第10話

 バスがトンネルを抜ける。

 目の前に、夕暮れが広がっていた。

 そこにあるのは、田園風景の光景だ。


「これは…」


 俺の隣に座っているナズナのつぶやきが聞こえた。


 窓の外には、バスが進む先が見えた。

 そこは片道一車線のアスファルトの道だ。


 その日本の田舎道の周囲には、一面の水田が見える。

 そこにあるのは、稲穂だ。

 風に揺られている稲が遠くまで続き。

 その遠くには山々の稜線が見えた。


 夕暮れ時の橙色の光が、その日本の風景を照らしている。


「ここは…」


 俺は言葉を詰まらせる。


 既視感。


 そう、確かに。

 俺は、ここを見たことがある気がする。


「ツバキ君?」


 ホノカさんが、俺へ尋ねる。

 俺の隣にはナズナがいるので、ナズナの横からだ。 


「俺は、ここを見たことがある気がする。」


 俺は頭を抱えながら答えた。

 記憶の奥底で何かを思い出せそうで、思い出せない感覚。


「もうすぐ終点よ。」


 ホノカさんが微笑む。

 バスは、ゆっくりと道路を進んでいく。

 窓の外の景色が、少しずつ変化していく。


「ホノカさん?ここは?」


 ナズナがホノカさんに尋ねた。


「ここは私に関係する異界。今、ここに私とツバキ君がいる。だから、必然的に私たちはここに来たのよ。」


 その言葉に、俺とナズナは顔を見合わせた。


「必然…ですか」


 ナズナが小さく呟く。


「そうよ、ナズナさん。」


 ホノカさんは、ナズナに微笑んだ。

 

「私は、この場所に関係ないんですか?」

「いいえ、もう、そんなことはないわ。」


 ナズナの質問にホノカさんは、続ける。


「ナズナさん?これからもツバキ君と、ずっと一緒でしょう?」

「はい。もちろんです。」


 ナズナは言い切る。

 その答えに俺はちょっとうれしい。

 まあ、ナズナが今更、俺を嫌がることはなさそうだけど。

 だから、ちょっとだけ。


「ナズナさん。あなたは、これからこの異界と関係してくるわ。そうでなければ…、この場所には、絶対に来れないはずだから。」

「えっ?あ、はい。」


 ナズナはホノカさんに戸惑ったように答えた。


 確かに、そのホノカさんの回答には、俺も何かを感じた。


 積み重なった因縁や因習。

 輪廻のような…。

 形容しがたいもの。

 まるで呪いのような重みを感じた。


 なぜだろう。

 俺は、それを怖い、というより。

 宿命のような、元の鞘に収まるような感覚を感じてしまった。


「あっ、バス停!」


 ナズナがそう言って、前方を指さす。


 どこか懐かしくすら感じる赤い看板のバス停。

 近くには、小さなトタン屋根で出来た小屋がある。

 おそらく、ベンチが中に設置されているようだ。


 バスが徐々にスピードを落とし始めた。

 バス内にある『とまります』と掛かれたボタンが光った。


 誰も、そのボタンを押していないのにも関わらず。

 

「そろそろね。」


 ホノカさんは独り言のように呟く。


 バスが止まった。


 圧縮空気が抜けるような、バスのドアが開く音が聞こえた。

 ついにバスのドアが開いたのだ。


「さあ、降りましょう」


 ホノカさんが席から立ち上がる。

 ナズナと俺もそれに続いていく。


 バスの通路。

 バスのステップをゆっくりと降りていく。


 そしてついに、俺はアスファルトに足をつけた。

 オレンジ色の夕日が周囲を照らす。

 

「ここが…終点」


 そう言いながら、俺は周辺を見渡す。


 バス停の向こう側に、石造りの階段が見える。

 その先には、鬱蒼とした木々が生い茂っていた。


「あの先に、私の神社があるの。ナズナさん、ツバキ君。ついて来てくれる?」

「はい!」


 ナズナは、ホノカさんの隣へと移動する。

 

 そして、ホノカとナズナが隣り合って歩き始めた。

 俺はその後ろを歩くことにした。

 

「夢見神社か。」


 何か重要なことを思い出しそうで、でも思い出せない。

 もどかしさが込み上げてくる。


 これまで通ってきたアスファルトの道から石造りの階段へと進んでいく。


 俺たちは石段を登り始めた。


 一段、また一段。

 階段を上るたびに、強烈な既視感を感じた。

 確かに、俺はここに来たことがある。

 しかし、なにもはっきりとは思い出せない。


「先輩、大丈夫ですか?」


 ナズナが心配そうに俺を見る。


「ああ、大丈夫だ。」


 俺は、ナズナに心配させたくないので、そう答える。

 ナズナは、納得していない様子だったが、追及はしてこなかった。


 そのまま、俺たちはしんみりとした雰囲気で階段を進む。

 ひぐらしの鳴く声が五月蠅かった。

 しかし、ここの季節はなんだろう?

