第4話


 大学を出て、俺は家路につく。

 まったく、レポートなんて面倒くさい。

 ナズナに手伝ってもらおうかな…なんて考えながら歩いていると、ふと空を見上げた。


 さっきまでの青空が、どこかへ消えてしまったようだ。

 灰色の雲が空を覆い始めている。


 いつ雨が降ってきてもおかしくない。

 傘なんて持ってきてないし。

 急いで帰らないと。


 そう思って足を速めていると、スマホが震えた。

 ナズナからのメッセージだ。


『先輩、お疲れ様です。私もこれから帰ります。先輩の家に行っていいですか?』


 なんだ、もう学校が終わったのか。

 俺は返信を打つ。


『ああ、いいぞ。ていうか、合鍵を持ってるだろ』


 送信ボタンを押す。

 すぐに返事が来た。


『えへへ、そうでした。』


 はいはい。

 俺は苦笑しながら、足を速める。


 家に着くと、玄関に見慣れた靴が置いてあった。

 やれやれ、本当に先に来てるじゃないか。


「ただいま」


 俺が玄関を開けると、中から元気な声が返ってきた。


「おかえりなさい、先輩!」


 制服姿のナズナが見えた。


「お、早かったな」

「はい!雨が降りそうだったので、急いできました!」


 ナズナは嬉しそうに言う。


「そうかそうか。」

「それはそうと、先輩?」

「ん?」


 俺は靴を脱ぎながら答える。


「朝の食器、つけ置きしたままですね?」


 ナズナがジト目でこちらを見ている。

 あっ、やばい!

 どうするべきか…

 一瞬、俺は考えた。


「あー、ソウダッタソウダッタ。ワスレテタ。」


 完璧だ。


「はぁ…。どうして、ロボットみたいな話し方なんですか?」


 ナズナは呆れたような顔をした。

 これ以上の追及はなさそうな雰囲気だ。


 成功だ。


「しょうがないですね」

「あ、すまん、俺がやるよ」


 ダメ出しの謝罪をする。


「いいですよ。先輩が洗うより、私が洗った方が早いですから」


 ナズナは、そういって流し台のほうへいった。


 うん。

 良かった、のか?

 何か、ナズナに怒られずに仕事を押し付けることに成功はしたが

 何か人間として大事なものを失った気がした。

 俺って、もしかして…もしかすると…ダメ人間?

 いや、そんなわけないよな、きっと。


「今日の夕食は、なにがいいですか?」


 ナズナが食器を洗いながら聞いてくる。


「なんでもいい。」

「なんでもいい、が一番困るんですよ、先輩。」


 お前は俺のお母さんか!


「じゃあ、冷蔵庫にある残り物で作れるやつ。」

「それ、さっきと言ってること一緒です。」


 ナズナは、さらさらと流れるように食器を洗っている。


「うーん。」


 俺はそう言って、冷蔵庫に向かう。

 中にあったのは、朝買ったばかりの麦茶とアイス。あとは…


「ほとんど空っぽじゃないか」

「だから、先輩。買い物に行かないとダメですよ」


 ナズナは、最後の食器を洗い終えながら言う。


「いや、俺、朝コンビニ寄ったんだぞ?」

「はい、はい。麦茶とアイスだけ買ってきたんですよね」


 なんだ、見透かされてたのか。


「ま、まあな」


 俺は負け惜しみを言う。


「じゃあ、買い出しに行きましょう」


 ナズナは決然とした口調で言った。


「えー、面倒くさいなぁ」

「先輩、それじゃあ晩ご飯食べられませんよ?」


 確かにそうだ。でも…


「じゃあ、デリバリーだ!」

「お金がもったいないです。それに、毎日外食はよくありません」


 ナズナは、まるで母親のような口調で説教を始める。

 俺は負けを悟った。


「はいはい、わかったよ。行けばいいんだろ」


 俺は渋々立ち上がる。


 そのとき、外から雨音が聞こえてきた。


「あ、雨だ」


 ナズナが部屋にある窓から外を見る。


「ナズナさんや。この雨のなか行くのかい?ワシにはつらいよ。」


 とほほ…

 まあ、材料を買ってきていない、過去の俺が悪いとはいえ。

 雨の中、外に出たくない。


「先輩。私も一緒に行きますので、一緒に買い出しに行きますよ!」


 ナズナは俺の手を引っ張り出した。


 買い出しに行くときは、いつも一緒だろ、と。

 ちょっとだけ、突っ込みをいれる。

 そもそも、ナズナとは大概のことを一緒にやっている気がする。


 ま、それはそれで、友人の少ないコミュ障の俺には、有難いことだ。


 しかし、今、この瞬間だけは…

 雨の降りしきり中。

 外に出たくないよぉ!


