第三話① 月光、青い羽、導かれる結末。
写真を撮り、モニターで確認する。写真を撮り、モニターで確認する。
それを繰り返し、涌井教授の足取りを追った。
蓮見家の墓の前で長時間立ち尽くし、去って行った男性。それが涌井教授であることは間違いない。それなのに、先ほど僕が電話で友菜さんについて訊いた時、彼は白を切った。あの時僕がすぐ近くにいたこと、こうしてカメラで過去を写し取れること、それを教授は知る由もないから、嘘をついても問題ないと判断したのだろう。
もしかしたら同じ苗字の人がいて、友菜さんの墓は別にあるかもしれない。その可能性も考え、念のため蓮見家の墓が他にもあるか見て回った。が、珍しい苗字なのだろう、教授が眺めていたあの一つしか存在していなかった。
ひとつひとつ墓碑銘を調べていたおかげで、もう辺りは真っ暗になっている。過去の念写も光がなくてはまともに写らない。街灯が途切れた所で追跡は諦め、寝泊りしているネットカフェに戻った。
長期滞在で既に体に馴染んできている一人掛けソファに疲れた体を沈め、僕は考えた。
もし、涌井教授が友菜さんと知り合いだったとして。その上で「知らない」と僕に嘘をついたとして。だから何だというのだ。教授の嘘を暴いた所で、どうなるというのだ。僕が六年前のあの夜に、友菜さんを川に落としたという事実は変わらないし、友菜さんが帰ってくることも決してない。過去は変わらないんだ。
一つため息をついた後、スマホのロックを解除し、ツイッターを開く。またリコリスからDMが届いていた。
『ホリーさんは、白い彼岸花の花言葉って知ってる?』
なぜそれを訊いてくるのだろう。リコリスとは何でもない雑談を続けるくらい距離が近くなったが、その言葉には嫌でもあの日の記憶が重なる。手放したくないけれど、思い出すのはつらい。そんな汚泥にまみれた宝石のような記憶。
『知ってるよ』とだけ簡単に返した。その花言葉については、どちらも発言しなかった。まるで、大切な宝物を他人に見せたくなくて隠している子供のように。
後日、リコリスからのDMの受信を、スマホが知らせた。
その日は大きな満月が空で浮かんでいて、それを見上げた僕は言い知れぬ寂しさを感じた。暗く冷たい宇宙に浮かぶ月の姿に、世界で独りぼっちの自分の存在が重なったのだ。SNS上ででも誰かとの繋がりを感じたくて、スマホを取り出してカメラアプリで月を撮影し、ツイッターにアップしていた。
だからだろう、リコリスからのメッセージには『月が綺麗ですね』と書かれていた。
どの言葉も、星那に繋がってしまう。以前星那とその会話をしたことを思い出す。声にできないアイラブユーを、月の光が代わりに伝えてくれればいいと思っていた。
いくつかのやり取りの後、その言葉に返事をするなら何と言うか問われた。
『次の満月も一緒に見あげましょうって、そう言うよ』と文字を打って送信する。
これも星那と話した内容だった。想い出が苦く心に広がる。
その後なぜかリコリスは、僕の誕生日と性別を尋ねてきた。今日のリコリスは、どこか様子がおかしい。
『前に、同じ名前の猫の話をしたでしょう?』と、今度は唐突に猫の話になる。一体どうしたのだろうか。
DMの画面、リコリスの彼岸花のアイコンから、新たな吹き出しが現れる。
『その子の名前は、セナっていうの』
息が止まる。頭の中が白くなる。猫。セナ。同じ名前。月。白い彼岸花。
まさか。あり得ない。だってリコリスと繋がったのは偶然で。でも、間違いない。
星那――
『ホリーっていうアカウント名は、もしかして
次いで送られたメッセージを見て、僕は咄嗟にホームボタンを押してアプリを閉じた。
ずっと言葉を交わしていたリコリスは、星那だった。誰よりも愛おしく、それなのに最悪の形で傷付けてしまった人。僕は彼女に顔向けできない。言葉を交わす資格がない。いや、何よりも恐れているのは、彼女に嫌われることなんだ。彼女の母親を川に突き落とした僕が、それまでのように星那の隣に戻れるはずがない。
僕は衝動的にスマホを操作し、ツイッターアプリをアンインストールした。これがあると、星那に僕の罪が伝わってしまうような気がして。
荷物をまとめ、ネットカフェを出た。リコリスとの繋がりも切れた。今度こそ、この咎を人生と共に終わらせよう。そう思った。
夜は暗く、けれど満月があるせいか、微かに明るい。僕は道端で咲いていた彼岸花を一本抜き取り、五瀬川にかかる橋に向かった。六年前、欄干に横たわる友菜さんを突き落としてしまった場所。
六年前の、あの日――
約束の場所で星那とキスをして、しばらく話した後、僕たちはそれぞれの家に帰った。想いを言葉にすることはなかったが、その口づけでお互いの気持ちを確信しあったような、そんな温かな幸福が胸に満ちていた。
