第18話


 小学生の僕は、夏休みを過ごしていた。

 ただ、この夏休みは初めてのことが多い。

 まず、僕はナズナのやつとは一緒にいない。


 実は、これは小学生になってから初めての快挙かもしれない。


 実をいえば、僕の記憶にある中でも初めてかも。

 いやまあ、それは大げさか。


 とにかく、僕は一人だった。

 というのは、僕は両親に連れられて、田舎のおばあちゃんの家に来ているのだ。

 

 お婆ちゃんの家は、小学生の俺にとっては面白いものは何もない。


 唯一の頼みであるテレビすら壊れていた。

 だから正直、退屈で仕方がなかった。


 こういうときこそ、ナズナがいれば暇をつぶせるのだが。

 あいにく、今はいない。


 ああ。

 たぶん、明日までは、僕はこの家にいるんだろう。

 車で僕をこの田舎まで連れて来た、お母さんとお父さんも、おばあちゃんの家に来ている。

 だけどなにやら、この村の人たちと会う予定があるみたいで、今の僕はお婆ちゃんと留守番をしていた。

 

 そんなおばあちゃんの家は、僕の住んでいる家とは違う。

 昔ながらの家だ。


 瓦が重そうな屋根。

 土のような壁。

 木材で出来ていることがわかる家。

 すべての部屋が和風だった。


 そのおばあちゃんの家の周りは、庭だった。

 庭には、お婆ちゃんが歩いていかない場所に、雑草が生えている。


 夏休みらしい、蝉の鳴き声がひたすらにうるさい。

 

 お婆ちゃんの家の周りは、ひたすらに田んぼだ。

 そして、遠くのどの場所を見ても、山々が広がっている。

 

 田舎。

 なにもない。

 つまらない。


 暑い。


 僕はそう思った。

 だけど、この家にいても暑いし、外に出ても暑いか。

 そう思うと、この家から出て、何か暇つぶしでもしようかな。


 僕はそう思った。


 僕は重い腰を上げて、おばあちゃんの家を出た。

 外の空気は、むせ返るような暑さだ。

 じりじりと照りつける太陽の熱気は容赦ない。


 だけど、僕にはもう、家の中で暇をしていることに耐えることができなかった。


 僕は玄関にいった。

 僕の家とは違って、玄関はガラガラと引くタイプだ。

 それにいつも半分くらい扉が開いている。


「おばあちゃん、ちょっと外に出てくるね」


 玄関にいる僕は大声でそう言ったが、返事はない。

 たぶん、奥の部屋で昼寝でもしているんだろう。


 僕は庭に出た。

 家の前の雑草が生えていない場所を進む。

 

 雑草の生えている場所には当たっちゃだめ。

 そういう自分のルールを作って歩いた。


 そうして、庭を進んでいくと幾分、面白かった。


 しかし、その暇つぶしは速攻で飽きてしまった。

 僕は庭から外の道へと歩き出した。


 アスファルトで舗装された道。

 だけど、でこぼこしている。

 そんな道を歩いていくうちに、僕は家から少し離れた場所にある赤い看板と簡単な小屋のようなものを見つけた。

 どうやらバス停みたいだ。


 よし、あそこまで行ってみよう。

 小学生の僕でも歩いていける距離だ。


 僕はバス停まで歩く。

 ゆっくりと歩いたのにも関わらず、すぐにそのバス停に僕は到着した。 


 バス停に着くと、その寂れた赤い看板が見える。

 そこには『夢見神社前』と掛かれていた。


「夢見神社?」


 僕は思わず声に出した。

 神社なんて、ここら辺にあるのだろうか?