 俺は、次の一手を考える。


「ナズナ、洗濯カゴの中がいっぱいだった。」

「あ、そうですか?」

「洗濯どうしようかな。」


 俺は真面目に悩んでいる顔を浮かべる。


「うーん。雨が降っていますしね。」


 ナズナの動作が止まった。

 ククッ…

 これで後輩の意識が、洗濯物へ逸れる。


 俺は、悩んでいる演技をしながら、時間を稼ぐことに成功する。

 ヒッヒヒヒ…

 ナズナのやつなんて、俺の手に掛かればこんなものよ。

 

「室内物干しだと、匂いが着きますし。洗濯したあと、買い物ついでにコインランドリーに寄りますか!」


 なんだと…

 状況が悪化している。


「ナズナ、お金が」

「それは、洗濯をしてない先輩のせいです。」


 たしかに。

 それはそうだ。


「それに、私の服もあるんですよ?」


 そういって、ナズナは洗濯機の方へ行った。

 遠くから、洗濯機へ衣類を投入する音が聞こえだした。

 洗濯をし始めたら、もうだめだ。

 外にいくしかない。

 だめだ。

 だめだ。どうすればいい?


 俺がこの世の終わりのように感じていた。


 洗濯機のスイッチを押すような音。

 あ、終わった。

 ついに、やつが動き出した。

 

 乾燥機が必要になる。

 コインランドリーへ行くしかない。

 外に出るしかない。


 終わりだ。

 もう何もかも。


「先輩、洗濯が終わってから、買い出しに行きましょう。雨、止むといいですね。」

「うん。」

「先輩、次から洗濯カゴの中を確認しましょうね?」

「うん。」

「私も確認しきれてなかったのは、申し訳なかったですけど。」

「うん。」


 俺は、それしか口に出せなかった。


「先輩、そんなに外に出るのが嫌ですか?」

「うん、うん。」


 俺は激しく首を縦に振る。


「はぁ…」


 ナズナが呆れている。


「先輩、そんなに外に出るのが嫌なら、私一人で行ってきますよ」

「それはダメだ。」


 俺は、はっきりとそう言った。


 確かに外に出たくはない。

 でも、ナズナに押し付けて、一人で行かせるのは絶対にさせちゃいけない。

 それくらいの分別は、俺様にはある。


 ゆえに、ベストシナリオは二人が部屋から出ない、なのだが…

 その可能性が潰えた今、俺が出るしかないのだ!

 …ナズナと一緒だけどさ。


「もう、先輩ったら。小学生のころから中身が変わってないんだから。」


 ニコニコとナズナは笑っている。


「…まあ、先輩の考えていることなんてお見通しですよ。このまま二人一緒のまま、部屋にいられるように考えていたんでしょ?」

「うん。」


 素直に頷く。

 

「先輩、外に出るしかないんです。」

「分かってる。洗濯が終わったら一緒に出掛けよう。」


 遂に俺は、決断をした。

 ナズナに折れたともいうが。


「えへへ、分かりました。」


 なぜだか、ナズナは顔を赤くしてそう言った。

 なにか照れる要素あったか?


