第7話


 夜空には、月が登り始めていた。

 星も出始めていて、夜も初めの時間だ。


 ナズナと俺は手を繋いで、バス停に向かっていた。


 俺たちが進んでいる道は、車が往来するくらいには広い。

 俺とナズナが進んでいる歩道には、街灯がある。

 その街灯の光が、周囲を明るく照らし始めていた。


「先輩。」

「なんだ?」

「えへへ、なんでもないです。」


 ナズナが俺の手をぎゅっと握った。

 なんだ、ナズナのやつ。

 まるで恋人みたいな。


 …あっ、さっき、俺とナズナは恋人になったんだ。


「先輩、またなんか変なこと考えてます?」


 手を握ったまま、ナズナがジト目で俺を見ている。


「その…もっと恋人らしいことをしないといけないかな、って思ったんだ。」


 俺は、そう言ってごまかす。

 しかし、ナズナは俺の言葉に顔を真っ赤にした。

 いつもとなんか違う反応だ。


 えっ?

 俺なんか言ったかな?


「あの、その…先輩。そんなことしなくてもいいんです。先輩は先輩らしいままで。」


 そう言ったあと、ナズナは、俺の腕へ身体を寄り付かせるかのように。

 俺の腕をとった。


 ナズナ。

 可愛い。

 俺は、ナズナのことで胸がいっぱいになった。


「ありがとう、ナズナ。」


 俺は、歩みを止める。

 ナズナを守るように、ナズナの柔らかい身体を受けとめる。


「先輩。愛しています。」

「俺もナズナのことを愛してるよ。」


 そう言った後、しばらく俺たちは見つめ合う。

 ナズナの顔は、真っ赤だ。

 どこか、その様子は艶かしい。


「じゃあ、そろそろ行くか。」


 俺は、優しくナズナの身体を離した。

 ナズナは、名残惜しそうに俺から離れる。


「ああ、もう。先輩。」


 ナズナは、もっとそのままで居たかったみたいだ。

 俺もずっとそうして居たかった。

 恋人ととなったナズナの破壊力はすさまじいな、と俺は思った。


 しかし、そういう訳にもいかない。


「早く帰らないとな。」

「はい。先輩。」


 そういうと、ナズナは俺の手を取って先を歩き出した。


 そのまましばらく歩いていると、バス停が見えてきた。

 バス停であることを示している看板やベンチが見える。

 そのバス停で待っている人は、誰もいない。

 

「誰もいませんね?」

「そうだな。」


 俺たちは、そのバス停でバスが来るのを待つことにした。


「座りましょう。」

「ああ。」


 そう言ってベンチに隣り合って座る。


「どうやら、バスはもう少しで着そうですけど。」

「時間通りならな。」


 俺とナズナはスマホでバスの時刻表を調べていた。

 バスは公共交通機関であるが、電車とは違って普通に遅れる。

 5分、10分、いや20分くらい遅れてもなんらおかしくない。


「綺麗な夜空ですね。」

「そうだな。」


 ナズナはベンチに座りながら、空を見上げていた。

 俺の隣にいる。

 彼女の身体が俺の肩に触れている。


 あったかい。

 いや、今は冬ではないのだから、こんなに密着すると暑いとなるはずだが。

 不思議とナズナの体温の温かさは、心地よく感じた。


「バス来ないですね?」

「そろそろ来てもいいけどな。」


 バス停へ到着する予定時刻を過ぎていた。


「バスが混んでいるのかな。」

「どうでしょうか?」


 このバス停には人がいない。

 この路線のバスに人が乗っているようには思えない。

 道路状況が悪いのか、と俺は結論付けた。


「それにしても、私たちは、恋人なんですね。」


 ポツリとナズナがいう。


「何も変わっていないけどな。」

「いいえ。先輩。それは違いますよ?」


 そこまでナズナ入ってから、俺の方を向いた。

 そして、俺に抱き着いてきた。


「ふふっ、これは恋人だからできることですー。」


 俺に抱き着きながら、ナズナはそう言った。


 顔は真っ赤。

 動作がどこかぎこちない。

 

