第14話


 俺たちは、2階の廊下を通る。

 ホノカさんを先頭に階段へと歩みを進める。

 ナースステーション、エレベータの前へと順調に進む。

 そして、その先にある階段が見えてきた。


 スマホのライト。

 そして、非常灯の明かりが階段の踊り場付近を照らしている。


「先輩、足を踏み外さないように気を付けてくださいね?」

「ああ。」


 ホノカさんは、足を踏み外すのだろうか?

 ふと、俺は思った。


「ホノカさんも、足元に気を付けてください。」

「ツバキ君、ありがとう。」


 俺の先を進んでいる、ホノカさんがこちらを向いて微笑んでくれる。


 非常灯が、周囲を照らす。

 その光の中で、ホノカさんの長い黒髪が揺れるのが見えた。


 相手が相手なら不気味に思えるかもしれない。

 しかし、彼女やナズナの場合は、どこか安心できた。


 ナズナは、先導するホノカさんや俺の手をしっかりと握っていた。


「これから段差があるわ。」

「分かりました!」


 先では、ホノカさんとナズナのコンビが階段を下り始めたようだ。

 俺も足元には注意せねば。


 しかし、目は慣れているのか

 非常灯やスマホの明かりだけという、この状況。

 意外とスムーズに、階段を降りることができていた。


「そういえば、先輩。」

「なんだ?」


 ゆっくりと階段を下りながら、ナズナが話しかけてくる。


「小さいころ、学校の階段を飛び降りていましたよね?」

「ああ。小学校のころだろ?」

「そうです!」


 俺は、思い出した。

 小学校のころ、階段の段差を数段、飛ばして下りて行ったっけ。

 ジャンプの連続で階段を一気に下る。

 あの時は、今と違ってなんでもできる気がした。


 そうじゃなければ、そんな危険なことをしない。


「ナズナもやってたじゃないか?」

「そうですね。」


 当時のナズナは、じゃじゃ馬だ。

 それに小学校の頃は、背の高さにも違いがない。

 ガキ大将とまではいわないが、全ては彼女が主導していた。


 …今も、そうかもしれないが。


「なんか変な事、考えてます?」

「いいや?」


 俺はそう答えつつ、次になんて言葉を返そうかと考えていたとき。


「二人とも。もうすぐ、階段も終わるわよ。」


 ホノカさんの優しい声が聞こえた。


 1階に到着する。

 ホノカさんは慎重に周囲を確認しているみたいだ。


「何もいないわ。」


 大丈夫らしい。

 まあ、どちらにしても俺たちには進むしかない。


 先導するホノカさん。その隣にはナズナがいた。

 俺はその二人の後ろを追う形で、廊下を進むことになった。


「もう、先輩。ちゃんと私の手を握ってください。迷子になったらどうするんですか?」


 まるで俺が子供を扱うかのようにナズナが俺に言った。

 ただ、状況が状況だけに、冗談では済まない。

 永久に逸れてしまう可能性もある。


「分かった。」


 俺が答えると、ホノカさんが笑っていた。


「案内板は、この先のロビーにあったわね。」

「そうです!」

「行きましょう。」


 ホノカさんは進みだした。

 ロビーに向かって歩き始める。


 廊下は相変わらず暗く、非常灯の光だけが頼りだ。

 自分たちが歩く足音だけが唯一の音ととして周囲に響いている。


「不気味ですね。」

「そうだな。」

「そう言えば、先輩と昔、夜の学校に忍び込んだ時もこんな感じでしたっけ?」

「ああ、そういえば。」


 そう、昔。

 俺とナズナが中学生のころ。

 肝試しだといって、二人で夜の中学校に忍び込んだっけ。

