三日目(4)
「話は変わるが、君は誰を殺して欲しいのかな?」
不意に、ペドロが尋ねてきた。
「こ、殺して欲しい、って……」
「君は公園で言った。俺が殺すのにふさわしい相手を知っている、と。それは、君が個人的に、この世から消えて欲しい人間のことだね」
この世から消えて欲しい人間。
その通りだ。やはり、ペドロは何もかもを見抜いていた。彼には、一切の小細工が通用しない。
気がつくと、僕は自分から話し始めていた。
・・・
きっかけは何だったのだろうか。
未だに、そこの所はわからない。ただ、当時の僕が空気の読めない少年だったのは確かだ。また、小学生から中学生というのは微妙な年代でもある。価値観が大きく変わる頃なのだ。小学生の時は大目に見られていた僕の行動が、思春期の少年少女には目に余るものとなったのかもしれない。
いずれにしても、確かなことはひとつだ。中学生になったあたりから、とある三人組に目を付けられ、いじめが始まったのである。
当時の僕は、毎日のようにサンドバッグ代わりに殴られた。顔ではなく、腹や足を。顔を殴れば、痣が残る。立派な証拠だ。しかし、腹や足なら服で隠れている。
「おい、誰のパンチが一番効いた?」
彼らは、僕にそう聞いてきた。答えずにいると、さらに殴られた。答えても殴られた。
その間、自我を捨て去り彼らが飽きるのを待つしかなかった。泣いて懇願したとしても、彼らは止まらないのだ。
だが、彼らの暴力はエスカレートしていった。裸拳で殴ると手を痛めやすいという理由から、グローブをはめて殴るようになる。さらに、彼ら三人の間で金を賭けるようになった。僕の腹を殴って、吐かせた者の勝ち……というルールのゲームを始める。
そして、彼らのやり方はどんどんエスカレートしていった。
しかし、今の僕は彼らが普通の人間と比べ、極端に残虐な精神異常者だったとは思わない。彼らもまた、ごく普通の人間なのだ。彼らのやる程度のことは、いざとなったら誰しもがやるだろうと思う。そう、この僕にしたところで……立場が違えば、彼らと同じ行動をとっていたかもしれないのだ。
ペドロと出会い、僕はそのことを知った。
その三人の名前は、今もはっきり覚えている。
この三人は、僕の人生を滅茶苦茶にしてくれた。是非とも死んで欲しい。ペドロとの出会いが、彼ら三人への怨念を呼び覚まさせたのだ。
・・・
僕の話を、ペドロは黙って聞いていた。
語り終えた時、彼はおもむろに口を開いた。
「なるほど、その三人を殺したいわけか。いいだろう、協力するよ。ただし条件がある。君は、自分の手を汚す覚悟があるのかな?」
「え……」
「これは、君の復讐だ。俺が殺したのでは何もならない。君がこの先、新しい人生を始めるためには……自らの手で、その三人を殺すことこそ、一番手っ取り早い方法なんだよ」
まさか、ペドロからそんな言葉が返ってくるとは。想定外の発言に対し、僕は何も言えなかった。漠然と、ペドロを快楽殺人者だと考えていたのだ。人殺しが好きで好きでたまらない狂人なのだろうと。だが、僕はペドロのことを何もわかっていなかった。
正直言うと、今でもあの怪物のことは理解できていない。彼が何に喜びを見出だすのか。そして、どんな行動をとるのか……僕のような凡人には、とうてい理解できないだろう。
「君が殺さねばならないのは、他人じゃない。自分自身なんだ。今までの弱い自分を殺し、人として生まれ変わらねばならない。彼らを自らの手で殺さなければ、君は永遠に引きこもりのクズのままだ。それでいいのかい?」
ペドロは落ち着いた口調で、僕に語りかける。訳がわからなくなった。
「な、何を言っているんですか……それは関係ありません……」
僕はうろたえながらも、どうにか言葉を返す。だが、ペドロは首を振った。
「いいや、大いに関係があるんだ。俺は前に言ったよね、物事には代償が伴うと。今の君が変わるには、それなりの代償が必要だ。聞いたことがあるだろう、痛みなくして成長なしという言葉を。言っておくが、今の君が変わるには手術が必要なんだよ。心の手術がね」
「心の手術……」
思わず呟いていた。そんな言葉を聞いたのは、生まれて初めてだ。
