チャプター5:「戦車、後へ」

「――ッ……ぁ、かぁ……!」


 鳳藤が地面に転がり、苦悶の声を上げている。

 その近くには、無残なガラクタとなり横転している、旧型73式小型トラックの姿があった。

 敵方の攻撃を掻い潜りながら敵戦車へ肉薄するという、博打もいい所なプランに付き合わされる事になった鳳藤は、つい先程まで必死のハンドル捌きで小型トラックを操っていた。

 しかしついに悪運が尽きたのか、敵戦車砲弾は小型トラックの至近距離に着弾。

 その衝撃で小型トラックは空中へと巻き上げられ、鳳藤はその際に運転席から投げ出され、地面に叩き付けられたのであった。


「……がはッ!……はぁ、はぁ……」


 叩き付けられた事によるダメージと、着弾時に飛び散った石や破片による傷で、鳳藤の全身が痛みを訴えている。

 五体満足で生きているのは、奇跡に近かった。

 しかし今の鳳藤には、その奇跡を悠長に有難がっている余裕などない。

 敵戦車や装甲車が布陣するど真ん中で車輛を失い、身一つで放り出されたのだ。

 一刻も早く、この場から離れなければならない。


「くふっ、くそ……」


 鳳藤は全身が訴える悲鳴を歯を食いしばって抑え込み、その上体を腕で支えてどうにか起き上がらせようとする。


「……ッ――!?」


 しかしそんな鳳藤の耳が、金属の擦れ合う、不吉な音を聞いた。

 恐る恐る顔を起こした鳳藤。その瞳が移したのは――巨大な鋼鉄の怪物であった。

 鳳藤自身も演習等でよく見知った、〝71式戦車〟に非常に酷似した、楕円形で潰れたような砲塔が特徴的なMBT。それがやや前方側面を鳳藤に見せて、微速で進んでいる。

 そして砲塔上の車長用キューポラには、車長と思しき女の姿が見えた。


(ッ……投降……いや)


 先程は極限状態で、話し合いを試みる事を制刻に進言した彼女。

 しかし冷静になって考えて見れば、相手は突然攻撃を加えてきて、その後も呼びかけに聞く耳も持たずに、こちらに執拗に狙って来た。

 そんな相手に対してただ投降を申し出ても、受け入れてくれる可能性は低い。はっきり言ってそれはそれで危険を伴う。

 制刻のような思考で動くのは癪ではあったが、なんとか相手を冷静にさせ、形成を対等に持ち込む必要があると、鳳藤は考えた。

 どうやら見るに、車上の車長らしき女の注意は、先に横転している小型トラックの周りに向いている。鳳藤自身には、まだ気づいていない。


「ッ……」


 やるしかない。

 そう心に浮かべた鳳藤は、自身の首から下げて胸元に入れていた首飾りを、戦闘服の上より握る。それはこの異世界で巡り合った一国の王女、レオティフルから譲り受けた物。高位の魔法結晶が埋め込まれた、魔法の護りの加護を授かることのできる、魔法道具。

 そして弾帯に挟み帯刀していた、日本刀の柄に手を伸ばす。

 元の世界――日本で幼き頃より共に過ごし。この異世界まで、愛しい人と共に自分を追いかけてきた相棒である刀――〝誠皇(まことすめらぎ)〟。

 自らに与えられた、矛と盾。

 それらを身に感じながら、鳳藤は覚悟を決める。


「……――ッ!」


 そして瞬間。

 鳳藤は地面を踏み切り、まるでカタパルトによる射出のように、自らの身体を打ち出し飛び出した。

 飛ぶように駆け、一瞬の後に敵戦車n側面間近へと急接近。そして肉薄と同時に再度思い切り地面を踏み切り、今度は思い切り上方へと飛んだ。

 わずか二秒足らず。

 目にも止まらぬ早業を見せた鳳藤は、その時にはすでに、敵戦車の砲塔上の宙空に身を置き――そして、キューポラ上に身を置く戦車長と思しき女の、側方後ろを取っていた。

 それとほぼ同時に、鳳藤はコンマ数秒の速さで、誠皇を鞘より抜刀。その刃を返し、峰を表に向け、構える。

 刀の峰で戦車長の女の身を打ち、気絶させる算段だ。


(――ゴメンッ)