 俺とナズナが学校に入るや否や、学校にある警備装置が鳴った。

 なんとか警備員や先生には見つからずに逃げおおせたのだけど。


 なんか不審な人が校内に忍び込んでいる、とか次の日に騒ぎになっていた。

 どう考えても、その不審者は俺とナズナだ。


「あの時は、どうなる事かと思いました。」

「ああ、そんなこともあったな。」


 それに当時からナズナはイケイケだった気がする。

 不良だ。

 ただ、その理論だと当時、付き合っていた俺も不良になってしまうが。

 まあ、いいや。


「そういえばホノカさん、当時から俺に憑いていました?」

「もちろん。それにその話、私は知ってるわよ。」


 ああ、そうなのか。


「実は…。警報装置を鳴らしたのは、私なのよね。」

「えっ?」


 ナズナが驚いたような声を出した。

 ふふっ、とホノカさんが笑ったような気がした。


「それはね、夜の中学校が危険だと思ったからよ。」

「ええ、まあ、そうですね。はい。」


 俺は、なんて言えばいいのか分からなかった。


「もしかして、心霊的な?」

「そういう意味もあったわ。」


 ナズナにホノカさんは答えた。


「それはありがとうございます」

「どういたしまして。」


 俺たちが、そんなことを話しているとき。

 突然、遠くから物音が聞こえた。

 俺たちは立ち止まる。


 耳を澄ます。


「…問題ないわ。今のは。」


 ホノカさんが語った。

 それに俺とナズナは安心したように、警戒を解く。


「霊ですか?」

「そう霊よ。何かの未練がある感じがする。」


 悲しそうにホノカさんは話を続ける。


「ただ、人には影響を及ぼす力はない。」

「…そう、ですか。」


 ナズナもそれ以上、追及することはなかった。


 俺たちは、ゆっくりと進む。

 廊下を抜けると、ようやくロビーが見えてきた。

 病院の出入り口も見える。

 そこにある、全面ガラス張りの自動ドア。


 その先は真っ暗だ。


「外は一面の闇だな。」

「闇に見えるのね?ツバキ君。」

「ああ。ホノカさんには、何か別のものに見えるのか?」

「…病院の外は、人間には理解できない世界と化しているの。真の姿は闇ではないのよ。」

「そうなんですか。」


 ナズナがホノカさんに、問いかける。


「そう。やはり、この異界から出るには、あなたたちを呼んだ悪霊と対峙する必要があるわ。」

「そういうものか。」

「そういうものよ。」


 ホノカさんと話をしていて、俺は思った。

 理解できないもの。


 それらを人の脳は、自分が理解できるように都合よく解釈をする。

 それを霊だったり、神だったり。

 置き換えて理解をする。

 しかし、そういったものにすら置き換えることが出来ないとき。

 それを一面の闇だったり、光として解釈するのかもしれない、と。


 ナズナは、キョロキョロと見まわしている。

 ロビーの案内板を探しているようだ。


「あっ!ホノカさん!あれですよ!案内板!」


 ナズナが、案内板をスマホのライトで照らす。

 広い案内板を隅々まで確認する。


「血液内科に行けばいいのか?」

「検査室なんてもあるわよ。」

「採血室って可能性もありますね!」


 三者三様だ。

 しかし、それらを全部回るのは、効率が悪い。


「そこに看護師の霊がいるわ。悪い霊じゃなさそうだから、私が聞いてみる。」


 ホノカさんはそう言ってから、目を瞑った。

 どうやら、精神を集中するみたいだ。


 さきほど、204号室で行ったような霊視だろうか?

