第11話


 とある昼下がりの午後。

 今日は休日だ。

 大学も高校も休みだ。

 いつものように俺のアパートへと来ていた、ナズナ。


 今日は用事があるらしい。

 ナズナの学校の友達が入院したらしい。


 先輩、お見舞いにいきましょう!

 そんな感じだ。


 言うまでもなく、ナズナの友達のお見舞いに俺も一緒にいくことなった。


 昼の気温が一番高い時間。

 俺とナズナは、アパートを出て、その近くを歩いていた。


 ナズナの姿を見る。


 白のブラウスに淡いブルーのフレアスカート。

 白のローカットスニーカー。

 肩には小さなバッグを掛けている。


 彼女は私服姿だ。

 普段は制服姿であることが多い、ナズナ。


 こうして私服を見ると、やっぱり可愛いなと思う。


「これから行くの、どこの病院だっけ?」

「えーっと、市内の総合病院です。バスで行けますよ」

「バスか…。」


 俺はバスに乗って、異界に連れて行かれたことを思い出していた。


 あの日。

 帰り道で乗ったバスが無人になって。

 不思議な場所へと運ばれた。

 夢見ホノカさんとの出会い。

 俺との深い関係であるらしい彼女。

 俺が思い出せない記憶。夢見村。夢見神社。現世には存在しないもの。

 しかし、なにか呪いのような因果によって、俺はホノカさんと出会い、そして異界から戻ることができたのだ。


 無力な俺たちは、ホノカさんという神によって助けてもらったのだ。


「先輩、今回は昼間なので大丈夫ですよ。きっと。」

「そうだな。」


 俺は根拠もなく、その言葉に同意する。

 一方で、あのナズナの高校の制服を着たホノカさんの姿を思い出していた。

 腰まで伸びる黒い髪。

 すらりとした身体。長い脚。

 ナズナとは対照的な美人。


 異界に迷い込んだら、もう一度、そんな彼女と会えるかもしれない。


「先輩、ホノカさんともう一度会える、とか。そんなこと考えてます?」


 ナズナの鋭い目が俺を貫いた。


「ああ…。」


 俺は、とりあえず出た曖昧な言葉を口にした。

 そして、思い出す。


「いや、ナズナ。ホノカさんは見えてないだけで、今も近くにいるさ。」

「そうですね。」


 ナズナは何かハッとした様子で、そう答えた。

 そう。

 彼女は今もいるはず。

 俺たちを見守っているはずなのだ。


「バス停前までは、まだあるな。」


 俺は道の方を向いた。


「そうですね。まだ少し歩かないと」


 ナズナは涼しげにそう答える。

 正直、俺は疲れていた。

 歩くのがだるい。

 バス停はまだかー。

 俺はそう思った。


「ナズナ、暑くないか?」

「私は平気です。ああ、先輩。疲れたー休みたい、っていいたいんですね。」


 どこか呆れたように、ナズナが言った。


「よく分かったな。」

「はいはい。分かりますよ。それくらい。」


 ナズナは当然とばかりに言っているが、そこまで、分かってくれているなら。

 ちょっとばかし、歩くペースを遅くしてくれないだろうか、と俺は思った。


「バス停まで、あと少しです。それくらい歩きましょう。」

「えー。まー。んー。」

「あっ、ほら。見えてきましたよ。バス停。」


 ナズナが指差した先には、バス停が見えた。

 俺は気力を少しだけ回復した。


「はあ。あそこまで歩くか。」

「そうですよ。先輩。その意気です。」


 まるで小学生をあやすかのように、ナズナは俺に言った。

 まあ、ナズナお姉ちゃんに言われて悪い気はしない。

 それにどちらにしろ、バス停までは歩かされるだろう。

 長年の付き合いから、俺はそう考えていた。


「頑張る。」

「頑張れ!先輩。すごいですよー。あと少し!」


 ナズナの大げさな声援。

 ある意味、バカにされているようにも聞こえる。


「先輩、歩いている姿がかっこいい!」

「……。」

「右足、次は左足!」

「はぁ…。」

「先輩、バス停まであと少し!」

「分かった。」


 俺はナズナの言われるがままに、バス停へとすすんだ。

 