 彼女は慣れていないのか、恥ずかしそうだ。

 でも、それは俺も同じだ。


「お、おい。」


 俺も動揺する。


 ナズナは、無言だ。


 俺は、ナズナを支えるようにゆっくりと抱きしめる。

 ナズナの柔らかい身体を感じる。

 そして、ナズナの清潔感溢れる香りでいっぱいになった。


 しばらく、二人でそのままいた。

 ゆっくりとした時間が流れている気がした。


 しかし、冷静になって考えてみると。

 周囲に人がいないとはいえ、バスのベンチで抱き合っているのは…


「ナズナ。バスが来るかも。」


 辛うじて俺が声を出した。


「あっ、ごめんなさい。」


 パッとナズナが俺から離れた。

 いや、そういう意味じゃない。

 ま、そういう意味だけど。


 ナズナとのいい雰囲気に水を差してしまったような。

 何か悪いことをしてしまった感じだ。


「いや、あの。すまん。ナズナ。」


 俺は反射的に謝ってしまった。


「ふふっ。もう、先輩。何を言っているのか。良く分かりませんよ?」


 そういっている、ナズナの顔は真っ赤で。

 明らかにスキンシップに慣れていない感じをありありと感じた。


 俺も慣れてないけども!


 そんなことをしていると、遠くから大きな車のエンジン音が聞こえてきた。

 大きな車体の車、すなわち、バスだ。


「あっ、先輩。バスですよ」


 そういって、隣にいたナズナは立ち上がった。


「おお。」


 俺も立ち上がってバスを確認する。

 バスの向かう先は、俺たちの家の方向で間違いない。


「ナズナ、今日も俺のところか?」

「はい!」


 俺たちが、会話をしているとバスがバス停前に到着する。

 俺たちが、カフェに来た時に使用したバスと同じ形式だ。

 何の変哲もない、普通のバス。


「あ、乗りましょう。」


 ナズナは俺に手を差し伸べる。

 俺は、ナズナの手を取った。


 ナズナと一緒に俺はバスへと乗っていく。


 バスに乗った俺は、バスの中を見た。

 バスの運転手以外に、車内には誰もいない。


 そして運転手は、中年の男性。

 どこか生気の感じられない。

 ずっと働き詰めの会社員。

 そんな感じがした。


 まあ、現代社会の犠牲者という事だろう。

 俺がそんなことを考えているうちに、先導しているナズナは、テキパキと乗る手順をこなしている。


 運転席横にある運賃箱に、運賃を支払って、整理券を取っている。


 そして、俺の番となった。

 …支払いは現金でいいだろ。

 俺は財布から小銭を取ってから運賃箱に投げ入れる。

 そして、整理券を取った。


「さて、ここに座りましょう?」


 ナズナの言う通りに俺は座った。


 バスの中ほどくらいの場所の席。

 二人が座るスペースがある。

 ナズナは窓際。その隣が俺だ。


 俺が座ったとき、バスが出発するとのアナウンスが流れた。


「バスが出るみたいだな。」

「そうですね、先輩。」


 そういうとナズナは、自分の体重を預けるかのように、俺の腕にもたれかかってきた。

 俺は、そんなナズナをそっと抱き寄せた。


「恋人みたいだな。」

「恋人ですよ、先輩。」

「そうだった。」


 そんな冗談をナズナと交わしている間にも、バスは道を進んでいた。


「今日の夕飯は何がいいでしょうか?」

「うーん。」


 俺は少し考えた。

 なんでもいいのだが。

 なんでもいい、というとナズナに怒られる。


「冷蔵庫に残っているものを炒めたチャーハンとか?」

「チャーハンですか。」


 ナズナは、確認するようにそう呟く。


「うーん。チャーハンはいいとして、汁物も作らないと。」

「一汁三菜ってやつか?」

「まあ、そんなところです。」


 それから俺たちは、しばらく夕食の話を進めて行った。

 