家に帰って夕食を済ませた後、財布がなくなっていることに気付いて血の気が引いた。約束の場所に向かう時、飲み物などを買う可能性を考えて、ポケットに入れて持って行ったのを、座った時にでも落としてしまったのだと思った。外はもう暗くなっていたので、懐中電灯を持って探しに行った。
そしてその途中、この橋で、随分慌てた様子の大人の男の人に呼び止められたのだ。意識を失っている女性を見つけた、救急車を呼びに行くから、体を揺すってあげていてくれ、と。
欄干の上に横たわる女性は、暗がりの中でほとんど顔も見えなかった。それが星那の母親、友菜さんだったと知ったのは、後日、事故死として報じられた新聞記事を見た時だった。
学校では星那から逃げるようにして、あらゆる人付き合いを拒絶した。誰にも相談できず、蓮見家の葬儀にも行けず、僕は部屋に引きこもるようにして、警察が来るのを怯えながら過ごした。そして九月の終わり頃に、星那は父親の転勤で遠くの地に引っ越して行った――
橋の中央辺りに辿り着く。友菜さんが横たわっていた欄干を前に、僕は立った。右手には先ほど引き抜いた彼岸花を一本持ったまま。
五瀬川は墨のようにたっぷりと夜を吸い込んだ黒を、滔々と流している。まるで世界の悪意や絶望を具現化したような色だ。そこに浮かんで揺れている満月の光が微かな希望のようで、今の僕には皮肉に見えた。
右手の彼岸花を顔の前に持ってきた。緑色の茎の下に、黒々とした球根が付いている。以前調べた情報では、毒抜きせずに食べた場合、三十分以内に症状が現れるらしい。食べてしばらく時間を潰してから、川に飛び込めばいいか。土がついたまま齧るのは抵抗があるが、もうこれで最期なのだからと投げやりな気持ちで僕は口を開けた。
と、その時、視界の中で何か青いものが月光に照らされて煌めいたのが見えた。花弁が舞っているのかと思ったが、それは空中でひらひらと揺れながら、こちらに近付いてきた。やがてそれが何なのかが、目の悪い僕にも分かった。
蝶、だ。
その青い蝶は、僕の目の前の欄干に止まると、たおやかに羽を休めた。満月の明かりの下で、その羽は自ら淡く発光しているようにさえ見える。
「オオルリシジミ……?」
以前東京の家電量販店で見つけ、そこにいた少女が名前を教えてくれた蝶。幸せを呼ぶと言われる、絶滅危惧種の青い蝶。まさかあの時のものと同じ個体であるはずがないが、珍しい蝶を人生で二度も見れるのは、運がいいと言えるだろうか。
少しして蝶は休憩を終え、ひらひらと頼りなく揺れながら橋沿いに飛んでいく。そして二メートルほど先の欄干にまた止まった。
なぜかは分からない。根拠はない。けれど自然と、「僕を呼んでいるんだろうか」という気がした。
僕がそちらの方に歩いていくと、蝶は飛び立ち、また前に進んで欄干に止まる。そこに近付くと、また蝶は危なっかしく羽を動かし、二メートルほど先に止まる。
夢を見ているような気分だった。満月の夜、青い蝶に導かれて歩いていく。それはあまりにも幻想的で、非現実的な時間だ。
やがて僕は橋の終端まで辿り着いた。蝶はそこからひらひらと川岸の藪の方に下っていく。辺りを見渡すと、坂の下に駐車場があり、そこから川面に近付けそうだった。
一体何だというのだろう。僕をどこに連れて行こうというのだろうか。まさかこのままあの世にまで
車が一台もない駐車場を横断し、藪を踏み歩き、川に近付いていく。水の流れる音が近くなっていく。僕の苦手な虫が多くいそうな環境だが、死を目前に意識すれば気にするようなことではなかった。
もう少しで足が水に浸かるという距離まで川に近付いた所で、あの青い蝶を見つけた。暗くてよく見えないが、川岸に転がっている石のようなものの上で止まっている。近付いても、今度は逃げない。
「一体僕をどうしたいんだ?」
しゃがんで、蝶の方に手を伸ばす。月光に彩られるその幻みたいな羽に触れれば、僕の命を彼岸に連れて行ってくれるのかと思った。けれど指先が触れる寸前で、蝶は音もなく姿を消した。少し驚いたが、僕はそのまま手を伸ばしていく。蝶が止まっていたのは、石ではなかった。なぜこんなものがここにあるのか分からない。
いくつもの小さな窪みを持つ光沢のある表面が、歪に月の光を反射している。それを摘まんで、持ち上げる。これは……黒いゴルフボール。
あの蝶は、僕にこの存在を伝えたかったのだろうか。それは、なぜ。
ゴルフのことはほとんど知らないが、通常はボールは白いのだろうと思う。そして僕はこれを、少し前に見たことがある。カレイドスコープの部室、そして、涌井教授が手に持って回している光景を、二度。
まさか、とは思ったが、友菜さんの墓の前で涌井教授が立ち尽くしていたあの光景が、頭の中でこのボールに紐づいていく。友菜さんと、涌井教授の繋がり。涌井教授と、川岸に落ちていたゴルフボールの繋がり。そこに隠れているものは何だ。
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