第2話 疑心

大学時代の深月みつきは、一人行動がほとんどだった。

もともと友達作りが苦手だったため、高校の時に仲の良かった唯夏ゆいかが転校した後は、それなりに人付き合いをしても深くは人と関わらず、大学まで過ごしていた。

そんな時、人当たりのよく、皆から好かれている凌太に出会い、授業で優しく人に接してくれる姿を見て、好意を持つようになった。

凌太も深月へ好意を持ち、告白をし、付き合うようになった。

深月は、未だに、凌太のような誰にでも好かれる人が自分を好きになってくれたのか、これから先も自分に飽きずに一緒にいてくれるだろうかといつも不安を抱いてた。

そしてその不安が的中した夜だった。

「この女……誰だろう」

携帯からメールのやり取りの他に何か証拠はないだろうかと画像フォルダやSNSへの繋がり等細かく調べても、名前も、写真も、それらしい人物も何ひとつ出てこなかった。

「ふぅ……。どうしたらいいの」


ピコンッ

『金曜の夜、ご飯でも行こう。休みの前だから、遅くても平気でしょ?』


「金曜……。この女……凌ちゃんとこうやって人の目盗んで堂々とご飯に行ってたんだ」


不倫相手への怒りと凌太への悲しみが溢れていた。


~次の日の朝~

何事もない様子で、深月は朝食の目玉焼きやウインナー、食パンを焼き、食事プレートを作っていた。

「おはよう。深月」

寝癖をつけたまま寝起きの凌太が食卓の椅子に座って、牛乳を飲む。

「おはよう、凌ちゃん。ご飯もうできてるよ」

プレートをテーブルに置いて、自分も椅子に座り、食事を始める。

「あ、そうだ。深月。今週の金曜、仕事で遅くなるかも」

「え、そうなの?土曜日にお義母さん達出発されるから、その前に食事に誘おうと思っていたのに……」

「そうなんだ。でも、そこまで、母さん達に気を遣わなくてもいいよ。

二人も勝手に決めて、俺達をあの家に住まわそうなんて決めたんだからさ」

「でも……せっかく家族になれたんだから」


凌太はごめんと言って、着替えに寝室へ戻った。

大きな溜息をついて、深月はご飯を食べるのをやめた。



~金曜の夕方~

「深月さん、お疲れ様です」

「あ、お疲れ様です」

保育園の仕事を終え、急いでタクシーに乗り込み、凌太の仕事先へ向かった。

凌太の会社はとても立地のいい場所にあり、タクシーやバスなども多く通っている。

オフィスビルは五階建てS造の構造になっており、中規模の会社である。


「碧さん、今日帰りにご飯でも行きません?」

凌太と後輩らしき男性が、正面から出てきた。

深月は、とっさに、ビルの傍の柱に隠れた。

「あー、ごめん。今日は先約があって」

「あ、もしかして、また奥さんですか?凄いですよね。碧さんって。愛妻家だって職場でも話題ですよ。金曜にはいつも一緒にディナーしているなんて憧れですよ」

二人の会話を聞いていて、深月は心が痛くて仕方がなかった。

一緒にご飯に出かけるなんてことは、記念日くらいで、ほとんどがご飯は家で食べているからだった。

金曜の夜は確かに帰ってくるのはいつも遅いと感じていたが、

普通に作ったご飯を食べていたから、外でご飯を食べているなんて深月は見当もつかなくて、悔しい気持ちだった。


「じゃあ、お疲れ様」

「お疲れ様です」

凌太は後輩と別れた後、しばらく会社から離れた大通りまで歩いていく。

その後ろから深月はばれないように後をつける。

大通り沿いにあるディナーが有名な予約制レストランの側まで近づいていき、レストランの前で待っている女性に声をかけていた。


「ごめん、待った?」

「ううん。今来たところだから。大丈夫。それより入ろう」

凌太とレストランで待ち合わせしていた女性は、深月よりも少し若く、スタイルが良くて、小柄で、色白の顔立ちは目元がぱっちりとして、可愛らしいというよりかthe美人系な女性だった。


