雪菜子
「ぶっぶー。間違いー。芳永さんいい線いってるけどまだまだだね。だって、社員引き上げと私が辞めるのをそれぞれ秘密にカウントしているのに、人員削減まで秘密に加えちゃったら変じゃない?」
「言われてみれば? 感覚的な問題のような気もするけど……」
雪菜子が出迎えてくれたのは病院の一室だ。三階、二〇一号室。
広い部屋にベッドがひとつ。重大事故の被害者ってことでひとり部屋を割り当てられいるのか、単なる空きがこの部屋だったのか、それは分からない。
痛々しい見た目の割に雪菜子は元気そうに見えた。
頭には包帯を巻いている。これは大したことないらしい。すごく強く打って、脳震盪起こして気を失ったけれど、今では大きいたんこぶがあるだけとは本人談。大変なのは、右足と右腕と肋骨二本が折れたこと。胸が苦しくて、さらに自身の利き腕が右なのもあって、すごく生活しにくい。トイレ行くのもご飯食べるのも一苦労。ギプスギプスでスマートなはずの雪菜子のシルエットはむっくりしている。晒していない患者衣の下も同様だ。
退院は一ヶ月後で、その後も通院はしばらく必要になりそうとのこと。
「箒ちゃんは元気?」
雪菜子が訊いてきた。澄ました、お店でよく見せる表情。けれど、どこか憂いを帯びているのは、事故に巻き込んでしまった心配からか。
わたしは出来るだけ何でもないことのように言う。
「うん。元気にバイト来てるよ。スマホも保証入ってたからすぐ新しいの来たって。データは吹っ飛んだけど、バッテリー新しくなってちょっと嬉しいってさ」
「わあ~っ。ごめん! 本当に謝っといて!」
左手で激しく手刀。わたしは肩を竦める。
「なんでわたしが。ていうかもうすぐ来るよ」
「あ、そうなの?」
「うん」
ハンバーガーちゃんこと、野村箒。わたしら間の呼称、箒ちゃんは、事故に巻き込まれたとニュースで報道していたが、実際、大したことなかったらしい。こつんと身体に接触したくらいで、怪我もなく。やばかったのはスマホの方。ダンプに衝突されて吹っ飛んで来た雪菜子のシビック。その際、びっくりして取り落とし、手前で止まった車の下敷きになり粉々。
連絡のひとつも入れられなかった理由。勿論、気が動転していたのもあるだろう。なんせ、運転席で伸びているのは、自分が今着ている服を選んでくれた張本人である。
病院に一緒に連れていかれ、警察にいろいろ聴取され、バイトをすっぽかしたことに気付いたのはその日の夜半。
わたしは言う。
「否定しないんだね」
「それにさ。人員削減って会社側の事情じゃない。私が言うのはあくまで私の秘密五つを教えてあげる、だから」
答えてくれているのか、惚けているのか。
「社員引き上げだって会社側の事情じゃん?」
「違うじゃん。私が引き上げようとしているんだから。それは私側の事情であり、私が開示提示する、云わばサプライズでしょ」
「強引だなあ」
「そうかなあ」
きいきいと窓が鳴った。風がとても強い。白とも黄とも取れないカーテンは、雪菜子側の手の届く範囲だけ半開き状態。眺めは悪い。大きな病院。コの字型の向こう側の壁が見え、かろうじて上方に目を向けても今は曇り空。今日は降水確率は二十%だったはずなのにパラパラと小粒が窓を叩き始める。
「これ」
わたしはようやく手に持っていた紙袋を差し出した。そのまま、サイドテーブルに置く。
「なにこれ」
「お見舞い。フィナンシェとチョコレート菓子の詰め合わせ。常温で幾日か持つはずだから。まあ病院食と売店だけじゃきついかなって」
「ありがとう」
パイプ椅子をベッドサイドに寄せ、ようやく腰を落ち着ける。彼女は逃げるように、窓の外を見つめている。
わたしは訊く。
「辞めるの?」
雪菜子はこともなげに軽く頷いてみせた。
秘密の五つ。たぶん、もっと、彼女なりの階段を踏むはずだったんじゃないかな。
「どうして?」
「人間関係に疲れるから」
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