 今、このロビーには、まったく人のいる気配などはしないが。


 俺とナズナは、そのホノカさんを見る。


 周囲の雰囲気は変わらない。

 ガランとしたロビー、その広い空間の案内板の前に俺たちはいる。


「血液・一般検査室…5階にいけばいいそうよ。」


 目を開けたホノカさんがそう言った。


「おおっー!」


 ナズナが驚いた声を上げる。

 超能力を使う場面を見ればそうなるか。

 ナズナのやつは、そういうの好きそうだし。


「分かった、じゃあ、5階のそこへ行こう。」

「そうしましょう。」


 ホノカさんは、そう言って進みだした。


「あぅ、ちょっと待ってください。先輩もほら!」

「ああ、待ってくれ。」


 ナズナは俺の手を取って、ホノカさんに向かっていった。


 そのまま、俺たちはホノカさんを先頭に、1階から5階へと向かう。

 エレベーターは使えないので、階段を使うしかない。


 俺たちは階段へと向かう。


「5階か…結構な上りだな。」


 俺は1階の階段の踊り場で、つい言葉を出してしまう。


「先輩?」

「ああ、大丈夫だ。」

「運動不足ですかね?」

「そうかもしれん。」


 俺はナズナにそう言うしかない。

 しかし、そうでなくとも、この暗闇の中、5階まで上るのは予想以上に大変かもしれない。


「大丈夫かしら?」


 心配そうに問いかけるホノカさん。


「基本、怠け者の先輩はこういう時に大げさにいうので、大丈夫です!」

「そう?つらくなったら行ってね、ツバキ君。休憩を入れるから。」

「分かった。」


 どこか不安げにホノカさんは、ゆっくりと階段を上り始めた。


 ホノカさんが先頭に立ち、その後ろにナズナ、そして最後に俺が続く。


「先輩!まだまだ!」

「ああ、まだ大丈夫だ。」

「気をつけてね。階段は滑りやすいわ。」


 ホノカさんの優しい声が響く。

 俺たちは慎重に一歩一歩進んでいく。


 1階から2階へ。

 2階から3階へ。


 階段を上るにつれて、俺の呼吸が少し乱れ始めた。

 やはり、普段の運動不足が響いているのかもしれない。


「はぁ…はぁ…。」

「先輩!」

「ああ、まあ…大丈夫。」


 俺は息を整えながら進む。

 半分、ナズナに引っ張られるかのような進みだ。


 3階から4階へ。

 ここまで来ると、さすがに疲れが出てきた。


「ちょっと、待ってくれ。」


 俺は少し立ち止まり、深呼吸をした。


「ツバキ君、このまま休憩する?」


 ホノカさんが優しく声をかけてくる。


「いや、大丈夫だ。このまま行こう。」


 俺は断ったが、正直なところ少し休みたい気持ちもあった。

 しかし、この状況でこんなところに長居するのは危険かもしれない。

 頑張るんだ、俺。


 4階から5階へ。


 最後の一階分。

 俺は頑張って階段を上っていく。


「もうすぐよ、頑張って。」


 ホノカさんの励ましの声が聞こえる。


「先輩、頑張れー!」

「……。」


 ナズナも応援している。

 俺には答える余裕はない。

 しかし、その励ましの声で、もう少しだけ頑張ろうという気になる。


 そしてついに、5階に到着した。


「ふぅ…着いたな。」


 俺は少し息を切らしながら言った。


「先輩、頑張りましたね!」


 まるで子供のようにナズナが俺に声を掛ける。

 ちょっと、深呼吸を俺はした。


「ああ、ちょっと運動不足だっただけかな?…まあ、これで少しは運動になったかな。」

「はいはい。」


 ナズナは、ああ、いつもの先輩だな、という雰囲気で俺を見てきた。

 その様子には、心のどこかで安心をしている感じだ。


「ちょっと、二人とも。」


 そんな俺たちにホノカさんが話しかけてきた。


「何でしょうか?…え?」


 ナズナは何かに気が付いたようだ。

 俺はナズナがスマホの光を当てている先。

 そして、ホノカさんが見ている場所を見た。

 

 白い壁。


 それは、5階の階段踊り場から出た先。

 いや廊下へと出るべき箇所だ。


「なんだこれ…」


 階段踊り場から見えるはずの廊下は見えない。

 本来、階段から接続されているはずの廊下の代わりに、真新しい白い壁があった。


 その周囲には、防火扉やそれを受ける仕切り箇所は、そのままだ。

 まるで、無計画に増築してつじつまが合わなくなった建物のようだ。


「これより先に進めないわ。」

 