 暑くはない。

 寒くもない。

 

 トンネルから抜けてきたことには夕暮れ。

 この地では、時間はまるで当てにならない。


 俺は、ホノカさんとナズナが一歩先で楽しそうに話しているのを眺めながら、そんなことを考えていた。


 そのまま、俺たちは階段を登り切った。


 階段のさきには、古びた鳥居が立っていた。

 そして、その先には石畳の参道が、木々の間を抜けて続いていた。


「これから先が夢見神社よ。」


 ホノカさんが静かに言った。


「夢見神社…」


 俺はその名前を繰り返す。


「ツバキ君。何度も言うけど、無理に思い出そうとしなくていいのよ。」


 ホノカさんが諭すような口調で続けた。


「ここが私にとって大事な場所なの。」

「ふーん。なんか歴史を感じる神社ですね?」


 ナズナはホノカさんにそう話しかける。


「そう?古臭いだけよ?」

「そんなことないと思います。ねぇ?先輩?」

「ああ、そうだな。」


 俺はそうは答えていたが、この場所から感じる既視感や雰囲気から、正当な判断をしかねていた。


 古臭いとも。

 懐かしいともいえる。

 そんな場所だ。


「そう?そうなら嬉しいわ。」


 ホノカさんはそう言って微笑んだ。

 そして、参道を歩き始めた。


「あっ、待ってください!」


 ナズナが元気よく、ホノカさんを追いかけていく。

 その様子を見ると、まるでここに修学旅行に来たみたいだった。

 ホノカさん、俺、ナズナの班行動だ。


 まあ、俺とナズナは学年が違うから、修学旅行がいっしょになることはないのだけど。

 だとすれば、卒業旅行かな?

 そんなことを思いながら、俺は二人の後に続く。


 参道を進むにつれ、神社の本殿が見えてきた。

 古びてはいるが、荘厳な雰囲気を漂わせている。


「ホノカさん、あれは?」

「私を祭っている、本殿ね。」


 歩みを止めた、ホノカさんがナズナに答えた。


「なあ、質問をしてもいいか?」

「なに?ツバキ君。」


 俺は疑問をぶつけた。


「夢見村は、なくなったんだよな?」

「そうね。もうこの世にはないわ。」

「この夢見神社は、いったいどこにあるんだ?」


 俺がそう言ったとき、ふうっとホノカさんは息を吐いた。


「ここは夢見村の夢見神社よ、ツバキ君。」


 彼女は俺を見てそう言った。


「つまりどういうことなんだ?」

「夢見村は、現世からなくなったの。そして、ここは異界。私の持つ領域となっているわ。」


 ホノカさんはじっと俺を見つめている。


「村にいた人は?」


 俺のその質問に、彼女はどこか遠い目をした。

 何かを考えている。


「それは…。ごめんなさい、ツバキ君。あなたが思い出さなければならないことよ。」


 ホノカさんは、悲しそうにそれだけ言って続けた。


「ツバキ君、ナズナさん。これから進んでいけば、元の世界へ戻れるわ。」


 俺はホノカさんの言葉を、不思議と受け入れることができた。

 ナズナもホノカさんのその言葉に頷いていた。


 俺たちが本殿に近づくにつれ、周囲の厳粛な雰囲気に飲みこまれていく感覚に襲われた。

 

