第6話


 その休日は、朝から俺一人だった。

 この安アパートも一人だと、広く感じる。


 珍しく、ナズナは自分の家に戻っている。


 週のほとんどを、俺の部屋にいる、彼女。

 もはや、彼女の家はどこになるのか、分かったもんじゃない。


『そんなんじゃ、彼氏できないぞ。』


 ナズナへ、そんなことを言っちゃうほど、俺は無神経じゃない。


 実際、俺も本当のところは分かっている。

 ナズナの考えていること。

 そして、俺の親父や、ナズナの家の両親が考えていることが。


 しかし、まだ、ナズナは高校生。

 その話を進めるのは、少なくともナズナが大学へ進学してからだ、と俺は思っていた。


 スマホが振動した。


『これから、先輩の部屋にいきます。』


 ナズナからだ。

 これから部屋に来るそうだ。

 俺が外出などしていない、その前提。


 ま、それはそれで間違いないのだが。


『分かった。』


 俺は簡潔にそう返信した。


 さて、これからナズナが来る。

 ちょうど、これから昼飯をどうするか考えていたところだった。

 ということは、ナズナと一緒に、ご飯という流れになるか。


 俺はこれから起こることを想定し始めた。


 実際、俺は一人だと

 朝食は食べない。

 というよりも、起きると、いつの間にか朝の時間を過ぎているためだ。

 そして、大学にいる場合の昼飯は学食であり、部屋にいれば食べない。

 夕食は、どこか食べに行くか、買いに行くのか、となるだろう。


 ただ、ナズナがいると、それは許されない。


 なるべく、俺は健康的な生活を送るべき、らしい。

 まあ、確かに。


 彼女が来るまでに、一度、冷蔵庫の中でも見るか。


「よいしょ。」


 俺は冷蔵庫の前に立つ。

 中には、いろいろとモノがあった。


 料理はできそうだ。

 大丈夫だろ、たぶん。

 俺は料理をしないので、それで十分かどうかは判断できない。


 さて、次は洗濯か。

 確認する。

 洗濯カゴの中は、まだ洗濯をしなくても良い感じだ。


 ふむふむ、順調だな。

 俺は、そんなことを考えて、ベッドでスマホを弄り始めた。


 それからしばらくして。

 施錠したドアが開く音がした。


「先輩。お待たせしました。」


 部屋の中にナズナが入ってきた。


「おお。待っていたぞ。」


 俺はベッドの上でくつろぎながら、ナズナの方を見た。

 彼女は、制服を着ていた。


「あれ?今日って休みじゃないの?」

「いいえ、私は今日、学校に行ってきました!」


 ああ、そう言えば。

 特進コースだと、休みの日にも授業がある日がある、とかいっていたな。

 赤点でもないのに。


「特進コースだから?」

「そうです。今日はこのプリントをやっていましたよ。」


 そういって、彼女はカバンから、いくつかプリント出してきた。

 うわ。


「勉強熱心だな。」

「ま、今日のは補講ですから、自由参加なんですけどね。」


 ふーん。真面目なことだ。

 俺はプリントを手に取って内容を見る。

 今、この内容をやるとなると、思い出すのに時間がかかりそうだった。

 

「先輩、そろそろお昼ですよ。」

「あ、そうだった。」


 そうだ。

 俺は思い出した。


「お昼ご飯は、何にします?」

「なんでもいい。」

「もー。」


 こうして、いつもの昼飯トークが始まっていた。


 しばらくして。

 なんだかんだと。

 俺とナズナは、ちゃぶ台のようなテーブルを囲んで、いつものように昼飯を食べていた。


 メニューは、インスタント味噌汁。

 そして、ナズナ作の野菜とひき肉のチャーハン。

 チャーハンは、たっぷりのウスターソースをつけて、食べる。


「先輩、先輩。それでですね。」

「うん?」


 なんか、ナズナが俺に話しかけてきた。


「これから、カフェに行きたいんです。」

「かふぇ?」


 カフェか。

 出てくるのは、コーシーか。

 これネイティブな発音ね。

 知らんけど。


「ああ、いいんじゃないか。」

「えっと、場所がちょっと遠いんですけど。」


 彼女はそう言って、スマホの画面を見せてきた。

 住所を見る。

 