 そして一通り、いつもの夕食会議が終わったときだった。


「それにしても、先輩。さっきのカフェ、本当に良かったですね。」

「ああ、そうだな。雰囲気がカフェみたいで良かった」


 語彙力がない俺はそう感想を述べるしかない。

 あれは、某大手チェーンとは違う、カフェらしいカフェなんだ。


「先輩、カフェで雰囲気がカフェで良かったって、面白い感想ですね。」


 ナズナは苦笑している。


「だって、そうとしかいいようないもん。」

「あはは。先輩らしい感想ですね。」


 俺がそういうと、ナズナは笑い出した。


「また行こう。」

「はい、先輩。」


 隣にいるナズナは嬉しそうだ。


 ふと、俺はバスの窓の外を見た。

 もうそろそろ、俺の知っている場所の風景に切り替わってもいい頃だった。


 しかし、バスの窓から見える景色は、相変わらずの知らない道。

 知らない景色。

 それどころか、知らない町に迷い込んだような感覚に陥った。


 夜にバスに乗っているからか?

 俺はそう思い込もうとした。

 しかし、ここは絶対に知らない場所としか言えなかった。


 どこだ、ここ。


「あれ?この辺りって…」

「先輩!運転手さんがいません!」


 ナズナが大声を上げた。

 俺は言われたように、運転席の方を見た。


 運転席に誰も乗っていない。


 いない。

 やばい。

 このバス、今暴走してる。


「ナズナ、運転席の様子を見る。」


 そういって俺は、飛び上がるように席から立ち上がる。


「あっ、先輩。私も行きます。」


 後ろからナズナの声が聞こえた。

 俺は、運転席へ走る。そして、すぐに運転席付近に着いた。

 どう見ても、バスの運転席には、誰もいない。


「くそっ、これじゃ…」


 俺は運転席に飛び込んだ。

 まずはブレーキペダルを踏む。

 足に力を込めて踏み込むが、まるで反応がない。

 まるでペダルがバスに溶接されているかのようだ。


「なんだよ、これ!」


 次にサイドブレーキだ。

 レバーを引っ張る。

 しかし、これも固まったかのようにビクとも動かない。


「先輩、どうですか?」


 ナズナの声が背後から聞こえる。

 振り返ると、不安そうな顔でナズナがこちらを見ている。


「ダメだ…まったく反応しない。」


 こんな状況、考えられない。

 しかし、バスは相変わらず、走り続けている。


「先輩、道が!」


 俺は、バスの前を見た。

 バス前方にあるヘッドライトが、先にあるカーブを照らしていた。


 バスは、道路の曲がり角に差し掛かっているのだ。


 このままだと、無人のバスが道路から外れてしまう!