「はぁ、疲れた。」

「でも、良かったじゃないですか、先輩。今からすぐにバスが着ますよー。」


 俺とナズナは、バス停のベンチに座っていた。

 待っている人は、まばらだ。

 部活動なのか、制服を着た人。その他、会社員のような人。

 その中で、ベンチに座っているのは、俺だけだ。


 がっくりとした様子で俺は、ベンチに座り込んでいた。


「どうしたんですか、先輩。」

「いや、なんか。もっとゆっくり来ても良かったかな、って。」

「そんなことないですよ、5分前行動というやつです。」

「まあ、出発ギリギリのバスに乗るよりはいいのかな?」


 周囲を見る。

 人はいない。

 それに出発するまで、バスはここでいくらか待つことができるだろう。

 きっと。


「先輩、日常から運動してないと、どんどん動けなくなりますよ?」

「それはそうだな。」


 確かに、ナズナによってあっちこっちに連れて行かれる。

 そのことで俺は運動している気がした。

 食事も運動も実は、ナズナに管理されている?

 いや、そんな、バカな。


「あっ、バスが着ました。」

「おおっ!」


 俺は思わず声に出す。

 そして、俺とナズナは列の一番後ろに並んだ。


 バスが到着して、ドアが開くとまばらな人たちが吸い込まれるようにバスへと入っていく。

 俺とナズナもその最後尾で、バスの中へと移動していく。


 バス内には、あまり人はいないかった。

 席はまばらだった。


 運転席の横に据え置きされた、運賃箱。

 そこで、立ち止まって支払いを進めているナズナ。

 俺はナズナが電子マネーで支払いを済ませているのを確認しながら、思った。


 あ、そうだ。

 お金、お金。


 うーん。

 でも、なんか今日はかっこよく済ませたい。


 ピッって。

 スマートに決済。


 そういえば、俺には電子マネー、なんかあったけ?

 ナズナといっしょに設定した奴があったような。

 スマホを出す。


 しばらく使用していないアプリだ。

 使用していないことで、ログインが必要だった。


 あ、パスワードなんだっけ。


 そんなことを考えていると、俺が支払う順番になった。

 ナズナは俺を待ってくれている。

 そして、こちらを見ている。

 周囲の人がいるから、何も言ってきていないが

 おそらく、俺が電子マネー支払いで苦戦していることを察知している。


 面倒だ。

 …現金でいいや。

 俺は財布から小銭をだして、支払いを済ませた。


 支払いが終わると、ナズナが俺の手を引いてきた。

 ナズナと一緒にバス内を進む。


 結果的には、俺たちは並んで座ることができた。


 窓際に座ったナズナが、こちらを見た。


「先輩、スマホを貸してください。」

「はぁ」

 

 俺は、気の抜けた声を出す。

 隣で俺のスマホで電子マネーアプリの設定をするんだろう。

 スマホを渡す。


「設定するんで、待ってくださいね。」


 そして、この後輩は設定を始めた。


「なあ、ナズナ」

「はい、なんでしょう?」

「お前の友達って、どんな子なんだ?」


 ナズナは、スマホを操作する手を止めた。


「えっと、同じクラスの子です。おとなしい子ですね。」

「そうか。」

「学校から帰る途中で、足を踏み外してケガをしたらしいです。」

「それは大変だな。」

「ええ、片足を複雑骨折して…。」


 俺は生返事をしながら、考えた。

 これから見舞いに行く、女子生徒とナズナの関係について。

 そして、ナズナとは友人、とはいえ。そこまでの間柄ではない。


 女の子通しの友達って、その範囲は広い。

 きっと、たぶん。知らんけど。


「あっ、先輩。なにかへんなこと考えていますね?」

「えっ、ああ?違う、違う。これから見舞いに行く子は、綺麗な子なんだろうな、って。」


 俺は、差し当たりのない回答をしたつもりだった。

 しかし、口に出してから気が付いた。

 これから見る初対面の女子高生の容姿を気にしている、俺。


 これは問題なのでは?