「嘘つき……」


~大学生の頃~

グループワークの課題終わりに皆でカラオケに行った時、過酷な課題発表を終えたことで、好きなタイプについて話し合い、盛り上がっていた。

「碧はさ、どんな人がタイプなわけ?大学入って恋人まだ一人も作ってないだろ」

「え?そうなの?碧くん、女子に凄い人気なのに」

「やっぱそうなんだ。碧って人気あるんだ。なあ、どうなんだよ?好きな人いないの?」

人が良くて、優しくて、明るい凌太は、男女問わず人気者でモテないはずがないって存在だった。

大学時代の深月は今よりも、人と関わることを避けていたし、言葉下手なところがあったため、人に好かれるどころか暗いタイプに思われていたし、

見た目も笑えば可愛らしいタイプだったが、顔立ちはどちらかというと薄い方で、人に好かれるわけないと自分に自信をなくしていた。

「うーん。好きなタイプで言うと、美人よりも笑った表情が可愛い人が好きだな。佐藤さんみたいな」

「え?佐藤さんって笑うっけ?俺見たことないんだけど。佐藤さんが笑うとこなんて。それに、可愛いか?幸薄いだけだろ」

「うん。可愛いよ。さっき課題発表が成功した時、俺に見せてくれた笑顔、凄い良かった。俺は、顔が美人とか可愛いとかよりも、俺に向けてくれる表情が柔らかくて愛嬌がある人が好きだから。それに、容姿なんて関係なく佐藤さんの心に惹かれてるよ」



「容姿なんて関係ないって言ってたくせに。私よりも若くて美人な子を選ぶんだ……。なんで……。もっと自分と同じような人なら、あきらめがついたのに」

不倫相手だけの怒りがいつしか、凌太へも伝染していた。

優しい言葉ばかりかけられた分、裏切られた傷はとても大きい。


急いで深月は携帯を取り出し、ふいに流れる涙を手でぬぐいながら証拠写真を抑えた。

パシャッ パシャッ


その後、二人が出てくるまで待ち伏せしていたが、他に証拠になりそうなものは何もなく、女性をタクシーに乗せて、凌太は駅に向かって二人はわかれたのだった。



~土曜日 空港にて~

凌太の両親が海外へ旅立つため、凌太、深月、直紀、絢音は見送りに空港へいた。

「母さん、父さん。体にはくれぐれも気を付けて」

「ありがとう、直紀。でも大丈夫よ。お父さんも私もまだまだ元気だから」

「たまには連絡してよ。心配だから」

「ああ。分かった。凌太」


「絢音さん、深月さんも、二人のことよろしくね。お家のことも巻き込んで申し訳ないけど、自分の家だと思って思う存分使ってね」

「ありがとうございます、お義母さん。直紀さんのこともお家のことも心配しないでください」

「気を付けて行って来てくださいね、お義母さん」

二人を見送って、凌太、直紀、深月は碧家へ向かい、各夫婦部屋(もともと凌太と直紀がそれぞれ使っていた場所だが、ほとんど片付いているため、大きめのベッドと机、クローゼットのような家具しかない)で荷ほどきをしていた。

絢音は、仕事の休憩時間に抜け出してきたため、そのまま職場へ戻った。

「深月。部屋がなくてこの部屋になったけど、ちゃんと休まる?もとは俺の部屋だったわけだし、狭いだろうし」

「いや、狭くなんてないよ……。寝室なみに八畳くらいあるよね……。

それに、自分達だけの部屋があるだけでもありがたいことだから」

「そっか、ありがとう。受け入れてくれて」

「ううん。家族のためだもん」

荷物を片づけた後、深月は少し用事があると言って、家を出て、

ある場所に向かった。


~カフェ Dawn~

深月は、カフェの中に入り、きょろきょろと辺りを見渡す。

「深月~こっちこっち」

「ごめん、唯夏。夜勤明けにごめん」

「それは全然いいんだけど、こんなメール送ってくるのやめてよね。心臓に悪いんだから」

唯夏は正面にいる深月に携帯のメッセージ画面を見せる。

『緊急事態!!凌ちゃんが、不倫してる……。助けて!』


「本当に、昨日夜勤の時にこれ見て、早く話聞かなきゃと思って、ずっとそわそわしてたんだからね」

「ごめんね。話せる相手唯夏しかいなくて、昨日何も考えずに送っちゃった」

「いいよ。それより、何で急に、旦那さんが不倫してるなんてことになったわけ?」

深月は凌太と相手の女性とのメールのやり取りやレストランへ入る写真等の証拠を見せ、二人が連絡を取り合って前から繋がっていたことや金曜には大体食事に出かけていたことなどを話した。