 僕は周囲を見回す。

 そして、バス停の向こうに目をやると、石段が見えた。

 その先を目で追っていくと、赤い鳥居らしきものが見える。


 神社っぽい。


 もし、ナズナがここにいたら、きっと一緒に行くことになるんだろうな、と思った。


 まあでも、今の僕は暇だ。

 このまま退屈な一日を過ごすよりは、この神社にいくのは悪くないように思える。


「よし、行ってみよう」


 僕は意を決して、石段を登り始めた。


 一段、また一段。


 山にある木々が太陽の光を遮ってくれていることもあって、若干、涼しい。

 少なくとも、炎天下にいるよりはマシだ。


 しかし、それでも僕の額には汗が伝い落ちてきた。

 

 石段を上りきったところで、僕は大きな朱色の鳥居に出くわした。

 塗装は色あせ、ところどころ剥げ落ちているけれど、それでも何かの威厳を感じた。


 僕は鳥居をくぐる。

 そして、先に進んでいくと、生け垣に囲まれた細い参道が現れた。

 両側の植え込みは手入れが行き届いていないようで、あちこちから枝が道にはみ出している。


 参道を歩いていくと、不思議な感覚に包まれた。

 まるで、別の世界に足を踏み入れたような…。

 でも同時に、何か懐かしい気持ちも湧いてくる。


 まるで、ずっと昔にここに来たことがあるような…。

 でも、そんなはずはない。

 なぜなら、僕は初めておばあちゃんの家に来たのだから。

 そして、この神社に来るのも初めてなのだ。


 参道を進んでいくと、木々の間から社殿が見えてきた。

 古びているけれど、荘厳な雰囲気を漂わせていた。

 境内に入ると、ひんやりとした空気が僕を包み込んだ。


 木漏れ日が地面に模様を描いている。


 ふと、喉の渇きを感じた。

 これだけ歩いたんだから、当然か。

 水飲み場はないかな、と周りを見回していた。


「あら、珍しいお客様ね」


 突然、後ろから声がした。


 驚いて僕が振り返ると、そこには巫女服を着たお姉ちゃんが立っていた。


 長い黒髪が腰まであった。

 それはナズナの短い髪とは正反対で。

 そしてお姉ちゃんから感じる雰囲気もナズナとは正反対。


 まあ、もちろんナズナは僕と同じくらいの歳だけど。


 このお姉ちゃんは中学生かな?

 いや、もっと上の高校生とかかな?と僕は思った。


 とにかく小学生の僕からすれば、彼女はお姉ちゃんだ。

 

 そのお姉ちゃんは、どこか神秘的な雰囲気だった。


「あ、あの…」


 僕は言葉につまった。

 どう話しかければいいのか分からない。

 大人の人に話すときのように、丁寧に話さなきゃいけないのかな?

 それとも、ナズナと話すみたいに普通に話せばいいのかな?


「ごめんなさい、驚かせてしまったかしら」


 そのお姉ちゃんは優しく微笑んだ。

 その笑顔を見て、僕は少し安心した。


「い、いえ…」


 僕は慌てて答える。


「水を飲みたくて…」

「そう?ああ、喉が渇いているのね。少し待っていてくれる?すぐに持ってくるわ」


 そう言うと、お姉ちゃんは社殿の方へと、歩いていった。

 僕は一人、境内に取り残される。


 お姉ちゃんを待ちながら僕は、周囲を見回すと、神社はどこか寂れた印象を受けた。

 参拝客の姿も見当たらない。


 しばらくすると、お姉ちゃんが戻ってきた。

 手には陶器のコップを持っている。


 そのコップには綺麗な模様があって、それは杯とでも言えばいいんだろうか?


 何か高そうなものだな、と小学生ながらに僕は思った。


「はい、どうぞ」


 お姉ちゃんが差し出した杯を受け取る。

 中には透明な水が入っている。


 僕は、その水を一気に喉に流し込んだ。

 冷たい水の味がする。


 渇いていた喉が収まっていく。


「ありがとうございます」


 僕は杯を返しながら礼を言った。


「どういたしまして」


 お姉ちゃんは微笑む。


「でも、珍しいわね。今日みたいな日に、若い人が来るなんて」

「今日みたいな日?」


 僕は首を傾げた。


「そう、今日は祭日。お祭りの日なのよ。」


 お姉ちゃんは僕に優しく話しかける。


「へー、お祭り!」


 僕はそう言いながらも周囲を見て思った。

 お祭りらしいところが何もない。


 何かこう。

 僕の記憶によれば、祭りとは、もっとこう…出店とか、いろいろとあるものじゃないのだろうか?