「もー、先輩ったら。そんなことしか考えていないんですか?」

「あ、いやこれは言葉の綾というか…。」


 ナズナは、不満そうな顔で続けた。


「…まあ、これから行く子は、大人しくて綺麗な女の子だと思いますよ?」


 そこまで呟くように語ったナズナは、あっ、という感じの顔をした。


「でも!私は先輩の恋人なんですよ。」

「ああ、そうだな。すまなかった。」


 俺は素直に謝った。

 そう、ナズナは俺の恋人で将来を誓った仲だ。

 なんか、ばつが悪い。


「俺は、ナズナを愛している。だから安心してくれ。」


 俺はきちんと気持ちを伝えた。


「ええっ。ああ、はい。…ありがとうございます。」


 ナズナはそういうと、照れ隠しなのか。

 スマホの操作を始めた。

 電子マネーの設定の続きを行っているようだ。 


 俺は、そんなナズナ越しにバスの外をみた。

 見慣れた街並みが過ぎていく。

 どこかで見たような風景だな、と感じる。


 バスは市内を進んでいった。


「先輩、スマホです。」


 そう言って、ナズナは俺のスマホを手渡してきた。


「ありがとう。」

「これで次からは、先輩も決済ができますね。」


 ナズナは笑顔でそう言っている。

 これで俺も、電子マネーデビューだ。

 