 たしかに、徒歩で行ける距離ではない。


「うーん。どうやって行けば、いいのかな?」

「バスが使えるみたいです。」


 後輩がそう言って、スマホのマップアプリを見せる。

 確かにバス停が近くにある。


 そして、この家の近くにもバス停はある。

 そんなバス停、存在を知らなかったけど。


 いや、おそらく。

 風景の一部としてバス停があったんだろう。

 ただ、自分が使わないから、意識してなかった。


「ナズナが行きたいなら、いこうぜ。」

「やった。」


 ナズナは喜んでいる。

 そんなことで喜んでくれるなら、喜んで俺もいく。


「じゃあ、俺の奢りでいいぞ。」


 ついそんなことを言った。


「えっ、いいんですか?」

「いつも世話になっている、お礼だ。」


 ま、それに実際、俺の持っている金って

 親父から出ているものだし。

 もちろん、ナズナはそれを知っているけど。


「やったー。じゃあ、お昼食べたら、行きましょー。」


 ナズナのテンション高いな。

 そんなに行きたいのか。


 コーシーを飲む場所なのに?

 なにかあるのか?

 ちょっと気になる気もする。


 その後、俺とナズナは昼食を食べ終えた。

 そして、部屋を出て、カフェに向かうことにした。


「バス停はこっちですね。」


 地図アプリを使って、先導するナズナがそういった。

 確かに遠目にバス停が見えた。


「ああ、あれだな。」


 バス停に着くと、ちょうどバスが到着したところだった。

 運がいい。


「先輩、急いで!」


 ナズナに手を引っ張られるようにして、俺はバスに乗り込んだ。

 車内は空いていて、俺たちは並んで座ることができた。


「ナズナ、そんなに行きたいカフェって何なんだ?」

「えへへ、実はですね…」


 ナズナは少し恥ずかしそうに笑った。


「最近、話題になってるカフェなんです。落ち着いた雰囲気らしいですよ。」

「ふむ。」


 俺は考えた。

 ???

 ナズナって、そんなキャラだったけ?


「お前、そんなのに興味あったっけ?」

「えっとですね。その、そうですね。最近、ちょっと気になって。えっと…」


 ナズナの顔が赤い。

 そして、なぜか、回答がしどろもどろになっている。

 俺は、ナズナがゆっくりと納得する言葉を待った。


「そうですね。私は、先輩と一緒に行きたかったんです。そこで、先輩とゆっくり話したいなって思って。」

「そうか。」


 彼女の雰囲気に、そうか。としか答えることが出来なかった。

 

 俺の部屋でもいいじゃん!

 なんて、冗談を言える感じ、ではない。


「まぁ…そうか。」


 俺は独り言のように、呟いた。

 隣に座っているナズナが、俺をじっと見ていた。

 ナズナの目がいつもと違って潤んでいるように見えた。


 今日は何かある。

 そう読み取れた。


 だから俺は、優しくナズナの手を取った。

 ナズナは、ゆっくりと俺の手を握り返してきた。


 そのまま、無言の時が過ぎていた。

 いつもとは違って、今の彼女はあまり話してこない。

 それは、心地よく。

 ずっと、このナズナと一緒にいたい雰囲気だった。


 隣にいるナズナと一緒に、俺は、バスは揺られる。


 窓の外を見ると、景色が少しずつ変わっていった。

 そして、ナズナの方を見ると、無言で俺を微笑んでいた。


 綺麗だ。

 ナズナの頬が朱色に染まっていて。

 瞳が潤んでいる。

 そんな彼女と手を繋いで、バスに乗っている。


 まるで、恋人といっしょにいるかのような。

 