「なるほど。それで不倫してたって分かったんだ」

「知ったからには、相手のこと突き止めようと思って」

「突き止めてどうするの?別れてとか言うつもり?」

突き止めた後のことなんて考えていなかったから深月は少し言葉に詰まる。

「まあ、そうだね。私は凌ちゃんと別れる気なんてないから、証拠集めて別れてもらうように言う」

「そんな単純な話じゃないんじゃないの?」

「でも、私と別れないってことは相手とはただの遊びってことだと思うんだよ。本気だったらもうとっくに私となんて離婚してるでしょ」

唯夏はコーヒーを飲んでゆっくりとソーサーの上に置いた。

「まあ、深月が別れないって言うならそれはそれでいいとは思うけど、

夫婦仲を修復するにしても、どうして旦那が不倫したのかの原因を突き止めた方がいいんじゃない」

「原因……。それは私がつまんない女だからじゃないかな……。

昔から凌ちゃんは周りの人の中心にいて、私よりもはるかに色んな人と関わってきてるから……だから夫婦生活に疲れたんじゃないかと」

「……。あのさ、馬鹿じゃないんだから、大学時代から付き合っていたのに、今更つまんないとかそんな理由で不倫なんてしないでしょ。

深月のこと見ていたんだったら、結婚してもこういう生活が続くだろうなって想像くらいつくと思うけど」

「そっか……。じゃあ他に何か理由があるってこと?」

「そう考えた方が自然じゃない?」

深月はどんな理由でそうなったのか、考えたが、すぐには何も思いつかなかった。

少し前までは自分の旦那が不倫なんてしているなんてこれっぽっちも想像できなかったから、今の状況にもあまりついていけていなかった。


すると唯夏は思い出したかのように、

「ていうか、兄夫婦と同居するんでしょ?夫婦がそんな状況なのに大丈夫なの?」

「逆に、好都合。だって私が出かけている時に嘘ついても、他に二人も家にいたら下手な事言えないじゃない」

「あー。なるほどね。それはそうかも。けど、くれぐれも気をつけなよ。不倫が発覚して、すんなり解決しましたなんてことはないからね。

暴こうとすればするほど、知りたくないことやありえないことが分かって、自分自身を壊すことになりかねないんだから」


「それでも私は、結婚してるって分かってて不倫する人間を許せないから」


その時、深月の脳裏にはある女性の姿と言葉がはっきりと残っていた。

“あんたさえいなければ”



「分かった。私は深月の味方だから。私にできることがあればまた言って。一人で抱え込まないか、心配だしさ」

「ありがとう。唯夏がいつもこうやって話聞いてくれるから、私は救われてるよ。

こんな優しい人に高校時代に出会えて私は幸せ者だと思ってる」

深月の言葉に一瞬表情が曇った様子を見せたが、すぐに笑顔に戻った。

「もう、大袈裟だよ」

「うふふっ。本当のこと言っただけだもん」

「ありがとう。そろそろ日が落ちてきそうだけど、帰らなくて大丈夫なの?」

窓の方をふと振り向いて、日が沈んできたことに焦ってコーヒーを飲み干す。

「しまった。今日から兄夫婦とも一緒に過ごすからご飯作るのにも、早めに私が支度しておこうと思ってたんだ」

いそいそと二人でレジへ行き、男性店員が二人に声をかける。

「この間も来ていただいてましたよね。コーヒーを頼んでくださっていましたし」

「あ、えっとバリスタの……」

「そうです。お味いかがでしたか?」

「凄く美味しかったです!!」

レジカウンターに乗り出す勢いで、食い気味に話すもので、男性店員も唯夏ですら驚いていた。

「ちょっと。店員さん驚いているから。どうして急にそんな勢いで言うかなあ」

「あ、ごめんなさい。今までカフェとかあんまり空間が苦手だったんだけど、

ここは何だか雰囲気がよくて、居心地いいし、コーヒーも美味しいので、それを伝えようと……」

男性店員は一度驚いた様子を見せたが、すぐに微笑んで優しい声で言う。

「あ、それはありがとうございます……。またいらしてください」

お店を出て、唯夏とわかれて足早に家に帰っていった。



ブーブー

唯夏の携帯のバイブ音が響く。

「もしもし……。電話なんて珍しいね。またお互い落ち着いたらいつもの場所で会いましょう」

電話を切った後、深月とは反対側の道へ歩いていく。



~碧家~

晩御飯の支度をしている最中に、家の扉が開く音がする。

「ただいま帰りました」

仕事を終えた絢音が、買い物袋を持って家に帰ってきた。

「あ、おかえりなさい。二人は上の部屋で休んでいるみたいです」

「そうなんですね。ご飯作ってくれてたんですか……。戻るのが遅くて申し訳ないです」

「いえ。絢音さんも仕事でお疲れでしょうし、今日は私が作ろうと……」

「私もすぐお手伝いしますね」

二人は何度か顔合わせしかしたことがないため、少しぎこちない雰囲気を纏いながらも、黙々と食事の準備をし、完成後は直紀と凌太を呼び、四人で晩御飯を食べ始める。


この奇妙な同居生活が、深月の人生に大きな波乱をもたらすものだなんて、

この時は知る由もなかった。







3話に続く……。










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