 内心で詫びながらも、同時に鳳藤は極限まで無駄を削ぎ落した動きで、誠皇を振り下ろす。

 そして、その刀身の峰が、戦車長の女の身を打とうとした――



 ――ドズン、と。



 誠皇が戦車長の女を打つ前に、そんな何かの感覚が、鳳藤を襲った。


「――っォ――……?」


 鳳藤の口から、声とも呼べない微かな音が零れる。同時に鳳藤が感じたのは、自身の脇腹に突如として走った、何か重々しい感覚。


「――ッェ゛!」


 次の瞬間。今度はダイレクトな叩きつけられるような衝撃が、鳳藤を襲う。

 それもそのはずだ。

 見れば鳳藤の身体はその通り、地面に思い切り叩きつけられ落ちていた。


「――っァ……!?……ぁァ……!?」


 そして直後。鳳藤の身を、脇腹を中心に激痛とも鈍痛のも区別のつかない、形容しがたい痛みが襲う。

 声にならない声を零しながら、地面の上で悶えのた打ち出す鳳藤。

 皆目原因の検討の着かない苦しみに苛まれながらも、無意識に走らせた彼女の視線が、その先にある物体を見る。

 それは、正面をこちらに向けた、敵戦車の姿であった。




 丘の連なり並ぶ、周辺一帯の西側――戦車小隊の後方。

 近辺で一番高くそびえる丘の頭頂部には、小隊に監視支援を提供中の、偵察装甲車の鎮座する姿がある。

 そしてその偵察装甲車から、少し離れ位置を取った一点。

 浅い窪地となっているその個所に、身を潜める一人の女の姿があった。

 ショートカットと、整った凛々しい顔立ちが特徴な女。しかしより目を引くのは、彼女のその姿格好。

 彼女がその身に纏っているのは、頭部以外の全身を覆い、そして全身のラインがはっきりと浮き出る、まるでラバースーツの様な衣装だ。その特性から、彼女の持つ抜群のプロポーションが、衣装越しにも分かる。

 スーツの色は濃い緑色。

 そして、腕や足、腰回りや首元などの全身各所には、何やら特殊な金属やプラスチック、他合成素材でできていると思しきパーツのような物が――明かせば装甲や、サポート機器を内蔵した装備品であるそれが、女のプロポーションを阻害しない程度に装着されている。

 その一風変わった衣装は、名を『07式特殊防御装甲』と言った。

 恋華達の所属する『皇国陸軍』で採用配備されている特殊な戦闘用スーツであり、この場の恋華率いる偵察騎兵小隊の面々も皆、単体でもしくは迷彩服の下に着て、使用している。

 すなわち、窪地に潜むその女も、偵察騎兵小隊の一員である事を示していた。


『――美織、良い腕よ』


 そんな女の耳に、スーツに搭載された無線より声が届く。それは小隊長の恋華の物。紡がれた美織というのは、彼女の名だ。


「いえ」


 恋華から寄こされたその言葉に、美織は短い一言で返す。

 見れば、彼女のその姿格好とは別に、また目を引く物体がある。

 窪地に鎮座するそれは、美織の身長に届くかと言うほどの長さを持つ、武骨な灰色の物体。

 ――バレットM82。

 12.7mmの口径を持つ、対物ライフル。

 そんな凶悪な得物が、居座りそして窪地からその銃身を突き出していた。

 そして美織はその自身の身長にも届く対物ライフルを、覆いかぶさり抱き着くように構え、その上に備えられたスコープを覗いている。

 スコープ越しに美織の目が見ているのは、そこから数百メートル先で鎮座する、仲間の戦車リングキャット。砲塔キューポラ上には恋華の背中も見える。そして少し視線をずらし先を見れば、そこに見えたのは、地面の上でのた打ちまわる、一人の人間の姿。