 僕は、自分の住んでいる町であった夏まつりのことを思い出していた。

 ナズナのやつと金魚すくいをして…

 ナズナのやつは型抜きをしていたけど、できなくて。

 ナズナのやつは、射撃が上手かった。


 あ、全部ナズナがやっていたことになっていた。


「あっ、えっとでも。今日は祭りで何かをやるの?」


 僕はお姉ちゃんにそう言った。


「いいえ。ここの祭りは僕が思っているような楽しいものじゃないの。」


 お姉ちゃんはどこか寂しげに話を始めた。


「そもそも、最近は村の人たちからも忘れられがちで…」

「忘れられちゃったの?」

「うん、そうね。」

「へーそうなんだ。」


 僕が頷いた。


「じゃあ、僕が全部覚えておくよ。」


 そういうと、お姉ちゃんはハッとした表情を浮かべていた。

 それから何か難しい顔をしながら話を始めた。


「この神社には、昔から祟り神様が祀られているの。だから、みんな怖がって近寄らないのよ」

「祟り神?」


 僕は思わず呟いた。


「怖い神様のことよ。だから、僕もこの場所のことを忘れて、さっさとみんなのところへ戻りなさい。」

「えー、でも。今日、僕は一人きりなんだ。」


 僕は正直な感想を言った。

 このまま、おばあちゃんの家にいてもつまらないのだ。


「呪われてもいいの?」


 呪い?神なのに?

 どうしてだろう?

 僕にはお姉ちゃんが言っている意味が、よく分からなかった。


「なんで呪われるの?」

「さあね。なんでもないわ。」


 お姉ちゃんは慌てて言った。


 僕は、そのお姉ちゃんのいうことをもっと知りたいと思った。

 この神社には、何か特別な秘密があるのかもしれない。

 そう思った瞬間、不思議な感覚に包まれた。

 まるで、目の前のお姉ちゃんが僕を呼んでいるような…。


 するとお姉ちゃんは、僕を見た。


「もう遅いみたいね。」


 ポツリとお姉ちゃんは言った。

 僕に向かっているのでは、ないみたいだ。

 どこか遠くへ向かって言っている。

 一人で何かを確認しているみたいな感じだ。


「え?」


 僕はその様子を理解できなかった。

 でも、お姉ちゃんは、再び僕の方を見て笑顔になった。

 

「僕の名前は?」

「山吹ツバキ!」


 僕はお姉ちゃんに名前を答えた。


「私の名前は、夢見ホノカ。よろしくね。僕。」


 お姉ちゃんは急に改まったかのように、僕に名前を名乗った。


「よろしくお願いいたします。」


 僕もお姉ちゃんにお礼を言った。


「じゃあね、ツバキ君。こっちに来てくれる?」

「分かったよ。」


 僕は言われたように、お姉ちゃんについていった。


 ホノカお姉ちゃんについていくと、社殿の中に入ることになった。

 その中は外とは違って、ひんやりとしている。


 そして中は薄暗い。

 それもそのはず、社殿の中には外からの光が入ってこないみたいだった。


 太陽の光の代わりに、蝋燭の明かりだけが空間を照らしていた。


 夏という感じは全くしない。

 それどころか、昼なのか夜なのかすら分からなくなる暗い空間だった。


「ツバキ君、ここで少し待っていてね」


 ホノカお姉ちゃんはそう言うと、奥の部屋へと消えていった。

 僕は一人、広い社殿の中に取り残される。


 周りを見回すと、古びた柱や天井が目に入った。

 壁には不思議な模様が描かれていて、僕には理解できない難しい漢字のようなものが見える。


 何だか、ここに一人でいるのはとても嫌になった。

 早くホノカお姉ちゃんが戻ってこないかな。


 僕はソワソワしながら、待っていた。


 しばらくすると、ホノカお姉ちゃんが戻ってきた。

 手には何か赤い布のようなものを持っている。


「ツバキ君、これから儀式を行うわ」

「儀式?」


 僕は首を傾げた。

 儀式って何だろう?