 そんな雰囲気の中、バスは静かに走り続ける。

 窓の外の景色が、少しずつ見慣れない街並みに変わっていった。


 ふと、ナズナが動きを取り戻していた。

 降りるボタンに手を伸ばしている。


 ナズナがボタンを押す。


「ほら、先輩。そろそろ降りますよ。」


 いつものナズナだ。

 その声で、俺もいつものように動き出した。


「うい。」

「なんで、フランス語なんですか?」

「いや、分かりやすいかと。」


 バスが減速をしていた。

 アナウンスが流れる。


『…に停車します。』


 そして、バスは完全に止まった。

 俺たちは立ち上がり、バスを降りる。


「さて、カフェはこっちですね。」


 ナズナは地図アプリを確認している。

 そのナズナについていく。

 そして、少し歩くと、おしゃれな外観のカフェが見えてきた。


「先輩、あれです!」

「おお、それっぽい。」


 ナズナは嬉しそうに声を上げた。

 俺もそのカフェらしいカフェに、思わず感想をいってしまった。


 レンガ造りの建物。

 どことなくレトロな外観。


 …まあ、外見はどうあれ。

 中身だ中身、と俺様は辛口評価を心の中で行う。


 もちろん、ナズナが選んだものなので、その評価を口にしない。


「よし。入るぞ。」

「入りましょう。」


 そのまま、俺とナズナは、カフェに入った。

 店内は、落ち着いた雰囲気だった。


 アンティーク時計。

 レンガ調の壁には様々なアートが飾られ、柔らかな照明が空間を温かく包んでいた。


「おお、カフェっぽい感じだ。」

「でしょ?」


 ナズナは、微笑んでいる。


「じゃあ、席に座りましょう。」


 俺たちは、周囲に人がいない席に座った。

 メニューを見ながら、ナズナが嬉しそうに話し始める。


「先輩、これ美味しそう!」

「お、そうだな。」


 俺はメニュー表をみる。

 とりあえず、コーヒーなのか。

 ブラック?

 いや、甘いやつ。

 だとすれば。


「メロンソーダ。」

「先輩なら、そういうと思いました。」

「だって、コーヒーより、こっちのほうがおいしいもん。」

「はいはい。」


 ナズナはそういうと、店員を呼ぶボタンを押す。


「まー、先輩にコーヒーは早いですかね?」


 なんか挑発されていた。

 むむむ。

 でも、俺はコーヒーなんて頼まないぞ。

 絶対に。

 でも、なんていえばいいんだ?


「ナズナ、コーヒーが飲める、で自慢が出来るのは中学生までだぞ。」

「そうですか。」


 ナズナは涼しい顔で俺の攻撃をスルーする。

 きいいいいい。

 そんなことをしていると、ウェイトレスがやってきていた。

 

「ご注文は決まりましたか?」


「はい。私は、このラテで。」

「俺は、メロンソーダを。」


「以上でよろしいでしょうか?」

「はい」


 俺は、ウェイトレスにそう答えた。

 ウェイトレスが去った後、俺はナズナに向き直った。

 真面目な話だ。


 今日、ナズナがこのカフェに俺を連れて来た理由だ。

 おそらく、それは。


 俺には、なんとなく分かっていた。

 それはきっとたぶん。


「ナズナ。」

「えっと、先輩。」


 なにか俺が聞こうとしたとき、ナズナも何かを考えているようだ。

 どう切り出そうかと、考えている様子だ。


「ふーん。ナズナくんがねぇ。」


 自らのあごに手を当てて、某探偵の真似をしてみる。


「なんですか、突然。その言い方は!」


 じっと考えているナズナは、不意を突かれたみたいだった。


「いや、そのな。」


 俺は、真面目に話をし始めた。


「俺は、ナズナが大学生になるまで、待っている気でいたんだ。」

「えっ…。」


 ナズナの目が揺らいでいた。


「だけどな…」


 俺が、言いかけたとき。

 ウェイトレスが飲み物を持ってきているのが見えた。

 話が中断される。

 

 そして、近くまで来たウェイトレスが、テーブルの上へ、メロンソーダとラテを手早く置いていく。


「ご注文は以上で、よろしかったでしょうか?」

「はい。」


 俺は、答えた。

 その様子を、ナズナが笑いを抑えながら見ている。

 そして、ウェイトレスが去っていった。


「あはははは!」


 ナズナが笑い出した。


「なんだよ。急に。」

「いや、やっぱり、先輩に真面目な話は合いませんね。」

「そんなことないもん。」


 ちょっとだけ、傷がついた。

 ちょっとだけ。


「えっとですね。先輩。私は、これから先もずっと、先輩と一緒に居たいです。だから。」

「分かった。言わせてくれ。」

「はい。」

「俺の恋人になってくれるか?」

「はい、喜んで。」


 ナズナは、にっこりと笑った。


「それにですね、先輩。私たち、ほとんど同棲していて、これで恋人じゃないというのは、さすがに無理があるかと思いますよ?」

「そうだな。」


 ナズナの言うことに、俺はそういうしかない。


「ですから、私たち、結婚を前提に付き合いましょう。」


 …結婚だと!?

