まさかの罠
喉元過ぎれば何とやら。
寝不足が解消された翌日から、あたしはいつも通り毎日を過ごしていた。
太陽に噛み付く事もなく、学校とブンブン堂と家の往復の日々。
そんなある日にそれは起こった。
寝不足お弁当事件から1週間が経とうとした頃、それは起こった。
っていうか最初から、何だかおかしいと気付くべきだった。
「今日、放課後用事あるから一緒に帰れない」
朝一番でそんな報告をした太陽が、その日のプリンパフェと珈琲ゼリーのお駄賃をくれた時点で、何かがあると分かるべきだった。
だけどあたしは何も気付かず、貰ったお駄賃を意気揚々とポケットに納め――…
「…………ぬ?」
…――放課後、昇降口で下駄箱を開けた直後に変な声を出す羽目になった。
下駄箱の中には小さなメモ。
大してそれに驚かなかったのは、太陽と付き合うようになってから、ちょくちょくこうして手紙を入れられるようになったから。
今や学校内の男子の中で"謎のいい女"であるあたしは、たまにこうして手紙を入れられるようになった。
でも何だかちょっと変だと思った。
これが俗に言う第六感とかってやつかもしれない。
何となくそのメモは見ちゃいけないような気がして――…
「なんと!?」
見ちゃいけないと思いながらも、自然とそのメモを開いたあたしの口から何とも奇怪な声が出た。
メモの差出人はすぐに分かった。
内容を読む前に字で分かった。
そしてその内容に、
【明日、弁当2つ作って。 By太陽】
油断していたとは正にこの事。
油断どころかもうすっかりと忘れてたお弁当事件。
太陽もあの日以来何も言わないから、もう納得したのかと……もしくは忘れたんだと思ってたのに、太陽は忘れるどころかそのタイミングを見計らっていたらしい。
「むっきぃぃ」
思い出した寝不足の辛さに、奥歯を噛み締めて携帯を取り出し、すぐさま太陽に電話をしたのまでは良かったけど、
『【お掛けになった電話は現在――…】』
まんまと電源まで切られてた。
信じられない罠の連続に、怒り狂って太陽の家に行ったけど、おばさんに「一緒じゃないの?まだ帰ってないわよ?」って言われて、太陽が本気で逃げてるんだと心底悟った。
結局夜中まで部屋の窓から太陽の部屋を覗いてたけど、太陽は一向に帰ってくる気配はなく、となると本当にお弁当を作るしかないから、深夜1時に布団に入った。
太陽を待ち伏せしてた所為で明らかにいつもより寝るのが遅くなったあたしは、
「…………むー…」
翌朝5時に鳴った目覚ましに、もう空手チョップをお見舞いする元気さえなかった。
寝起きから絶好調のイライラに、カーテンを開けて太陽の部屋を見てみたけど、寝る前と変わらないままの部屋の雰囲気に、太陽にしてやられたとその時分かった。
太陽は絶対リビングで寝てる。
部屋に戻ったらあたしに捕まるから、リビングにいる。
こんな事なら夜にもう一度、太陽の家に行けば良かった。
なんて今更思ってもどうしようもないから、ブチ切れ3秒前の気持ちを落ち着かせて階段を降りた。
けどやっぱりイライラしまくってるから、階段を降りる足音は超大きかった。
前回と同じ玉子焼きだけのお弁当は、2つ作れという指令の所為で思った以上に時間が掛かった。
お弁当箱に詰めてる時に丁度起きてきたママに、「そんなお弁当で太陽君喜ぶの?」って聞かれたけど、「ふん」としか答えなかった。
起きてるのか気絶してるのか分からない状態で朝ご飯を食べて、この事態を招いた張本人の迎えをひたすらに待った。
待って、待って、待って……たのに、いつもの時間になっても太陽は迎えに来なくて、
「あら?もう学校に行ったわよ?喧嘩でもしたの?」
おばさんに不思議そうにそう言われて、一瞬髪の毛が全部逆立ったかと思うくらいムカついた。
しかも案の定太陽は、昨日の夜リビングのソファで寝てたらしい。
超寝不足な事なんて忘れて本気のダッシュで学校に行き、太陽のクラスに突入したけど太陽はいなかった。
どうも太陽は“その時”が来るまで本気で逃げ隠れするつもりらしい。
そこまでしてお弁当を作らせたいと思う意図が分からない。
