Alert Signal  4

 芳永さんは指折り数えた。

 レジ中のカウンター前でふたり、ただ入り口の方を見つめている。わたしは横目でその折った指の数を見つめている。指が五つ目を数えた。

「ああ。分かっちゃった。全部」


 芳永さんはベテランである。

 勤続八年。勤続八年でベテランというのは、この業界の若さを連想させる。芳永さんは雪菜子をアルバイト時代から知っており、雪菜子とも傍で見る限り親しくしている。

 ――わたしよりも。

 今年で三十六になると聞いた。既婚。

 子供はふたり。


 今日は本来休みであった。けれど、調整の為出勤になった。渋ることなど勿論ない。毛頭ない。わたしは常に暇である。尋ねられる前に自ら望み出た。

 話題は自然、昨日の事故のことになる。

 わたしは、「そういえば」と口火を切った。

 ここのところ、混むこともあったが、今日はいつも通り客のやって来る気配はない。

「雪菜子の名前って変わってますよね」

「レタスでしょ」

 間髪入れず。やはり知っていたか。ここで、「そうだね」や「そうかな」や「子をがって読ませるところなんかがね」なんて、続くようならその先は止めようと思っていた。適当に話を続けようと思っていた。

 知っていたから云ってしまう。

 たぶん、溢れ出したんだ。

「秘密があるって云ってたんですよ。この前。一緒にご飯行ったとき雪菜子。わたしから今度誘うって言っておいて。まだで。なのに。よっつ。そう。あとよっつあるからって」

「まって」

 芳永さんに制された。声音は割と深刻。眉根を寄せて指折り「これじゃみっつだな」「あれとあれが」「べつべつか」「んん?」なんてぶつぶつ呟いている。そうして、

「ああ。分かっちゃった。全部」

 と、言った。




 芳永さんは長く深く溜息を吐く。そうして、「結局私が伝えるのかあ」と唇をひん曲げた。

「ああ、ごめん愚痴……でもないんだけど文句。も違うし。まあいいや。全部は言わないから詳しいことは雪菜子に聞いて」

 歯切れ悪い。文句? 雪菜子重い病気でも抱えているの? しかし、それを改めてわたしに告白する意味がわからない。

「シンボルラインは分かる?」

 すぐに分かる。そりゃあ分かる。

「来年オープンする大型のショッピングモールですよね? うちみたいなひとつの建物に複数テナントが入る形式じゃなくて、でっかい敷地に複数テナントが並んでいるような……」

 すぐに悟る。そりゃあ悟る。

「まさか、うち潰れるんですか!?」

 秘密ってこれかあっ!

「潰れないよ」

 これがひとつ目だったら他にどんな悪いことが――、となるわたしの単純思考を芳永さんはあっさり否定してみせた。

「へ?」

 シンボルライン。

 国道沿いの駅前に位置する超大型のショッピングモールである。

 意味は街のシンボルとなるように、とかそんな意味を込めた、だったような? ラインは国道沿いことを示しているのか、それともライン上に並ぶ店舗のことを示しているのか……。

 以前通り掛かったが、それはそれは広い敷地にいくつものお店が並んでいた。まだ工事中だ。グランドオープンは来年八月と聞いている。だいぶ先である。そのテナントの中のひとつに、うち、『うぇぶり』がオープンすることを当然のようにわたしは知っていた。

 うぇぶりシエラニュータウン店内でも何度か話題に上ったことがあった。

「あっちにお客さん取られちゃうねー」「ねー」「取る程のお客さんもいないんだけどさ」「笑」

 みたいなしょうのないものだったが。

 芳永さんが「ただし」と前置きし指で示す。

「ふたり削られる」

「けず……ふたりも!?」

 え。ええ……?

 だって、そうなったら真っ先に削られるのは――。

「ひとりはシンボルラインへ異動。もうひとりはクビ。つまり、バイトのあんたはクビ筆頭候補だったの」

「うおおお……」

 頭抱えた。正社、フリーターを経、ついに無職か。

「……あれ? でも、確かわたし、ほんのちょっと前に就職先探そっかなあって独り言呟いたら雪菜子にめっちゃ必死に止められたんですけど……?」

 マジで。一週間……よりは前か。でも、本当にそれくらい最近の出来事だったような。わたしがクビ筆頭候補ならば、社員である雪菜子からすればそれは喜ぶべきことでは。だって、自分から辞めてくれれば気まずい想いしなくて済むし。