「ナズナ、お前…」

「はい?なんですか、先輩?」


 ナズナが首を傾げる。可愛いな、おい。


「いや、なんでもない」


 俺は思わず目をそらした。

 今、こんなこと言ったら、絶対にナズナに弄られる。


 洗濯機の音が止まった。


「あっ、洗濯が終わりましたね。」


 ナズナは、そう言って洗濯機の方へ向かった。

 しばらくすると、ナズナが折りたたまれた洗濯物を持ってきていた。


「よし。あとは乾燥機を使いましょう。」

「分かった。」


 俺は、部屋にある大きめの手提げのバッグを出す。


「あっ、それいいですね。借ります。」


 ナズナにバッグを渡すと、彼女は手際よく洗濯物をそれに入れていく。


「じゃあ、持つぞ。」

「あっ、はい。」


 ナズナのゴーサインと同時に、バッグを持つ。

 うわ、重い。


「先輩、大丈夫ですか?」


 ナズナが心配そうに聞いてくる。


「平気平気。これくらい、余裕だって。」


 正直、重く感じた。

 これが日ごろの運動不足の影響か。


「さて、部屋を出るかな。」

「分かりました。」


 俺たちは部屋を出る。

 雨は相変わらず降り続いている。


 先に部屋を出た、ナズナが傘を広げていた。


「ほら、先輩。入ってください。」


 ナズナが傘に入るよう手招きする。


「うーん。」

「先輩は荷物を持っているんだから、一緒に入ってください。」

「そうだな。」


 確かにそうだ。

 俺は、その傘の下に入った。


「さ、行きましょう。」


 ナズナの掛け声で、俺たちは雨の中、歩き出した。


 相合傘というやつだ。

 ナズナとの距離が近い。


 普段、ずっと一緒にいるのだが。

 それでもナズナの顔に接近している、この今の瞬間。


 何かいい香りがした。

 とてもいい香りだ。

 香水やコロンかと思ったが、よくよく考えると俺の部屋に置かれている

 スキンケア用品の匂いな気がする。

 だけど、その何気ない香りによってナズナの魅力が増している気がする。

 

 そんなナズナは、何も言わずに俺の隣にいる。


 妹のような存在のナズナ。

 しかし、この距離だと、意識してしまう。

 ナズナも一人の女性だということを。


 それも結構、可愛い女性だ。


 可愛い。


 うーん。

 俺の目がおかしくなったのか。

 いや、頭かもしれん。


 俺が何も言わないのを、おかしいと思ったのか。

 ナズナはニヤリと笑った。


「先輩、もしかして…私と近すぎて困ってます?」

「バ、バカ。そんなわけないだろ。」


 キョドっている。

 自分でもわかるくらいに、変な感じで答えていた。


「あははっ、先輩の顔、真っ赤ですよ?」


 ナズナが面白いものを見たように、笑っている。


「えへへ。先輩は、私のように綺麗な女子高生と相合傘しているんですよ、今。」

「うるさいな…」

「もう、正直じゃないんだから。」


 ナズナと、そんなやり取りをしながら、コインランドリーへと向かった。

 幸い、コインランドリーは、アパートからはすぐ近くなのだ。


 マンションの一階部分を改装したかのような店舗が見えた。

 そのまま、コインランドリーの中に入った。


「はぁ、濡れた。」

「そうですか?そんなことないと思いますけど。」


 俺を適当に相手をしているナズナ。

 そのナズナは、手際よく洗濯物を乾燥機に入れ始めた。


「先輩、小銭ありますか?」

「ああ、あるある。」


 俺は財布を出す。

 あった、100円玉がジャラジャラと。


「これでいいか?」

「はい、ありがとうございます。」


 ナズナが100円玉を受け取り、投入する。

 乾燥機が動き出した。


「よし、30分くらいかかりそうですね。」

「30分か…」

「先輩、その間にスーパーに行きましょう。ちょうどいい時間配分になりますよ。」


 まあ、確かに。


「その案で行こう」

「なんの真似ですか、それ?」


 ふふふ、これはこの間、見た海外ドラマのセリフだ。

 

「海外ドラマの…」

「ああ、そうですか。」


 ナズナのやつは、興味なさそうだ。

 話を振ってきて、失礼な!


「さて、スーパーにいきますか。」

「そうだな。」


 ここから、スーパーまではそれなりの距離だ。

 とはいえ、ナズナの高校よりは近い。

 ただ、雨の中行くものでもないような。


「先輩!早く早く!」


 ナズナが外で待っている。


「ああ、分かった。」


 俺は、ナズナと相合傘をするためにコインランドリーから出た。


「それにしても、相合傘なんてしばらくしてないな。」

「そうですね。」


 そうだ。

 それにナズナにドキドキしてしまうのは、久しぶりかもしれん。


「先輩、顔真っ赤ですよ?」

「そんなことないやい。」


 俺はメソメソとそれだけ言い返す。

 それからは、ナズナにかなり弄られながら、俺はスーパーへと向かった。

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