「そう、心の手術だ。手術とは、体をメスで切り開き……必要とあらば病巣を切除する。君の心には、悪性の腫瘍がある。腫瘍は切除しなくてはならない。しかしね、心の手術は荒療治だ。特に君の場合、並大抵のことでは難しい。俺が見るに……君は、そもそものつまづきの原因を何とかしなくてはいけない」
つまづきの原因。
そう、確かに僕はいじめに遭ったことにより、人生の歯車が狂ってしまった。つまづき、倒れたまま起き上がれないでいる間に……周りのみんなは、どんどん歩いて行く。
気がついてみると、みんなは遥か先を歩いていた。
「君にひとつ、面白いことを教えてあげよう。俺はね、これまでの人生で数えきれないくらいの犯罪者を見てきた。間違いなく、他人から相当の恨みを買っているであろうと思われる。しかし、彼らに復讐を遂げた人間は、ほとんどいないんだ。少なくとも、自らの手で復讐を遂げた人間は……俺の知る限り、千人にひとりくらいしか存在しないんじゃないかな。何故だかわかるかい?」
ペドロの問い。僕のような人間には、わかるはずもなかった。
「ふ、復讐は何も生み出さないことに気づくからではないでしょうか」
僕に言えるのは、こんなことしかなかった。
ところが、僕の答えを聞いたペドロは苦笑した。笑いながら、頭を振っている。この悪魔のごとき男にも感情が存在することが見えた、数少ない場面だ。今から思い出してみても、ペドロの表情は主にふたつしかない。笑顔か、無表情か……だが時おり、苛立つような素振りや苦笑したりもする。ただ、それが果たして本物の感情の起伏であったのか、今の僕に確かめる手段はないが。
「君は本当に、本や雑誌やネットで得た知識しかないようだね。憎しみという感情の持つエネルギーは、愛などという曖昧なものよりも遥かに強い。復讐は、その憎しみに突き動かされた行為だ。にもかかわらず、それを達成できる人間がほとんどいない。これは何故だと思う?」
「え? いや、わかりません……」
「ある人はこう言った。受けた仇を返すことの出来ない者は、受けた恩を返すことも出来ない。つまり、凡人には復讐すら出来ないんだよ。凡人は、怒りに任せて復讐を誓う。だが、すぐにその思いを忘れてしまう。その後、復讐は何も生み出さない式の安易な考えを言い訳にして、復讐を忘れる。忘れていることさえ忘れるんだ。これはね、人が夢や目標を諦める過程によく似ている」
僕の心は衝撃を受けていた。確かに、その通りなのだ。僕は一時期、彼ら三人に復讐しようと考えた。だが、その思いはいつの間にか消えている。そう、僕は復讐を忘れていた。さらに言うなら、自然に忘れていたことにすら気づいていなかったのだ。
ふと、小さい頃に思い描いた夢を思い出した。様々な夢があったのだ。漫画家、俳優、小説家、マジシャン、ゲームデザイナーなどなど。だが、いつの間にやら忘れている。夢や目標の実現のために、何ら努力することなく。
復讐心も同じだ。いつの間にか、僕の中から消えていた。
「凡人は得てして、受けた恩すら忘れてしまう。日々の忙しさにかまけ、自分の中で言い訳をしているうちに時が経つ。そうなると今度は、相手方も今さら迷惑だよな、と自分に言い聞かせる。そして人は恩を忘れていく。ましてや復讐は、負の感情がもたらす行為だけに、言い訳もしやすい。復讐は何も生み出さない、という言い訳を。しかし、それは結局……恨みを忘れてしまったということさ。凡人とはね、言い訳ばかりして何も成し遂げない人間なんだよ」
そこまで言うと、ペドロは言葉を止めた。笑みを浮かべる。
「哲也くん……今の君には荒療治が必要だ。前にも言った通り、君はこのままでは、確実に今の生活から抜け出すことは出来ない。だからこそ、復讐を成し遂げなくてはならないのさ」
ペドロの言っていることは、はっきり言って滅茶苦茶だ。今の僕なら、冷静にそう判断できる。
しかし当時の僕には、その当たり前の思考を導き出すことが出来なかった。狭い車の中、僕はペドロとふたりきりだ。しかも、ペドロは目の前で自信たっぷりな口調で断言する。
これはまさに、洗脳の手口である。今から思うと、ペドロは実に様々な方面の知識を持っていた。なおかつ、それらを現実の世界で効果的に用いることが出来る。彼という人間について考えた時、本やネットで仕入れた知識がいかに脆弱なものであるかを痛感させられる。
結果、僕はペドロの無茶苦茶な理屈に引き込まれていたのだ。