 ホノカさんは困惑している。


「これは間違いなく悪霊の妨害ね。」


 俺たちはその場に立ち尽くした。

 どうすればいいのか。

 5階に行けないのなら、輸血パックは手に入らない。


「このまま、屋上にいくべきかな?」

「いいえ、ここまで邪魔をしてくるということは、やはり血液パックは何か有効な手だと思われるわ。」

「確かに、そうですね。」


 ナズナも、ホノカさんの言葉に頷く。

 俺も確かにそう思った。


 しかし、壁が邪魔だ。

 どうすればいいのだろうか。


 その時、俺のスマホが震えた。


「先輩、なんですか?」

「いや…分からない。」


 どうやら電場番号に連動したメッセージだ。

 送信者は不明。


「メッセージだ。」

「ツバキ君、それを開いてみて?敵意は感じないから。」


 ホノカさんに言われるがままに、俺はメッセージを開いた。


『地下1階のエレベータ機械室へ』


 メッセージにはそう書かれている。


「ホノカさん、これ…」


 俺はスマホの画面をホノカさんに見せた。

 ナズナも俺のスマホの画面をのぞき込む。


「エレベータ機械室?」


 俺は考える。

 その地下にある部屋。

 どういう意味だろう。


「エレベータを動かせ、ということでしょうか?」

「そのためには地下に行く必要がある、ということかしら。」


 二人は推理をしている。

 確かに、エレベータはどの階でボタンを押しても反応はなかった。

 つまり、電源が落とされている。


「地下にエレベータの電源スイッチがある、ということか?」

「そうね。確かに電源を入れて、エレベータが使えるようになれば、エレベータから5階にいけるかもしれない。」

「エレベータの出口に壁があったりして…」


 俺は悲観的なことを述べる。


「たぶん、その送信者はその答えを知っているわ。」

「つまり?」

「エレベータから5階へ行けるはずよ。」


 そのホノカさんの言葉にナズナは頷いている。


「先輩、地下へ行きましょう!」

「分かった、そうしよう。」


 俺は、階段を5階まで登ってきた努力が水の泡に化してしまうのは…とも思ったが

 まあ、このヒントが得られただけでも良しとしようと考えることにした。

 

 それに階段を降りるのは、登るよりも楽なはずだ。


「それじゃ、この階段で地下に行きましょう。」


 そして、ホノカさんを先頭に俺とナズナは階段を下り始めた。

 5階から地下1階へ。

 実はここまで登って来た時よりも長い道のりだ。


「先輩、足を踏み外さないでくださいね。」

「ああ、問題ない。」


 まあ、そうはいったが先ほど階段を上った疲れがちょっと残っていた。

 それにしても、ホノカさんは別としてもナズナのやつ。

 疲れたりしてないのだろうか?