たかがお弁当1つに、ここまで徹底してる太陽を相当な暇人だと思ってしまう。
でもそれに付き合うあたしも相当な暇人なんだと思う。
本当ならいくら逆らえない相手だからって、ここまで本気で付き合う事もない。
あたしは“その時”が来るまで怒りを抑える事にした。
……というより、寝不足なのに全力疾走した所為で体の疲れが半端なかった。
授業中何度も飛ぶ意識を一生懸命繋ぎ止め――…
「向日葵、弁当――…痛い痛い痛い痛い!!!」
…――“その時”。
お昼休みに姿を現せた太陽の腕に思いっきり噛み付いてやった。
「ひま、向日葵!」
「……」
「い、一緒に弁当食おう!」
「……」
「な、な!? そうしよう!」
「……」
「よ、よぉし! 中庭に行くぞぉ!」
「……」
「いや、マジで痛いから離してくれぇぇぇ」
「……」
喚き倒す太陽に優に1分は噛み付いた後、「また歯形がついた」だの「前世は犬か」だのと文句を言う太陽に中庭に連れていかれた。
文句を言いながらも太陽はやっぱりどこか楽しげで、中庭に着く頃にはまた、鼻歌混じりになっていた。
中庭の一番端で校舎に背を付けるようにして座った太陽は、
「弁当ちょうだい」
嬉しそうに両手を差し出してくる。
この間お弁当を作った時は一緒に食べなかったから、太陽がどんな感じか分からなかったけど、これだけ嬉しそうにしてくれるなら、もうちょっとおかずを入れてあげれば良かったって今更ながらに反省した。
手渡したお弁当を受け取った太陽は、やっぱり嬉しそうにそれを開けて、「いただきます」ってあたしに言う。
そんな言い方するからやっぱり、おかず増やせば良かったと思った。
「向日葵食わねぇの?」
「ふん」
「眠い?」
「ふん」
寝不足から何かを食べる気にもなれないあたしは、お弁当を食べる太陽の隣で左右に頭を動かしていた。
もう本当にヤバい。
眠くて仕方ない。
もうちょっと元気なら後何回かは太陽に噛み付いてやりたいくらいなのに、そんな元気もない。
ポカポカ陽気に誘われて、眠気が最高潮に達した頃、
「ご馳走さん。美味かった」
お弁当を食べ終わった太陽の声に、一瞬だけ眠気が覚めた。
「ふん」
「向日葵、昼休み終わるまで昼寝するか?」
「ふん」
「ちょっと待てよ?」
「ふん」
「ん、おいで」
「ふん」
芝生にゴロンと寝転んだ太陽は、左腕を伸ばして腕枕の体勢になる。
特に意味なんてないいつもの腕枕に、あたしは倒れるように芝生に寝転び頭を載せた。
「おやすみ、向日葵」
「……ねぇ、太陽」
「ん?」
「何でそんなにお弁当食べたいの?」
「あぁ、うん。もういいよ。今日が最後」
「……最後?」
「そうそう。だから一緒に食ったんだよ」
「……意味分かんない」
「んー…あのさ?」
「ふん」
「俺、女怖いから彼女なんか出来ねぇじゃん?」
「ふん」
「お前は彼氏なんか出来る訳ねぇじゃん?」
「なんだと!?」
「諦めろ、正論だ」
「……む」
「でさ?もっとずっと年取って、社会人とかになった時、高校時代を思い出したりするかも知れねぇじゃん?」
「ふん」
「その時に、向日葵に弁当作って貰ったなとか、太陽に弁当作ったなとか、他の奴らが彼氏彼女に対して思い出すみたいに、俺らもそういうのあってもいいと思ったんだよな」
「……ふん」
「まぁあれだ。青春の1ページ的な?」
「……ふん」
「だからもう今日が最後でいい」
「……ふん」
「お前をここまで不機嫌にさせるのも可哀想だしな」
「ふん」
「10年後くらいにこの思い出話しようぜ」
「ふん」
「向日葵、ありがとな」
「……あのさ?」
「ん?」
「青春の1ページなら――…」
ポカポカ陽気の太陽の匂いと、隣にいる太陽の匂いに包まれて、あたしは最後まで言葉を紡がないまま眠りに落ちた。
あたしと一緒に太陽も寝てしまったらしく、2人で目が覚めたのはもう夕方だった。
午後の授業をサボったあたし達は、帰り支度をしに教室に戻った。
教室に戻ってこっそり食べてみた玉子焼きは、驚くほど不味かった。
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