 なにか難しいことをしなければならないのだろうか?

 小学生の僕ができることなんて、限られているのに。

 

「そうよ。儀式。でも、難しく考えなくてもいいの。ただ、私の言うとおりにしてくれればいいだけだから」


 ホノカお姉ちゃんは優しく微笑んだ。

 その笑顔を見ていると、なぜか僕はとても安心した。


「分かったよ。」


 僕はうなずいた。

 ホノカお姉ちゃんは赤い布を広げ始めた。

 それは大きな円を描くように、僕の周りに置かれていく。


「この中に立っていてね」


 言われるがまま、僕は赤い布で作られた円の中に立つ。


 ホノカお姉ちゃんは何かを呟きながら、僕の周りをゆっくりと歩き始めた。

 その姿は、まるで舞を踊っているかのようだ。


 長い黒髪が優雅に揺れる。

 ホノカお姉ちゃんの白い肌が蝋燭の明かりに照らされて、幻想的に輝いている。


 僕は息を呑んで、その姿を見つめていた。

 綺麗…。

 そんな言葉が頭に浮かぶ。


 ホノカお姉ちゃんの動きが次第に速くなっていく。

 黒い髪が広がり、巫女服がふわりふわりと舞っている。


 そのとき、不思議なことが起こった。


 ホノカお姉ちゃんの体から、かすかに光のようなものが漏れ始めたのだ。

 それは淡い白い光。

 見間違いかな?


 いや、見間違いなんかじゃない。


 じゃあ、なんだろう、これ。

 

 僕には、その光景を見つめることしかできない。

 でもその奇妙な光景はとっても怖いはずなのに、なぜだか、僕の心は落ち着いていった。


 光は次第に強くなり、ホノカお姉ちゃんの体を中心に周囲を包み込んでいく。

 そして、その光は僕の方へも伸びてきた。


 暖かい…。

 そんな感覚が体中を包み込む。


「ツバキ君、目を閉じて」


 ホノカお姉ちゃんの声が聞こえてきた。

 でも、それは耳で聞こえるのではなく、まるで頭の中に直接響いてくるような感じだった。


 僕は言われるままに目を閉じた。

 すると、不思議な映像が浮かび上がってきた。


 それは、この神社だった。

 さっき見たような、寂れて誰もいない夢見神社。

 その中に、ホノカお姉ちゃんがいる。


 今と同じ姿で、笑顔で僕を見ている。

 ホノカお姉ちゃんが、さっきの杯を持っていた。

 その映像の中で、僕は杯を渡された。


 僕は今、自分の手で持っている杯を見る。

 その中には、綺麗な水が入っている。


 次の瞬間、その水がまるで意思を持ったかのように僕を包み込んだ。

 うわっ!

 僕が驚いた瞬間、映像が消えた。


 目を開けると、そこにはホノカお姉ちゃんが立っていた。

 さっきまでの光は消えていて、ただ蝋燭の明かりだけが揺らめいている。


「儀式は終わりよ、ツバキ君」


 ホノカお姉ちゃんは優しく微笑んだ。


「え?」


 僕は驚いて聞き返した。


 なにか時間の感覚が、おかしい気がした。


 まるで夢の中にいたような。

 その中で僕は永遠の時を過ごしていた気もする。

 だけど、一瞬のことだった気もする。


「ツバキ君。」


 話しかけてきたホノカお姉ちゃんの姿を見て、僕は意識を失った。


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