第3話 接近

弟夫婦、兄夫婦だけの複雑な同居生活が始まり、一週間が経った頃、

凌太と直紀は、昔から二人で遊ぶ兄弟ではなく、一緒に暮らしていてもそれぞれがそれぞれの事をしていたことから、久々に一緒に住むことになって戸惑いとぎこちなさが雰囲気に醸し出されていた。

一方、深月と絢音は、家庭のことや料理のことと共通する話があることで、

暮らす前よりも距離は近づいていた。


「深月、今日仕事で遅くなる。ごめん」

四人で食卓を囲んで朝食をとっている時に、凌太はそう言い放った。


今日は、深月にとっては忘れたい金曜日。

湧き上がる何とも言えない感情に襲われていた。

毎週バレていないと思って律義に女に会いに行く自分の旦那への怒りと絶望感。

だからと言って別れたいわけじゃないと思ってしまう自分自身の情けない感情に囚われていた。


「そっか、いつも週末は忙しそうだもんね。頑張って」

「ありがとう」

絢音は二人の会話を聞いて、隣に座る深月を見てなんとも言えない悲し気な表情が気になっていた。すると、直紀も言葉を発した。

「今日は私も遅くなります。仕事が少し立て込んでいて……」

「分かりました。お仕事、頑張ってください」

直紀と凌太は、用意をしていつものように家を出て会社へ向かった。


「深月さん、今日お仕事ですよね?何時くらいに終わりますか?」

「えっと……16時半位ですかね。どうかしましたか?」

「今日、私お仕事休みなので、良かったら夜ご飯でも行きませんか?さっき、直紀さんと凌太さんにはそう言っておいたので」

「も、もちろん。いいですよ」


いきなりの食事の誘いで、深月は内心驚いていた。

一緒に住み始めて距離は縮まったものの、義姉にあたる人と食事に行くことは今回が初めてだったので何を話せばいいものかと仕事をしながらも頭の中にずっと残っていた。


そして、夕方……。

「お疲れ様です」

深月は保育園を急いで出て、携帯の点滅ランプに気づき、メールを開く。

『お疲れ様です。用事を済ませてから向かうので、お店の前で集合しましょう。

場所送りますね。予約しているのでもし先についたらお店入っていてください』


創作寿司のお店で、運悪いのか、良いのか、凌太の会社の近くの場所だった。

職場の近くまでバス通勤の為、タクシーでお店まで移動する。

凌太の会社の前を少し通りすぎたところに、いくつも料理屋が並んでいるがその中でも一際目立たず、提灯とのれんが掛かっていた。

お店の前に絢音がいる様子はなく、先に着いたんだと思い、先に中に入ろうとすると、正面から誰かが走ってくるのが見えた。


「あ、深月さん!良かった、間に合って」

「絢音さん、そんなに急がなくて大丈夫です。私も今着いたばかりなので」

そう言いながら二人はお店の中に入り、二人席に腰を下ろしメニューを見始め、注文する。

「勝手に決めちゃったけど、お寿司屋さんで良かった?」

「はい!私お寿司とか和食系好きなんで」

「そっか。じゃあ、凌太さんともよく和食屋さんに行くの?」

「いえ、それが凌ちゃんは、生粋の洋食派なので、外食するときは洋食屋さんです。

特にオムライスがあるところ。だから久しぶりにお寿司来られてうれしいです。ありがとうございます」

「いえいえ、私達夫婦と反対だね。私は昔喫茶店で働いていたから洋食の方が好きだったんだけど、直紀さんが和食好きで、私もよく食べるようになって好きになったんだよね」

他愛もない話をしていると、三種盛りや釜めし、巻きずし、サラダと注文したものが次々テーブルに置かれた。

「凄いね、どれも美味しそう……」

「そうですね、創作寿司ってあんまり食べたことなかったですけど、色鮮やかで食べる前から美味しそうに見えます」

お寿司を見た瞬間は笑みがこぼれたが、段々と現実的な事を思うようになり、深月の表情が曇っていった。


「深月さん、朝から気になっていたんだけど……何か悩んでいることない?