 実はこれを言ったのは、二回目だったりする。

 そして、今回もしばらく使うことなく、忘れ去られていくような。


 とはいえ、ナズナの健気な努力。

 心遣いには感謝だ。


 そんなことを二人でやっているうちにも、バスは進んでいた。


 俺たちの目的地である、総合病院へと近づいていく。

 ちなみに、病院でバスを使用する人が多いためか。

 バス停が病院の目の前に設定されていた。


 あとはバスから降りれば、その病院へと到着する。

 バスに乗って待つだけ。

 なんて素晴らしいことだろう。


「先輩。お見舞いの品が文房具とノートで、本当に良かったんでしょうか?」

「ああ、そんなにかさばらないし、なにかと必要だと思うから、いいんじゃないか?」


 俺たちは、その子の見舞いとして文房具やノートを買って持っていっている。

 高校生で勉強用具は必須だしな。

 ノートとか何冊あっても、無駄にはなるまい

 たぶん。


 そんな会話をしていると、遠目に病院が見えてきた。

 大きな白い建物が、バスの窓越しに徐々に近づいてくる。


「次に停まります。」


 バス停で止まるアナウンスが流れてきた。

 俺たち以外にも、何人かの乗客がソワソワとし始めていた。

 どうやら、病院に行く人は俺たちだけじゃないようだ。


「そろそろ着きますよ。」


 ナズナが小声で言った。


「ああ、そうだな。」


 俺たちも、バスから降りる準備をする。

 とはいっても、心の準備をするくらいだが。


 病院は大きな建物だった。

 近づくにつれ、病院の全容が見えてくる。

 白を基調とした近代的な建物で、どこか無機質な印象を受ける。


 その正面には広々としたロータリーがあり、その一角にバス停が設置されている。

 バスが徐々に減速し、その停留所に滑り込むように停車した。

 ドアが開く音とともに、冷房の効いた車内に外の湿度の高い空気が流れ込んでくる。


「行きましょう。」


 ナズナが立ち上がり、俺の手を軽く引っ張る。

 俺もそれに従って立ち上がる。

 そして、ナズナと共にバスを降りた。


 アスファルトに降り立つ。

 むわっとした湿度の高い空気に身体が包まれる。

 ああ、まだ真夏じゃないんだけどな。

 俺はそう思う。


「まず、この病院の受付に行かなきゃな。」


 俺が言うと、ナズナが頷きながら周囲を見回した。


「あっちですかね?」


 ナズナが指さす方向に目をやると、大きな矢印と文字が書かれた案内板が見える。


「確かに『総合受付』って書いてあるな。多分、そこでいいだろ。」

「じゃあ、行きましょ。」


 俺とナズナは、その方向へ歩き始める。


 その入り口は、大きな自動ドアだった。

 その自動ドアからは、中の様子が透明なガラス越しに見えた。

 広々としたロビーには、いくつかの窓口が並んでいた。


 ドアをくぐると、病院特有の消毒液の匂いが鼻をつく。

 同時に、強めの冷房の効いた空気を感じた。


「ちょっと寒いくらいだな。」

「そうですね、先輩。」


 俺へ返事をしながら、ナズナはキョロキョロと周囲を見ている。


「総合受付はあっちみたいですよ。」


 ナズナが指さす先に、確かに『総合受付』と書かれた表示が見えた。


「よし、行こうか。」


 俺たちは受付に向かって歩き始める。

 途中、車椅子の患者さんや点滴を押す看護師とすれ違う。

 病院特有の雰囲気だ。


 受付に到着すると、ナズナが俺の前に立ち、受付の女性に話しかけた。


「すみません、私たち、お見舞いに来たんですが…」


 ナズナが友達の名前や簡単に状況を説明すると、受付の女性が何かを確認し始めた。

 

 俺はその様子を見ながら、なんとなく周囲を見渡す。

 そのとき、不意に奇妙な感覚に襲われた。

 言葉では表現しづらいが、まるで虫の知らせのようなもの。

 直観。

 これから、何かかが起ころうとしている、そんな予感めいた感覚だった。


「先輩?」


 ナズナの声で我に返る。


「あ、ああ。どうだった?」

「4階の403号室だそうです。」

「そうか。じゃあ、エレベーターで行こうか。」


 俺たちは表示案内に従って、エレベーターに向かう。


 その間も、さっきの違和感が頭から離れない。

 もしかして、何かまずいことが起こるんじゃないか。

 そんな考えが頭をよぎる。


 エレベータの前に到着した。


 そこでは、エレベータを待っている人はいなかった。


 …この規模の病院で?


 俺は、疑問に思った。

 そして、先ほどの違和感と関連付けて考えてしまう。

 今から何かがあるのだ、と。


 …いや、止めよう。

 もしかしたら、別のエレベータがあるのかも…


 俺がそんなことを考えている間に、ナズナがボタンを押している。


 すぐに扉が開いた。

 開いたエレベータ内には誰もいなかった。


「あっ、先輩。すぐ乗れますよ。」

「あ、ああ。」


 ナズナは俺の手を引っ張る。


 違和感は強くあったが、俺はそれを振り切って、ナズナと共にエレベーターに乗り込む。

 4階のボタンを押した。

 ドアが閉まり、上昇を始める。


「なあ、ナズナ。」

「はい?」

「なんか…変な感じしないか?」


 ナズナは少し考えてから答えた。


「えっと、変?といいますと?」

「なんだろう、虫の知らせというか。」

「冷房が効きすぎている、とかですか?」

「うーん、そういうのとは違うんだよな。」


 俺とナズナがそんなことを話していると、4階にエレベータは到着した。

 電子音とともに、エレベータのドアが開く。


 白い天井と白い床。

 掃除の行き届いている、白い空間だと感じた。

 看護師。患者。

 それぞれの特徴的な服装をした人たちが歩いていた。

 遠くからは、環境音が聞こえてくる。


 それは何の変哲もない、病院の廊下だった。


「さ、行きましょう?」

 

 ナズナがそう言って、先を進みだした。 

 俺もナズナに続いてエレベータを降りる。


 この階の403号室を探すのだ。

 すぐ前にはナースステーションがあった。


 403号室を聞くべきか?

 いや、病室を聞くまでもないだろう。

 きっと、そのまま廊下を歩いていけば、どこかにあるだろう。


 そう思った。


 したがって、俺はナズナの手を引いて、どんどんと4階の廊下を進んでいく。

 412、411、410…

 

 ナースステーションから、遠ざかるほどに病室の数字は少なくなっていくみたいだった。


 このまま進めば、403号室に行き当たる。

 簡単なことだ。


 俺とナズナは、分かれ道のない廊下を進んだ。


 405号室が見えた。

 そこで廊下は、曲がり角に差し掛かった。


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