「ナズナ、疲れてないか?」

「いいえ、これくらいへっちゃらです。」


 元気そうだ。

 はぁ。俺だけか。

 俺はそんな爺臭い感じで階段を下りていく。

 先に降りているナズナのじゃまにならないように、慎重に…


 階段を下りながら、俺は周囲の様子を観察した。

 非常灯の薄暗い光が、かすかに周囲を照らしているだけだ。

 確かに夜の病院らしく、不気味だ。


「気をつけて。階段は滑りやすいわ。」


 ホノカさんの優しい声が響く。

 俺たちは慎重に一歩一歩進んでいく。


 5階から4階へ。

 4階から3階へ。


 単調だった。

 ただ、下りは登りと違って楽だ。

 それが単調さにつながっている、ともいえる。


 3階から2階へ。

 2階から1階へ。


「ここから、地下よ。」

「初めてのエリアですね。」


 ホノカさんとナズナが話をしている。

 俺にしてみれば、階段の風景が変わらない以上、同じようにも思えた。

 まあ、初めての場所ではあるのだが。


 1階から地下1階へ。


 一つ一つ。

 階段の段差を降りるにしたがって、周囲の空気が少しずつ変わっていくのを感じた。

 湿度が上がっている気がした。

 いや、それよりも何とも言えない匂いが鼻をつく。

 汗や血液、肉や何かが腐敗したような、饐えた匂い。


「なんか…匂いませんか?」


 ナズナが小さな声で言った。


「ああ、気のせいじゃないな。」


 俺も同意する。

 その匂いは、階段を下るほどに強くなっているようだ。


「この先の地下には、遺体が安置しているみたいね。」


 ホノカさんがそう言った。

 遺体。

 つまり死体だ。


「死体があるのか?」

「ここは異界よ。何があっても不思議じゃないわ。」

「そうですね。」


 ホノカさんのいうことにイエス!というナズナ。

 俺の言う事には…。

 …むしろ、俺がナズナの言うことにイエス!といっている。

 まあ、それはそれでいいとして。


 俺たちは階段を下りていく。


 降りていくにつれて、確実に匂いが強くなっていった。

 一段一段と下がるほどに、匂いのもとに近づいている。

 そして、確実に匂いが強烈になっていく。


 そして、俺たちは地下へ完全に降り切った。

 今は、地下1階の階段の踊り場だ。

 地下の廊下が見えている。

 その構造はほかの階と同じようだ。

 そして、非常灯の明かりに照らされていて、薄暗さも他の階と変わらない。


 ただ、その…。

 匂いがあるだけだ。


「二人とも、ここからは気をつけて。」


 ホノカさんは、階段の踊り場で振り返る。

 俺たちは、頷いた。


「さあ、いくわよ。」


 ホノカさんはそう言って、階段の踊り場から廊下へと進みだした。


 その廊下に足を踏み入れると、モワッとしたものを感じた。

 空気の粘性が高い。

 それほどに匂いが強く感じる。

 まるで身体に纏わりつくような感じだ。


 俺にはちょっと辛い。

 

「うっ…」


 先にいるナズナが思わず声を上げている。

 そして、彼女はハンカチを取り出し、鼻を覆った。


「ここは…」


 俺の言葉が途切れる。

 目の前に広がる光景は、死を暗示しているものに溢れていた。


 廊下には幾つもストレッチャーが並んでいる。

 その上には白い布が被せられているが、人の形をしているのが分かる。

 これらはおそらく…

 しかし、これらは霊安室には収まりきらなかったのだろうか?


 そのまま物体かのように、そこらへんに安置されている。


「ツバキ君、ナズナさん。ここには無数の魂がいるわ。でも、あまり気にしないで。彼らは特段、目的がないみたいだから。」


 静かにホノカさんは語る。


「私たちは、あそこに行きましょう。」


 そういってホノカさんが指さす先に、扉が見えた。

 スマホの光でルームプレートを確認すると『エレベータ機械室』と書かれている。


 俺たちはこの地下の空気をあまり吸い込まないように、静かに歩き始めた。

 ゆっくりと慎重に、歩みを進める。

 エレベータ機械室までは、ほんの少しだ。


 その時、俺は背中に冷たい視線を感じた。

 誰かに見られているような感じだった。

 

 とても後ろを見ていたい衝動に駆られてしまう。


「二人とも、気になるでしょうけど。特に問題ないわ。前に進んで。」


 ホノカさんの励ましによって、体を奮い立たせて先に進む。


 薄暗い廊下。

 ストレッチャーの上に置かれているものが少しだけ動いた気もする。

 それは気のせいだろうか?

