ハンバーガーちゃん
翌日土曜日、わたしは余裕で家を出てきた。いつもより十五分は早い。何故かと問われればそこにパン屋があるから。
ショッピングモールの一階、入り口行ったちょっと先、スーパーと併設されるように小さなパン屋がある。休憩時間にわざわざ買い物、っていうのはかなり嫌なので、先んじて買っておこうというわけだ。
メロンパン、クロワッサン。たくさんのパンの中からそれだけをささっと購入。ここのメロンパンとクロワッサンは皮がぱりっとって感じじゃなくて、もっちりしている。だから従業員でいっぱいの休憩室でもあまり気にすることなく食べられる。ぽろぽろ零すのは流石に気が引けるしね。
そうして、買い物を終え、いつも通りにバックヤードをぐるぐるしながら二階のアパレルストア『うぇぶり』を目指していると、なにやら目の前に不審人物がいた。
ひと目で分かった。
……迷子だな。
シエラニュータウン、に限らず、こういう郊外にある大型ショッピングモールの従業員用通路、物品置き場、バックヤード、裏――呼び方は様々だが――は、非常に迷子になりやすい。
家電量販店や大きなスーパーなんかも或いはそうかもしれない。
入った瞬間暗い。表がびかびかと明るいのに比べると思わず身が竦んでしまう程そこは暗いのだ。びびりだとその時点で物怖じする。はじめての時、わたしがそうだったから。
物が多く、大きい。
例え広い場所でもその物たちのせいで迷路の様相を呈す。一歩踏み込むと、あれ? 今自分はどこから来たんだっけ、となる。
ここまでは大きな店舗ならまあどこでもありそうなことではある。
問題はここから。
ショッピングモールの場合、通り過ぎる人みんなが、これから自分の行くお店の従業員ってわけじゃないのだ。
それがきつい。
訊きにくい。尋ねにくい。
あの、わたし、今日はじめてなんですけど、そこに行くにはどうしたら……の一言がどうしても云えない。みんなエプロンだったり、作業服だったり、おしゃれーな服だったり、メーカーロゴの入ったへんてこな原色ジャンパーだったりを着ている為、通り過ぎても、ひと目で、あ、関係ない人だなって分かっちゃうのだ。
聞けばそりゃ答えてくれるとは思うんだけどさ。
それで正しい答えが返ってくるとは限らない&こっちは初めて&変な人だと思われないかな&いや、見れば関係ない人だって分かるでしょ?聞かれても困るよ的な反応――いろいろ思い巡らせとりあえずお店に電話してみる、も……、電話できない何らかの事情があったり。
スマホの画面を見て、通路の隅で邪魔にならないようにガッチガチに固まっている子を見て思う。
この子もそうだろうな、と。
シエラの従業員用出入口一階にある。車を上に停める場合でも、お客様用エレベーターを使って下りてわざわざ店の外に出て、そこからぐるっと回って自転車置場の先、こ汚いフェンスに囲われた先にある従業員出入り口を通り、警備員さんに挨拶して入る。用意されている紙に名前と今日行く店舗名と時間を書くことを忘れない。
そこまではクリア出来たのだ、この子は。
恐らく、一度か二度は出入りしたことがある、それか、電話で指示されその通りに来たけど分かんなくなっちゃった……ってところだろう。電話するには気が引けるのだ。何度も聞いては申し訳ないという気持ちがあるのだろう。たぶん。
「あの、大丈夫ですか?」
わたしは声を掛けた。相手が救いの手が差し伸べられたかのようにわたしをバッと見る。
背中を見せていたその子がこっちを見た途端、わたしの中の好感度が急上昇。
よし助けよう。
「ルイーズキッチンの、あの一階のパン屋に、えっと、あたしすいません、時間が、どうしたら」
分かりやすいくらいに焦ってる。
スマホから放された瞳は潤んでいた。眉の主張が激しく、頬が膨れていて、タレ目で、泣きぼくろがある。
たぬきみたいな子だ。
「学生? アルバイト?」
「はい。はい。霞ヶ浦の一年で」
「ああ、じゃあいいとこだ」
「そんな」
焦るように手を振る彼女に、わたしは「ちょっと待ってて」と手で示し、自分のスマホを取り出す。
番号を押し暫くし、電話口から、