 ちょっと俺は、心の中で驚いた。


 確かにだけど。

 この目の前の幼馴染と行きつく先はそこしかないな、と冷静に考え直す。


「分かった。そうしよう。よろしく、ナズナ。」


 俺ははっきりとそう言った。


「はい、こちらこそ喜んで。」


 ナズナは、そう言って俺の手を握った。

 ナズナの手を握り返す。

 俺たちはしばらくの間、お互いの手を握ったまま見つめ合っていた。

 

「ナズナ、お前のことは昔から大好きだったんだ。」

「えへへ、私も先輩のことが大好きです。」


 ナズナの顔は幸せそうに輝いている。


「そうだ。今日は、これのためにカフェに来たのか?」

「ええ、そうです。」


 やはりな。


「ここまで雰囲気があれば、さすがの先輩も分かるかな、って。」

「そうだな。」


 俺には、もう一つだけ言葉にすることがあった。


「そういえば、ナズナ。」

「ん?」


「改めて親には、どう説明すればいいんだ?」


 俺の言葉に、ナズナは首を傾げた。


「え?どういうことですか、先輩?」

「いや、その…俺たちが付き合い始めたって」


 ナズナは一瞬黙った後、クスッと笑い出した。


「あの、先輩。はっきり言いますけど。私たちが付き合っていないと思っていたのは、先輩だけですよ」

「そうか。そうだよな。」


 俺もそう思っていた。

 それに、明らかに俺の親父も、ナズナの両親も…

 俺とナズナのことを当たり前のように扱っている。


 だけど、俺は真面目なので、待っていたのだ。

 けど、それもナズナによって、今日。

 今日、打ち壊されてしまった。


「俺は…ナズナが高校を卒業して、大学生になったときに言おうと思ってたんだ。俺の恋人になってくれ、って。」


 俺は自分の心境を明かす。


「ナズナと俺は、既に恋人みたいなものだと思っていた。だから、しっかりとした節目で、告白しようと思ってたんだ。」

「もう、先輩ったら。」


 ナズナは呆れたような、でも優しい目で俺を見た。


「でも、嬉しいです。先輩がそんなふうに考えてくれていたなんて」

「そうだろう?優しいだろ、俺。」


 そういう俺に、ナズナは呆れたような目で見てきた。


「…はぁ。まあ、いいです。いろいろありましたけど、おかげでこのカフェに来れましたし。」


 なにやら、含みのある言い方をナズナはした。

 ふん。

 いいもん。


 その後、俺たちは話しながら、注文した飲み物を楽しんだ。

 メロンソーダの甘さが心地よく、ナズナのラテの香りが漂ってくる。


 その後、時間が経つのも忘れて話し込んでいると、外が薄暗くなってきていることに気がついた。


「おっと、こんな時間か。」

「本当ですね。帰りましょうか。」


 俺たちは席を立ち、会計を済ませてカフェを出た。

 外に出ると、夕暮れから夜へと移り変わっていた。


「先輩、手をつないでもいいですか?」

「ああ、いいぞ。」


 俺たちは手をつないで歩き始めた。


 バス停に向かいながら、ナズナが突然立ち止まった。


「先輩、これが恋人になって初めての共同作業ですよ?」

「そうだな。そう言われるとな。」


 俺はそう答えながら、ナズナの柔らかい手をゆっくりと握る。


「えへへ。」


 ナズナは、喜んでいるようだ。


「よし、バス停まであと少しだ。」

「はーい。先輩。」


 夜空が広がっていく中、俺とナズナは手を繋いで歩き出した。

 幼馴染として小学校時代から変わらない。

 しかし、今はもはや、恋人として彼女の隣に俺はいた。

 そう思うと、感慨深いものがあった。

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