 

 いや、余りそちらを見ないほうがいいかもしれない。

 知らず知らずに、俺はナズナの手を握っていたようで。

 ナズナも俺の手を握り返してきた。


 ここは一人では居たくない。

 ホノカさんとナズナがいて良かった、心底、俺はそう思った。 


 やっとの思いで、エレベータ機械室の前に到着した。

 しかし、その扉には簡易的な鍵がつけられていた。

 壁に取って付けたような金属片と南京錠によって、開き扉が開かないように細工されている。


「鍵、ついてますよ。」


 ナズナが呟く。

 扉を無理やり動かせば、これくらいは壊せそうだと、俺は思った。

 しかし、俺が破壊する前に、ホノカさんが前に出た。

 ホノカさんは南京錠に手を触れる。

 すると「カチッ」という音とともに南京錠が外れた。


「すごい…」


 たぶん、霊的ななんかなんだろう。

 俺の思惑とは次元の違う光景に、思わず声に出してしまう。


「さあ、中に入りましょう。」


 ホノカさんが扉を開ける。

 中は掛かれているとおりに機械室だった。

 ただ、最新鋭の場所とは程遠く、壁や装置には錆びが目立つ。

 コンクリートむき出しの壁なのにもかかわらず、まるでどす黒い血が放置されて酸化しているかのような色となっている。

 そんな赤茶けた色を基調とした部屋。


 その部屋には様々なボタンがある。

 配電盤、電力、テレビ、電話…

 それぞれのプレートに掛かれている。

 その中にはエレベータと掛かれたものもあった。


 エレベータと掛かれた大きな制御パネル。

 その上には無数のスイッチやボタンが並んでいた。


「これね。」


 ホノカさんが一つの大きな赤いボタンを指さした。

 『電源』と書かれている。


「押せばいいか?」


 俺が確認すると、ホノカさんは頷いた。


 俺はそのボタンに手を伸ばす。

 ボタンを押すと、どこか動き出す音がした。


「やった!」


 ナズナが小さく歓声を上げた。


 しかし、その喜びもつかの間。

 突然、遠くからうめき声のようなものが聞こえた。


 しかし、この部屋は密室だ。

 そのような音が外から聞こえるはずはないのだが。

 いうなれば、俺の脳に直接働きかけているような音だ。

  

「まずいわ。気付かれたみたい。」


 ホノカさんはそう言って、機械室の出口へと急いでいる。


「急いで戻りましょう。エレベーターを使えば、5階まで一気に行けるはず。」


 ホノカさんに続いて、俺たちは急いで機械室を出た。

 廊下に出ると、さっきまでのどこか時間の停まったような静かな様子は消え去った。

 どこからともなく、唸り声のような音が聞こえてくる。

 それは犬の遠吠えのような音だ。

 低い低音。

 

 …しかし、確実に人の発している声だった。


「エレベータへ走って!」


 ホノカさんはナズナの手を引いて進む、

 ナズナは俺の手を引いている。

 俺たちは全力でエレベーターに向かって走り出した。


 突然、後ろから「ズルズル」というモノを引きずるかのような音が聞こえた。

 

 その音はなんだろう。

 俺は気になる。


「気にしないで!進んで!」


 ホノカさんの切迫した声。

 確かに確認する暇はない。

 先に進むことが最優先だ。


 後ろから聞こえてくる不気味な音。 

 俺は、その音の意味を考えないことにした。


 ホノカさんの先導で俺とナズナは廊下を進む。


 エレベーターが見えてきた。

 扉は開いている。


「急いで!」


 俺たちは飛び込むようにエレベーターに乗り込んだ。

 最後に俺がエレベータに乗り込むと、ホノカさんが「5階」のボタンを押す。

 扉が閉まる直前、廊下の向こうには、何か動く物体らしきものが見えた。


 しかし、それが何なのかを確認する余裕はなかった。


 ガタン


 エレベーターが上昇を始めた。

 俺たちは、肩で息をしながら、お互いを見つめ合った。


「大丈夫か?ナズナ。」

「は、はい…なんとか。」


 さすがのナズナも動揺しているようだ。


「もう、大丈夫よ、二人とも。」


 ホノカさんは、俺たちにゆっくりとした様子で話しかけてきた。

 重力に逆らって、エレベータが上昇していく感覚。


 その感覚を感じながら、エレベーターが5階に到着するのを待った。


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