「ナズナ!」


 俺は咄嗟にナズナの手を引いて、彼女を近くにある席へ引っ張った。


「先輩!?」


 ナズナの驚いた声が聞こえたが、説明している暇はない。


「しゃがんで!」


 俺はナズナを席の前に押し付けるようにして、自分の体で彼女を覆った。

 彼女を守るように抱きしめる。


「顔を守れ!目を閉じろ!」


 ナズナは言われた通りに、自分の頭を両手で抑える。

 カメのような。

 俺は彼女を守るように上から抱きしめ、できるだけナズナを守る体勢を取った。


「大丈夫だ、ナズナ。俺が守る」


 俺は目を閉じて衝撃に備えた。

 しかし、予想していた衝撃は来なかった。


 代わりに、滑らかにバスが曲がる遠心力を感じた。

 俺は目を開けた。


 バスはスムーズにカーブを曲がっていた。


 おどろいた俺は、バス前方にあるミラーを通して運転席を確認する。


「そ、そんな…」


 バスのハンドルは滑らかに回転している。


「な、ナズナ。大丈夫みたいだ」


 ナズナも恐る恐る顔を上げた。

 俺はゆっくりとナズナを抱く腕を緩めた。


「先輩…何が起きているんですか?」

「運転席を見てくる。」


 俺は、立ち上がって運転席をのぞき込む。


 そこは、ハンドルの操作だけでなく、アクセルやブレーキも見えない力で操作されているみたいだった。


 まるで、運転手が見えないだけで、そこで運転しているかのようだ。

 少なくとも、高校卒業前に普通免許をとったばかりの俺なんかよりも、まともな運転がされている。


 俺は呆然とその光景を眺めていた。


「誰もいないのに、バスが完璧に運転されてる。まるで…無人バスみたいだ」


 いつの間にか、俺の後ろにいたナズナと一緒に、その不思議な光景を見つめ続けた。

 バスは、完璧に制御されていた。


 ナズナが不安そうにキョロキョロと周囲を見ている。

 そうだ。

 ここで俺がパニックを起こしてしまってはダメだ。


「とりあえず、バスは安全に運行されているみたいだ。」


 俺はそういって続けた。


「俺たちは、とりあえず席に戻ろう。」


 ナズナの手を取る。

 俺たちはもとにいた席に戻ることにした。


 俺はナズナの手を取って、初めに座っていた場所へと戻った。

 ナズナを座らせて、その隣に俺は座る。


 その間も、バスは何事もないかのように運転されていた。


 周囲は、典型的な地方都市の郊外のような場所を走っている。

 道は片側1車線。


 確かに田舎の一本道ではある。

 ただ、無人のこのバスは、無茶やたらにスピードを出すような運転を決してしないようだ。


 席から窓の外を見る。


 夜の田舎道には誰もいない。

 道にある信号機が赤になったときには、きちんとバスは停車していた。


 そして、月の明かりで照らされている道路に、対向車は一台も走っていない。

 また、前にも後ろにも車はいない。


 そんな中、バスは法定速度を守り、走っている。


 安全運転。

 まるでバスが意思を持ったかのような走りだ。

 その運転は、世の中の大半のドライバーよりも安全運転ではないだろうか、と思うくらいの運転だった。


「先輩、これからどうなるんでしょうか?」

「分からないけど、事故は起きなさそうだな。」


 ナズナを安心させるためにそう言って、手を握る。

 彼女は無言で、俺の手を握り返してきた。

 俺の隣にいるナズナが心強く感じた。


 もしかしたら、俺がナズナを安心させているのではなくて。

 俺がナズナの存在によって、安心しているのかもしれない。


「先輩。」

「ああ。」


 俺たちは、そういって見つめ合った。

 ちょっと緊張が解け始めて、気恥ずかしく感じたので、俺は視線をナズナからずらした。

 

 そして、窓の外を見る。

 そこは、俺とナズナの知る町では決してない。

 しかし、日本のどこかにはあるような田舎道だ。


 周辺には、田畑のような、空き地のような草木が生い茂っているような土地。

 木造モルタル造りの民家、田舎の納屋を思わせるトタンの建物などがポツリポツリと見えていた。


 夜道。

 明るい月の光に照らされている。

 風情があるといえば、そうかもしれないが。

 この状況では、月の光の下にある、それらはどこか薄気味悪くみえる。


「ナズナ、ここ。どこか心当たりがあるか?」

「ない、ですね。」

「そうだよな。」


 俺はナズナと会話をしながら、ひらめいた。

 自分のポケットからスマホを取り出した。


 その様子に隣の席に座っている、ナズナも気が付いたようだ。


「ナズナ、GPSで現在地確認してみるか」

「いいアイデアです、先輩」


 俺たちは同時にスマホを起動させてみる。


 地図アプリを起動させようとした。

 ただ、気がついた。

 スマホの画面。

 ステータスバーの状況が、電波が入っていないことを示している。


「ナズナ、電波が…」

「私も同じです。圏外になってます」


 俺たちは顔を見合わせた。

 これじゃ、地図アプリどころじゃない。


「先輩、これって…」

「ああ、普通じゃないな」


 念のため、俺は地図アプリを起動したが

 エラーメッセージが返ってくるのみだ。


 ネットに接続しなければ、アプリ自体が表示されないようだ。


 俺は窓の外を見る。

 見知らぬ田舎の風景が続いている。

 その道を、バスは滑らかに走り続けていた。


「とりあえず、バスが止まるまで様子を見よう。今のところ安全に走ってるみたいだし」

「そうですね。でも…どこに向かってるんでしょうか」


 俺もその答えが分からなかった。ただ、このまま進み続けるしかない。


「ナズナ、お前が隣にいてくれて良かったよ」

「え?」

「一人だったら、もっと怖かったと思う」


 ナズナの頬が少し赤くなった。


「私も…先輩と一緒で良かったです」


 俺たちは互いを見つめ、かすかに笑みを交わした。

 この異常な状況の中で、二人で居られることが唯一の救いなのかもしれない。


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