凌太さんと話している時に段々表情が暗くなっていく様子が見えたから……」

「その…もし、自分の旦那さんが黙って他の女性と会っていたらどうします?」

絢音は少し困った様子だったが、何か答えようと考えこんだ。

「私なら突き止めるかな。黙っているってことは、やましいことがないわけじゃないと思うから本人に直接聞いたって正直に答えてくれるとは思えないんだよね」

「そうですよね……」

「凌太さん、不倫でもしてるの?」

「い、いや、もしもの話です。最近、自分への自信がなくなってきて不安に思うことが多くて……」

「なるほど。でも私もあるよ。不安になること。直紀さん完璧だから、私なんて釣り合ってないんじゃないかって、でも、それでも結婚できたんだから、努力して見合う女性でいようと思うようにしてる」

深月は、自分だけが不安に思っていると思っていたので、驚いた。

顔立ちも綺麗で、スタイルも良くて、家庭的でなおかつ仕事もできて、人の懐に入るのが得意で、人から好かれるタイプで、何でも持っているように見える絢音でさえ、

自分のことを不安に思って考える時があるんだということに。


「深月さんは十分、凄いと思うよ。

家事も丁寧だし、お仕事も大変だと思うのに疲れた顔見せずにいつも凌太さんや私達のこと気遣ってくれるし、笑顔が素敵だし、自信なくすことなんてないよ」

「ありがとうございます……」

「ずっと、言おうと思ってたんだけどね、深月ちゃんって呼んでもいい?