 どうせ、社員の誰かが伝えねばならないならば。

 あの時には雪菜子は、その、人員削減の事情を知らなかった? っていう、口ぶりでもないよね。芳永さんの口ぶり的に。話としては前からあった、みたいに聞こえたし。

「だから雪菜子がそれを止めたんだよ。必死に」嘆息。

「?」はあ。止められましたけど。

「じゃなくてねえ」察しの悪いわたしに諭すように。

「雪菜子があんたを社員に引き上げようとしてたの」嘆息&腕組。

「え? なんで?」

 社員。なりたいなって思ったり、思わなかったりしたが。ほら。世間様の信用的に。大きな声じゃ言えないんだけど……、わたし、年金と保険、今親に払って貰ってるんだよね……わたしだってもうすぐ二十一だし、流石にこのままではと。

 ぶっちゃけ売上的になれるとは思っていなかった。最初から諦めてさえいたんだけど。

 親切心? いやあでも……あの時点だとわたしと雪菜子全く親しくなかったんだよな。今だって怪しいってのは置いとく。少なくとも今以上に親しくなかったのは確か。

 わたしにとって雪菜子はただの良い先輩社員。雪菜子にとってわたしは――、扱いづらい自分より年上のアルバイトってところじゃないか? 学歴も一応上だし。

 訝しむわたしに芳永さんは、

「これが秘密一つ目と二つ目ね」

 と、言ってみせた。

「ふうむ」

 これで一つ目二つ目。構えた以上にびっくりしてしまった。削られるってところが一つ目で、社員引き上げが二つ目ってところだろうな。でもそれって会社の考えとはズレるような。だって、わたしを社員に上げてもそれじゃあ、費用ばっかり増えて会社の旨味がないのでは? 社保だったりなんだり……それしか知らないけれど。けれどいつか思った社員雇う為の費用、さらに、削ろうとしていた会社側の懐事情、からすれば、むしろマイナス……社員にするってことはそれに代わるメリットもあるのだろうか? どうせ何言っても断り切れないから使い潰せる? いかん。思考が未だブラックに染まってる。

「三つ目」

 ていうか、まってよ、結局なんでわたしを引き上げようとしてたの? という湧き上がったこの疑問に答えられることなく話はぽんぽん進んでいく。

「雪菜子がシンボル異動筆頭候補。これはほぼ確だったの」

「ああ。まあ売上的に仕方ないですよねー」

 寂しいけれど。まあ、より売れる店舗に行った方が良いのは間違いない。会社の為である。社員ってのはそういうもんなんだろう。わたしは気付く。

「だった?」

「断ったの。辞めるって言って」

「雪菜子さん辞めちゃうんですか!?」

 さん付けに戻っていた。今聞いた話中、わたしの中で持ち上がった、雪菜子への敬意がそうさせたのかもしれない――なんて云ったら雪菜子に怒られそうだが。

 気にすることなく芳永さんは喋り続ける。

「まさか、わたしを犠牲にしようとする会社に対して、反旗を込めての辞職……」

「ギャグ?」

「……」

 押し黙った。割と本気だったんですが?

 鼻息つき前を向く。しっかし一向に現れないな、お客さん。通りすらしない。これはたしかにふたりくらい削っても問題なさそうだ。

「最後のひとつは?」

 わたしの質問に反応するように芳永さんはカウンターの中から出て行き、「トイレ」と一言後ろ向きに手を振ってみせた。もたせるねえ。

「私から言えるのはここまで」

「えー!」

「えー、じゃなくて。ここから先は雪菜子に聞いて。五つってことは全部告白しようとしたんでしょ。重いんだよあいつ。私には言えない。とてもじゃないけど言えない。それじゃ」

「いやいや。めっちゃ気になるじゃないですか。ええ。告白ってな……いらっしゃませー」

 入れ違いにお客さんが入ってくる。渋面つくろうとする顔の表情筋をすんででほぐす。しゃあない。雪菜子の期待に応えてみせようか。通路から芳永さんは横顔で笑ってみせた。ふん。いいさもう。わたしの腕の見せ所だ。相手は子連れ。一組でふたり分期待出来るということ。昨日のわたしを思い出せ。リラァックス。力を抜いて。だらっとやれば案外売れるのだ。

 雪菜子がいない今、わたしが売上を保ち、それに加えて切ろうとしていたわたしのありがたさを会社に知らしめてやる。

「何かお探しですかぁ?」

「雪菜子さんいます?」

 あ、雪菜子のリピーター。

 突然の休みだったからな。これは帰しちゃまずいという意識がわたしの中で働く。

「すいません。今日雪菜子急病で。休みなんですよ。ご対応でしたらわたくしが。何かお探しですか? サイズ違いなどもありますからどうぞご遠慮な」

「あ。じゃあいいです。見てるんで。話し掛けないで下さい」


 す、と頭を下げてわたしはカウンターの奥へと引っ込んだ。

「ぐすん!」

 なんで雪菜子の奴、わたしを社員に引き上げようとした!


 しかし、わたしは雪菜子の意図に薄々気付いている。

 それを認めたくなかっただけで。

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