」


「いいからお前も向日葵に謝れ!」


「……」



「何でだよ! 俺悪くねぇだろうが!!」


「意地悪しただろ! してただろ! 俺はこの目ではっきり見たぞ!」


「……帰る」



「意地悪なんか――…」


「そうだな、向日葵。帰ろう。こんな奴放って帰ろう」


「あのね君、ごめんね」


 もう一度『あのね君』に謝罪すると、『あのね君』はさっきよりきょとんとしてた。



 それでも自己満足かも知れないけど、『あのね君』にちゃんと謝ったからちょっとだけ胸のモヤモヤはなくなった。



「じゃあな、『あのね』! もう向日葵貸してやんねぇからな!」


 モールを歩き始めた太陽の捨て台詞に、『あのね君』は「はぁ?」って小さく困惑した。

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