「君の今いる環境は、非常に心地いいものだ。学習の必要も就労の必要もない。三度の食事が、黙っていても運ばれてくる。だがね、このままだと……君は藤岡くんと同じ運命を辿る。彼は結局、覚醒剤のもたらす束の間の多幸感から抜け出すことが出来なかった。藤岡くんだって、生まれた時からあんな人間ではなかった。彼は君と同じように、流されるままに生き……そして今日、命を落とした。藤岡くんが覚醒剤の依存症でなければ、命を落とすことはなかっただろう」
本当に滅茶苦茶な理屈である。そもそも、藤岡の死の原因はペドロにあるのだ。ペドロさえ何もしなければ、藤岡は死ななくても済んだ。
しかし、当時の僕はそんなことにも気づかなかったのだ。ペドロにとって、僕ごときの思考能力を麻痺させることなど……蟻を踏み潰すより簡単なのだろう。
「哲也くん……もし君の人生が順調なのであるなら、こんなことをする必要はない。だがね、このままだと君は藤岡くんと同じような袋小路に入り込んでしまうよ。今の君は、凡人ですらないんだ。君が今の状況から抜け出るには、戦わなくてはならないんだよ。いいかい、君は今までの自分を乗り越えなくてはならないんだよ。そのためには、試練が必要だ。復讐をやり遂げる、という試練が」
「そ、そんな……僕にはそんなこと出来ません……」
そう答えるのがやっとだった。なぜ、こんな展開になっているのだろう。ほんのちょっとした思いつき。ペドロなら、奴ら三人を殺してくれるかもしれないという願望。ただ、それだけだったはずなのに。
それがいつの間にか、僕が奴らに復讐するという話になっているのだ。
だが、同時に……復讐という行為に惹き付けられるものを感じていたのも確かだった。
「よく聞くんだ。出来ないと思っていれば、出来ることも出来なくなる。チャレンジする前から、出来ないと決めつけるのは君の悪い癖だ。それに、君は警察には絶対に捕まらない。俺が保証する」
「え……」
「そう、仮にその三人を殺したとしても、君は逮捕されないんだ。俺は、日本の警察に捕まらないように殺すやり方を知っているからね。それなら、君には何の問題もないだろう?」
警察に捕まらない。
それは、僕にとって魅力的な提案だった。かつて、復讐について何度も考えた。具体的な計画を立てたりもした。だが結局のところ、警察に捕まりたくないという意識が、その計画の実行を邪魔していたような気がする。
「け、警察に捕まるとか……そういう問題じゃないですよ……人を殺すなんて……僕には出来ません……道義的に──」
「ほう、道義的な理由から人は殺せない。だから、俺に殺させようと言うのか。なるほど、君はそういう人間なわけだ」
ペドロの顔から、笑みが消えた。表情のない、人形のような顔つきで僕を見つめる。その瞬間、心臓が止まりそうになった。
「い、いや……そんなつもりじゃ──」
「では、どんなつもりだったんだい? どんなつもりで、君はその三人を殺させようとしたんだい?」
そう言うと、ペドロは顔を近づけてくる。
僕は恐ろしさのあまり、体が動かなくなってしまった。蛇に睨まれた蛙、という言葉があるが、まさにその状態だったのだ。
あれは今思い出しても、不思議な状態だった。思考が、完全に停止するのだ。頭が空っぽになり、目の前の事態に対処できなくなる。これは、体験した人間でないとわからないだろう。
「今日のところは、ひとまず引き上げるとしよう。しかしね、君は今日、藤岡くんを見殺しにした。これは、取り繕いようのない事実だ。君は一歩、踏み出してしまったんだよ。もう、凡人とは違うラインに踏み込んでしまった。今さら、何を恐れるんだい?」
ペドロの言葉は、僕の心にたやすく侵入してくる。彼は美声の持ち主ではない。にもかかわらず、その声は心と体と頭を簡単に蝕んでいった──
「断言しておく。今のままでは、君は永遠に変わることなど出来ない。まさに、先ほどの藤岡くんと同じだ。君は自分の部屋に繋がれ、朽ち果てていくのを待つだけだ。あの部屋は、君にとって精神の牢獄だ。そこから抜け出るには、原因となった者を消し去る必要がある。あの部屋に帰り、じっくり考えてみるんだ」
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