「はい。うぇぶりでございます」と、聞き慣れた声が出た。猫撫で声の。
「雪菜子さん? すいませんちょっと遅れます。時間はすぐだと思います」
「えー。いいけど、珍しいね」トーンダウン。
「迷子案内してきます」
「……ああ。いてらー。ゆっくりでいいよー」ぽややんとした声になる。
話す度、声音が変わって愉快なお人。
「はーい」
「あの、あの、本当にいいんですか。すいません。いいんですか」
と、言いつつ、ここで口頭で「あっち行ってからそこを入って右に曲がって」なんて見放したら今にも泣き出しそうだった。いいんだよ。ここ迷うよね。
わたしは笑って示した。
「いいよいいよ。すっごい暇な服屋だから。うぇぶりっていう。知ってる? こっち」
「すいません……知らなくて」
後ろを付いてくる肩がまた一段と縮こまった。
鎌掛てみたが、知らなかったか。ははあ。
てことはお母さんだな。
彼女は……、わたしより頭ひとつ分……ひとつ半?分くらい背の低い彼女は、昨日お店から無くなった――売れていったスウェットを着ていた。つまりは子供服。サイズは140。デフォルメされ、瞳が描かれたハンバーガーのイラストが表にででんと描かれている。売れ残っていたというのも頷けるやつ。購入してったおばさんはよく覚えてないけれど、なんとなく息子さん用かな、と思った記憶はある。まさか女子高生に着せる用とは。下は青いジーンズ。ポケットいっぱいの。背負ったリュックサックは無骨なデザインの……男物の登山用? これから遠足に向かう小学生みたいな格好。
「名前は?」言ってから、いつの間にか敬語を忘れていることに気がつく。「なんていうんですか?」
「野村箒です」
「ほうき? 珍しい名前」
「箒星の箒です」
箒星も掃除用の箒も漢字は一緒なような……。箒の意味合いも……。そういうことじゃないな。よくからかわれるんだろう。
今までよりは言葉に力がこもっていたが一瞬でその雰囲気が霧散する。続く言葉は「ごめんなさい」……良い子だけど、アルバイト大丈夫かな。
「わたし、さっきもそこでパン買ってきたんです。メロンパンとクロワッサン。あそこの美味しいですよね。休憩室で最近いつも食べてます。時間被ったら会えるかも。あ、これは休憩被るって意味じゃなくて、店員として接客してもらえるかもねって意味ですが」
「あの」
「はい」
振り返った。下から真剣にこちらを見つめる瞳とばっちり合う。わたしは目の前の観音開きのゆるい扉を手で押した。狭い通路から広い空間。ここは壁伝いに行ってそれから下る。目指すべき場所はもうすぐだ。
「お姉さん。休憩……上がる時間は何時ですか」
どっちだ。休憩は答えなくていいのか。上がりは――。
「十七時ですけど」
「そうですか」
そこで深く息を吐いた。わたしはこれの行き着く先が分かっていた。何なら休憩を挟んだその意味も。
「一緒に、帰って頂けませんか」「休憩一緒に取ります?」
同時に言葉を放った。
ぱっと華やいだ表情、お互い何か返事する間もなく、彼女はスマホを取り出し、「あのラインでいいですか。あ、でも電話の方が? あたしはどちらでも構わな。ああっ、時間がっ!」慌てふためく。わたしは「急ぎましょう」と促し、後ろから「あのあの」言ってくる少女の言葉を全て無視した。めちゃくちゃ焦ってるのが伝わる。代わりに、自身のバッグから仕事用のメモ帳を取り出し、走り書きで書き付ける。一枚破って後ろへそのまま差し出した。
「これ。わたしの番号とIDです。落ち着いたら電話でもラインでもして下さい」
本当に道覚えられないんだろう。休憩室への道も、今来た帰り道もまだ頭の中に入っていないのだ。
「ありがとうございまっ。ああっ、ここだ! あのっ、本当に」
紙を受け取った少女が前に出る。辺りを見渡し、見覚えのある場所まで出たんだろう。その場で急ぎ足をした。わたしはトン、と彼女の背中を押し出してあげた。
「いってらっしゃい」
「はいっ! はいっ!」
ぺこぺこ頭を下げる少女に胸の前で小さく手を振る。
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