 まるで、これまで知らなかった別の世界へと、一歩ずつ踏み込んでいくような感覚だ。


 ホノカさんが本殿の前で立ち止まる。

 そして、俺とナズナの方を向いた。


「驚かないでね。これから、私の本当の姿が見えるわ。」


 そう言うと、ホノカさんの姿が光に包まれ始めた。


 その光は次第に強くなり、俺たちは目を細めざるを得なかった。

 光が収まると、そこにいたのは制服姿の少女はいなかった。


 代わりにあるのは、白い球体だった。

 その神々しい雰囲気を纏った白い球体から、白い光が周囲を照らしていた。


「これが、私の本来の姿。ナズナさん、ツバキ君には、人じゃない何かに見えているんでしょうね?」


 優しいホノカさんの声が、脳裏に直接響くように聞こえた。


「すごい…」


 ナズナが息を呑む。

 俺も言葉を失っていた。


「ツバキ君、ナズナさん。あなたたちは特別な存在よ。この異界に来られたということは、私との因果が深いということ。特に、ツバキ君は…」


 ホノカさんは言葉を濁した。


「あなたは、私と深く結びついているわ。…そして、ナズナさん。」

「はい?」

「あなたも、これから関わっていくことになるわ。ツバキ君と共に。」

「はい、わかりました。先輩と一緒なら、どんなことでも…」


 迷いなどないかのような答えをナズナは口にしていた。


「さて、そろそろ現世へと戻る時間ね。」


 ホノカさんがそう言うと、周囲の景色が神聖な白い光に上書きされるかのように広がっていく。

 俺とナズナは、何もできないまま、その光に包まれていった。


「ツバキ君。ナズナさん。現世に戻ると、私の姿はあなたたちからは見えないでしょう。だけど、私は見えていないだけで、常にあなたたちの傍にいるのよ。」


 ホノカさんの声が、どこか遠くから聞こえてくるように感じる。


「ツバキ君。私はあなたが全てを思い出すまで、いつまでも待っているわ。」


 もはや、周囲は真っ白だ。

 ただ、隣にはナズナがいることは見て取れる。

 俺はどうしようもできずに、その場にいた。


「ナズナさん、ツバキ君のこと。これからもよろしくお願いね。」


 ホノカさんの最後の言葉が聞こえた気がした。


 そして、目の前が真っ白になる。


 ………

 ……

 …


 …。


 俺は目を開けた。


「ああ?ここは…」


 俺は周りを見回す。


 そこは、俺たちが乗っていた、バスの中だった。

 俺はバスの座席に座っていた。

 隣にはナズナが座っている。


「ナズナ!」

「先輩。」


 俺たちは抱きしめあった。

 周囲の乗客は、俺たちを覗き込むように見ていた。


「あっ。」


 俺たちは、気まずくなって、そのまま座席に隣り合って座った。


 俺は混乱していた。

 夢だったのか?

 いや、ナズナの表情を見ると、そうでもなさそうだ。


「ナズナ、お前も見たよな?ホノカさんのこと。」


 ナズナは小さく頷いた。


「はい。夢見神社のことも…」


 俺たちは顔を見合わせる。

 確かに、あれは実際に体験した出来事だった。


 バスの窓の外を見ると、月が見えた。

 バスは、いつの間にか俺たちの町に戻ってきている。

 どこか見慣れた俺とナズナが住んでいる町の光景だ。


 俺の家に近い道をバスが進んでいる。


「次で降りましょう、先輩。」


 ナズナの言葉に、俺は頷いた。

 ナズナは、とまりますのボタンを押した。


 バス停に向かってバスは減速をしていった。


 このバスは次のバス停に停まる。

 そういった、機械的なアナウンスが流れた。


 バスが停まった。


「行きましょう。」


 ナズナは俺の手を引く。

 俺は、席から離れる。

 そして、ナズナに続いてバスを降りた。


 バスを降りると、夜のひんやりとした空気に触れた。

 空には一面の星空が広がっていた。


「ナズナ。」


 俺は彼女を見つめる。


「なんですか?先輩。」

「これからも一緒にいような?」


 俺の言葉に、ナズナは少し驚いたような顔をした。

 しかし、すぐに優しい笑顔になる。


「当たり前です。先輩と一緒じゃなきゃ。」

「ありがとう。」


 俺たちは手を繋いで歩き始めた。


「先輩の記憶が戻るといいですね。」

「ああ、時が来れば戻るのかな。」

「ホノカさんもそう言ってましたし。そうでしょうね。」


 ナズナは、一呼吸を置いた。


「ホノカさん、そこにいますか?」


 どこかに話しかけるような様子のナズナ。


「ナズナ。」


 俺はナズナを呼び止める。


「なんですか?」

「姿形は見えなくとも、ホノカさんは今も俺たちと一緒に居るさ。」

「そうですね。」


 ナズナはそういうと、先を進みだした。


「今日は先輩の部屋に泊まっちゃいます!」

「ああ、夜も遅いからな。」


 俺はいつものことだ、と思った。


「先輩、今日の夕食に何か追加しましょうよ。」


 ナズナはそんなことを口にしている。

 そういえば、予定だと…。


「吸物とチャーハン、そして余り物の炒め物だっけな?」

「はい!」


 ナズナは話を始める。

 そして、俺たちは夕食会議を続行する。

 白熱した議論をしながら、俺とナズナは道を進んでいった。


 俺のアパートまでもう少しという場所だ。


 そこで俺はナズナと話しながら、周囲をチラッとみた。


 夜空の下、住宅街が見える。

 まるで月の光が、あのホノカさんの白い光のように見えた。

 その光が、俺たちを見守っているように思えた。

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