 その人間こそ、つい今しがた恋華を身を襲った――そして何より、美織が仕留めて見せたターゲットであった。

 小隊所属で、バレットM82を相棒とする重スナイパーである美織。彼女は先に恋華より要請を受け、戦車隊の支援援護に着いていた。

 そして、恋華に向けて肉薄襲撃を仕掛けて来た敵を、その魔の手が届く前に、撃ち抜き仕留め排除。恋華を危機から救って見せたのであった。


『相変わらず、恐ろしい腕ね。さすがは死神の守護天使様』


 恋華からは、少し揶揄うような色で、美織の手腕を評価する言葉を寄こす。


「いいえ――それより隊長。敵はまだ動いているようです」


 しかし美織自身はそれに喜ぶでもなく静かに答え、そして伝える言葉を発する。


『えぇ、こちらでも確認してるわ……信じられない』


 対して、恋華からも承知している返答が寄こされ、続き少し驚き訝しむような声が聞こえ来る。

 敵の排除に用いられたのは、12.7mm弾。この凶悪で非人道的とも言われる弾で射抜かれれば、本来であれば人間など、文字通り木っ端微塵になってしまうはずの代物。

 しかし、今しがた射抜き打ち飛ばした人間は、美織がスコープ越しに見るに、苦しみ悶えてこそいれど、未だ五体満足でいる様であった。そしてそれは、目の前にいる恋華達から見ても同じらしい。


「私達のように、何か特殊なスーツや装甲類を装備しているのでしょうか?」

『あるいは、この世界の魔法を利用しているのか……』


 無線越しに推察の言葉を交わしあう二人。


「止めを刺しますか?」


 そして美織は意見具申の言葉を発し、身構えなおし射撃姿勢を取る。


『いえ、大丈夫――』


 しかし、恋華からはすぐにそれを取り下げる言葉が来る。


『あのような輩に、無駄弾を使う必要は無い――こちらでケリを付けるわ』


 そして恋華は、静かなそして冷たい声色で、そんな言葉を紡ぎ寄こした。


『美織は引き続き援護を、私たちを守ってちょうだい』

「お任せを」


 恋華は最後に、美織に向けた少し柔らかくした、求める言葉を寄こす。

 美織はそれに、静かにしかし確かな言葉で返し、その役割を受け取った。




「――ぁぁッ……っぁ……ッ!」


 声にならない声を、地面をのた打ち悶えながら零す鳳藤。

 彼女を襲った物の正体――それは敵の対物ライフルから撃ち込まれた、12.7㎜弾。それが鳳藤の横腹に撃ち込まれ直撃し、彼女を打ち飛ばしたのだ。

 しかし、本来であれば生身の人間が12.7㎜弾をその身に受ければ、その身を木っ端微塵にされていたであろう所を、鳳藤は未だ五体満足で健在であった。

 その理由――鳳藤の身を凶悪なまでの射抜きから護った、彼女が首から下げる首飾り。それに埋め込まれた魔法結晶。異世界の麗しき姫君より、親愛の証として譲られた、高位の魔法道具。その護りの力が12.7mm弾の威力を大きく減退させ、鳳藤を救ったのであった。


「っ゛ぁぁ……ッ!ぃ……ァ……!」


 だが、当の今の鳳藤に、そこまでを判断理解する余裕は無かった。未だ体を苛む、激痛とも鈍痛ともつかない痛み。零れる呻き声。

 その身が木っ端微塵になる事こそ辛うじて免れた――が、しかし高位の魔法の効力を持ってしても12.7弾の威力を完全に殺し切る事はできず。それに打ち叩かれた鳳藤の身は、麻痺し悲鳴を上げ、満足に動くことができなくなっていた。


「……かは……ぁ……――!」


 嗚咽き咳込み零し、満足にできない呼吸で必死に空気を求めていた鳳藤。しかしそう悶えながらも、彼女の耳は何か不気味な金属の擦れる音を聞き、そして自身の近くに巨大な気配を感じ取った。

 首を微かに起こして視線を前に向ける鳳藤。

 見れば、先にも一瞬視界に映した敵の戦車が、今はその巨体を己の目の前まで進め、鎮座させていた。

 砲塔上の車長用キューポラには、先の戦車長と思しき女の半身が見える。凛としたその顔に、しかし背筋が凍る程の冷たい表情を浮かべた女は、同様に冷たいその瞳で、鳳藤の事を見下ろしている。まるで、罪人でも見るかのような目で。


(っぁ……まず、い……どうする……どうしたら……!)


