第四話① 傷口、届かなかった声、守りたいと思ったもの。


 七回忌といっても、親族を呼ぶわけじゃない。

 友菜の両親とは、お葬式と三回忌に顔を合わせただけだった。もともと疎遠になってからは絶縁していた経緯もあり、千絵も数度しか会っていない。英樹の両親も遠方でなかなか来られないことから、必然的に七回忌は四人で済ませることになった。

 妙に感傷的になるのは、納骨を行うからかもしれない。友菜の骨は遺影と一緒に、ずっとここにあったのだ。でも、七回忌と同時に、近くのお寺の納骨堂に収蔵することになっていた。

(友菜。小さかった星那も、もう十九歳になったよ)

 読経が続く間、心のなかで千絵はそう呼びかけていた。みんな元気だから、安心して眠っていて、と。数度の休憩をはさみながら、僧侶の読経と法話が終わると、引き物と御膳料を、お斎の代わりに手渡した。そうすることも、もう予め決まっていた。

 家での法要が終わると、友菜の骨壺を持参して寺院へと足を踏み入れた。蝉が絶えず鳴いている。逃げ水が立ちそうな陽気だった。本堂は大きく、靴を脱いで木の階段を昇った先は、板敷きの広間になっている。二頭の龍が仔細に彫刻された虹梁が、まず目に飛びこんでくる。その奥には帳がかかり、お寺の本尊が祀られていた。両側に明かりが灯されている。扇風機が回っていて、しんとしたお堂のなかにいると、自然と汗もひいていく。手前に焼香をあげられる用意が整えられていた。

 四人並んで座ると、控えていた僧侶も一礼して読経を始めた。お鈴の音が鳴り響く。気づけばまたもう一度、静かに手を合わせていた。友菜が亡くなって六年の間、みんなそれぞれにかなしみを抱えて、寄り添うように生きてきた。再婚を決めた一番の理由は、英樹を支える人がいないと、バラバラになりそうだったからだ。友菜が何よりも大切にしていた『家族』という繋がりが、瓦解して壊れる気がしたから。だから求められるまま、英樹の手を取っていた。

(もし、友菜が死ななければ、私はここにいなかった)

 結婚願望もなかったから、バリバリ仕事をこなして海外勤務でもしていたかも、なんて想像をすることもあった。――と同時に深い悔恨が、そのたび苦く広がっていく。

(私は、友菜の絶望に気づくこともできなかった)

 焼香が始まり、千絵も英樹の後に続いて本尊の前でお参りする。

(ねえ、友菜)

 今なら友菜に自分の言葉が届くような気がして、心のなかで問いかける。

(どうして友菜は、何も言わずに自殺してしまったの……)

 そう思うと、忘れられない痛みに傷口を開かれるようだった。しっかり手を合わせたまま、六年前に友菜と交わした最後の言葉を思いだす。


「ゴシップ誌?」

 電話で打ちあけられたとき、千絵はばかばかしいと思った。

 インターネットで過去の出来事を面白おかしく暴露する連中がいて、しつこい取材依頼が来ているという相談だった。脅迫まがいのメールが連日のように届き、友菜と英樹の『不祥事』が掲載されるかもしれない、と。

「相手にしない方がいいよ」

 励ますようにそう言うと、友菜は小さくうなずいた。それだけのことだったのに。

 英樹の立場をまた悪くしてしまうと、友菜は異様に恐れていた。個人名は伏せられても、勘の良い人が見れば、すぐに分かってしまうだろう。そうなった場合、子供たちにまで影響が及ぶと友菜は心配していたのだ。

 でも、その出来事が自殺の引き金になるなんて、誰が想像できただろう。千絵は何の根拠もなく、大丈夫だと思っていた。友菜には愛する人がいて、可愛い子供たちがいた。だから、どんな悩みがあっても乗り越えていけると思ったし、今もその想定が甘かったとは思えない。

 彼岸入りの日。

 川底で発見された友菜を、警察は自殺と判断した。死亡推定時刻の前、英樹宛てに一通のメールが送られていたからだ。その文面を見たときの寒気がするような戦慄を、千絵はずっと覚えている。


『英樹さんへ

 私の勝手なわがままを許してください。

 でも、もう限界です。ゴシップ誌が明るみに出たら、また迷惑をかけてしまう。

 そしたらどうなるかと思うと、耐えられそうにないのです。   

 毒性のある彼岸花の、球根を少し食べました。

 それだけじゃ死ねないと思うから、五瀬川の渓流に身を投げることにします。

 こんなことなら最初から、出会わなければよかったね。さようなら。

                                  蓮見 友菜』


 あの文面はひとかけらも、「千絵の知ってる友菜」じゃなかった。

 何かの間違いだ。そう思った。実際に彼岸花の成分――リコリンやガラタミンが検出されたと知ったときも。

――自殺。今まで何があっても自分を枉げなかった友菜が、そんなことをするなんて。

 でも、そのメールは実際に英樹に送られたのだ。反駁の余地は何もなかった。友菜の死は不可解な、どうしても消せない違和感を今も残したままだった。

(どうしてなの、友菜)

 その思いがくり返し、胸のなかを去来する。何度も何度も、永遠に届かなかった声になって。星那たちふたりに真実を伝えることはできなかった。

「川で溺れていた子供を助けた、ということにしよう」

 英樹は千絵にそう告げた。警察にも、「自殺」という点は伏せてほしいとお願いした。新聞に掲載もしないでほしい、と。慌ただしく通夜と葬式だけが行われた。発見が早かったこともあって、棺のなかにいる友菜は眠っているようだった。

 「子供を助けた」という嘘の方が、よほど真実めいていた。友菜が――たとえどんな理由があったのだとしても、自ら命を絶つなんて、とても信じられなかった。友菜は千絵の目から見ても、とても強い女性だった。その面影がどうしても、文面の友菜と重ならないのだ。

 でも、だからといって真相を知る手がかりはない。彼岸花の球根に毒があるからといって、それを食べたりするだろうか? あのときの友菜は、そこまで追い詰められていたのだろうか。電話の後、無理にでも駆けつければよかったのだ。ちょうど仕事が忙しい時期だった。英樹に聞いたら、彼もだいたい似たようなことを友菜に話していたという。

「放っておけばいいよ」

 そういう声をかけただけだと。その頃の友菜は元気がなく、落ち込んだ様子だったと前に星那も言っていた。少しでも他の要因がないかどうか知りたくて、スマートフォンの履歴も見た。メールやラインの送受信で、変わったことがなかったか。ひとつひとつ調べても、何も出てこなかった。ただ最後に、英樹に送られたメールだけが、奇妙に浮きあがっていた。それ以外に「自死」の気配を見つけることはできなかった。奇妙なことは他にもある。友菜は遺書めいたメールで、子供たちについて一切触れていなかった。いつまでもその文章は、友菜と一致しないまま。「自殺」とされた判定を覆すことはできなかった。

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