せっかく一緒に暮らすことになったんだから、もう少し距離を縮めたいなって……。それに、私の妹に似てるような気がして、面倒見てあげたくなるなあって」

「もちろん、いいですよ。嬉しいです」

初めは緊張していたが、絢音が優しく話を聞いてくれることで、

今まで唯夏以外に本当に自分が悩んでいることを話す相手がいなかったことから、

絢音の存在に少し救われたようだった。

その後も他愛もない会話をしながら、食事を楽しんだ。



「お腹いっぱいだね」

「はい。どれも美味しかったです。あ、あの……もしよかったらまた一緒にご飯行きませんか?絢音さんがよければ」

「うん、いいよ。今日とても楽しかったから」

会計を済まして、二人はお店の外に出る。

「深月ちゃん、帰り何か用事あったりする?」

「えっ、あ、ちょっと待ってくださいね」

深月は携帯を取り出し、メールを確認する。

凌太から『今日は早めに帰れそう』と連絡が入っており、今日は女に会わなかったんだと嬉しくなり、『今近くにいるから一緒に帰ろう』とメールを返信した。


「凌ちゃん、仕事終わったみたいなので、迎えに行こうと思います」

「そっか。本当、深月ちゃんは凌太さんのこと好きだね。

でも、気を付けてね。相手の事好きだからって信用しすぎちゃうと裏切られたとき、

立ち上がれなくなって、自分が壊れるだけだから。ほどほどにね」

「え、あ、はい」

「じゃあ、また家でね」

絢音は先に店から離れて、真っすぐ歩いていき、深月はタクシーに乗り込み、

凌太から連絡が来ていないか携帯をチェックする。

すると、宛先不明でメールが届いていた。

『彼は私のものだから』

そのメッセージとともに、凌太とレストランの前で見た女が抱き合っている写真が送られてきた。


「なにこれ……」

凌太が早く帰れると言った言葉に対して、てっきり女とは会わず、仕事を終えて帰ってくるんだと思った深月からしたら、絶望的だった。

律義に毎週女とこそこそ会うのは変わらないんだということに、そしてそれがやましい関係ではないともう言えないことに。


深月は凌太を迎えに行くことをやめ、家に帰る気にもなれず、タクシーを降りて、夜の公園に足を運んだ。

冷え込んだベンチに腰を下ろして、殺風景で誰もいない公園の遊具をただぼーっと見つめていた。


「あれ?この前の人ですよね……?」

暗がりの中2メートルくらい離れた所で男性が、深月に声をかけたが、誰なのか分からず知らないふりをした。

「あ、すみません、急に話しかけちゃって……。あの、僕、カフェDawnのバリスタしてる者なんですが」

男性が少しずつ近づいてきて顔がはっきり見えた時、深月は「あ!!」と夜には合わない声量で声を出した。

「あ、ごめんなさい。声、響いちゃいましたね……。その、どうして、ここにいるんですか?」

「営業終わって、いつものルーティーンなんです。好きな物買って、公園で食べてから家に帰るって言うのが」

「あ、そうなんですね……。でも、寂しくないですか?こんなところで一人で食べるのって……」

「じゃあ、付き合ってください。ジュースも買ってますから」

「え、いや……私は……」

はっきりと断ることもできず、流されるがまま、ジュースをもらい、男性は深月の隣に座った。

「僕、遥斗って言います。カフェのバリスタ店員で働いています。23歳です」

真っすぐ近い距離で顔を合わせたのはこの瞬間が初めてだった深月は勢いで思わず目を逸らす。遥斗はるとがあまりにもキラキラした目で、明るい表情をさせ、挨拶をしてきたことで、自分のすさんだ心にはダメージが大きかった。

「あ、あの……。どうかしました?」

「あ、いや、何か、キラキラしてて眩しいって言うか……」

「え、何ですか、それ(笑)」

深月はふと、思い出した。そういえば、カフェに行っている時、

自分は唯夏と話すことに集中して気にしたことなかったけど、カフェに来ている人は若い女性が多くて、その大半が、バリスタのこと見ていたことに。

確かに、まつげはくりくりで、犬っぽい顔してて、誰にでも爽やかな雰囲気を醸し出しているから人気はあるだろうと、一人で勝手に納得していた。


「で、お名前聞いてもいいですか?」

「あ、私、碧深月です。宜しくお願いします」

「深月さん……。いい名前ですね。

こんな時間にどうしたんですか?何かありました?俺で良ければ聞きますよ」

「いや……大丈夫」

「知り合って間もない相手かもしれませんが、誰かに話すことで楽になることもあると思うので、話したくなったら話してみてください」

遥斗はそう言って、コンビニで買ったホットドックをただ食べて、それ以上は何も言わなかった。

深月は何も言わないつもりだったが、誰かに聞いてほしい気持ちもあり、気づけば口に出していた。

「もし、自分の事を大切にしてくれていると思っていた人に裏切られたら、どうしますか?」

遥斗は、食べていた手を止めて、少し沈黙になる。


「すみません、こんな話」

「裏切られるのって、辛いですよね。心が傷ついて、人を立ち直れなくする。最悪、人のことが二度と信じられなくなる可能性もある……。

僕だったら、裏切った人間を許さないと思います。

でも、どうして裏切ったのか、何のためにそうするのか理由を突き止めようとすると思います。じゃないと、前にも進めませんから」

「そうですよね、何のために……」

「あ、でもこれだけは言わせてください。

あなたは何も悪くないです。裏切られた原因は自分にあると思う人がいるみたいですけど、そんなことは一切ないです。どんな理由でも裏切ったのは相手なんですから。自分を責めたりはしないでください」

「あ、ありがとう……」

「よし!じゃあ、そろそろ帰りましょう。これ以上暗くなると危ないので」

そう言って遥斗は立ち上がる。

「もし、旦那さんが本当に酷い人だったら、僕は助けになりますよ」

「どうして、旦那さんって……。あ、もしかして、カフェでの会話……」

遥斗はただ微笑んだだけだった。

「でも、そこまでする理由は?」

「うーん。今は会えていないんですけど、僕の兄、光季みつきって言うんです。

カフェの常連さんとこんなところでこんな時間に会って、兄と同じ名前ってなんか縁があるなって思って。放っておけないだけです」

「いや……それだけで……」

遥斗は深月の言葉には気にせず、颯爽と去っていった。

深月は何だったんだろうと不思議に思ったが、誰かと話して気持ちが楽になっていることが分かった。


携帯の着信音


『深月。どこ?連絡ないから心配で。家にもいなくて。早く帰ってきて』

凌太からのメールに、嫌悪感を抱いた。自分は、隠れて女に会って、抱き合っていたくせに、妻を心配している夫のように、装っていることに。

『ちょっと用事ができただけ。すぐ帰るね』


深月は決意した。

凌太が騙せていると思っている妻に不倫を暴かれる屈辱を味合わせることに。




第4話につづく……。





























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

交差~あなたに出会ったことが間違いでした~ きなこ @kinakoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