 苦しみ苛みながらも、何か手を打たなければと、鳳藤は焦り思考を必死に巡らせる。

 しかし打開の案は浮かばない。ともかく逃げようにも、その身は未だに悲鳴を上げ、一向に満足に動いてくれない。


「くぁ……ッ……!」


 まともに這い進む事も叶わない。

 必死に全身を動かすが、あまりにも緩慢な動きは、自身の身長分の距離すら進まない。

 戦車上の女は少しの間、そんなもがく鳳藤の姿を眺めていた。しかしやがて、時間切れだとでも言わんばかりに、その口を動かし何かを発する。

 それが合図だったのだろう。目の前の鋼鉄の怪物は唸り声を上げ、再びゆっくりと動き出した。


「ぁ……ぅぁ……」


 ギャラギャラと音を立て、土や石草を掻き込みながらキャタピラが迫る。

 掻き込まれ潰される石草に己の姿が重なり、恐怖のあまり鳳藤はその端麗な顔を悲観に染め、口から悲鳴にならない声をもらす。


(もぅ……だめ……――)


 打つ手は無く、体はまともに動かない。

 己が身の望みは絶たれた事を察し、鳳藤は心の内で嘆きの声を上げる――


(……――え?)


 しかし直後。鳳藤の目は、視界に横から割り入る〝影〟を見た。




 恋華は戦車上から、眼下で悶え苦しむ敵の姿を見下ろしていた。


(……惨めな姿)


 敵は手負いの体で必死に蠢いている。対物ライフルの直撃を受けてなお、五体満足である事は驚きであったが、しかし満足な抵抗ができる状態ではない事は明らかだった。

 藻掻く姿に、少しだけ心に苦い物を覚えた恋華。

 しかし、仲間に手を出した敵に対する怒りはそれ以上に強く、許しを与えるつもりは無かった。


『隊長』


 通信機より声が聞こえる。それは戦車の乗員より、恋華の意思を伺い、命令を求める物。


「分かってる。こいつは大切な仲間の命を奪おうとした、許せない敵……報いとして、醜い最期を迎えてもらうわ」


 自身の意思を皆へと伝えるため、恋華は意識して冷たい声を作り、言い放った。


「千咲、どうすればいいかは分かるわね?」

『はい!』


 恋華は戦車の操縦手に向けて尋ね発し、操縦手からは息巻く声が返る。


「頼むわよ――戦車、前へ!」


 託す言葉を紡ぐと、恋華は手振りと共に、凛とした声で高らかに命令を下した。

 それに答え、戦車はエンジンを唸らせ、ゆっくりと進み始める。

 眼下の敵は積極的な行動を起こす様子は無く、ただ緩慢な動作で地上を狼狽している。

 もはや断罪される事を怯え待つだけの、獅子を前にしたただの獲物。

 そして、恋華の冷たい瞳の下で。咎人は罰を受け、キャタピラにに無残に引き潰される――


「ヅゥッ――!?」


 ――はずであった。

 だがその〝はず〟は、突如として起こった事態により掻き消え去った。

 恋華達の乗る戦車を突然衝撃が襲い、そして車体全体に歪な感覚が走った。乗員たちが覚えたのは、まるで前方から何かに押し戻されるような感覚。


「痛ッ……な、何……ッ?」


 突然起こった予期せぬ現象に、つんのめる様に体勢を崩していた恋華。

 戸惑いの声を漏らしながら視線を起こした彼女は、そこで自らの乗る戦車が、動きを止めていることに気付く。さらになぜか砲塔が、指示したわけでも無いのにずれて斜め方向を向いている。


「何が――!?みんな、報告し――」


 異常事態を察し恋華は、即座に乗員達に無線で呼びかけつつ、同時に事態掌握のために視線を動かした。


「――ひぇ……?」


 しかしその彼女は、次の瞬間に、締まらない呆けた声を上げてしまう。

 眼下。戦車の真正面に見えた〝それ〟。

 最初、それが理解できずに、思わず漏れてしまった声。

 そして、光景に理解が追い付いた恋華は、その瞳を見開き、己が目と脳を疑う事となる――



 ――あまりにも醜く歪で、禍々しい存在。

 それが悠々と立ち構え、そして突き出した片脚で、戦車を〝踏んで抑え留めていた〟――

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