四日目

 その日、僕はずっと考えていた。

 彼ら三人を殺す。本当にそれで、僕は変われるのだろうか? 

 正直、今の自分の生活を良しとしていたわけではない。いつかは、この生活から抜け出さなくてはならない。それはわかっている。

 だからといって、人を殺さなくてはならないのだろうか?

 そもそも、僕はあの三人を殺したいのだろうか?


 確かに、あの三人に対する恨みは忘れていない。奴らが死んだとしても、僕は喜びこそすれ悲しみはしない。

 だが、自分の手で殺すとなると話は別だ。漠然とではあるが、ペドロなら喜んで三人を殺してくれるのではないか……と期待していたのだ。


(では、どんなつもりだったんだい? どんなつもりで、君はその三人を殺させようとしたんだい?)


 ペドロの言葉が甦る。僕はどんなつもりで、あの男に三人を殺させようとしたのだろう。

 いや、考えるまでもない。結局、ペドロを死刑執行人に仕立てようとしていた。自分の手を汚すことなく、三人を殺させようとしたのだ。

 気がつくと、僕は死刑制度について考えていた。死刑とは、つまるところ国による殺人である。罪を犯した人間を国が殺す。ただし実際に手を汚すのは、死刑執行人である。つまりは、死刑執行人に汚れ仕事を押しつけることで成り立っているのだ。もし仮に、裁判員制度と同じく死刑執行人制度が出来たとしたら、果たしてどうなるだろう? 

 国民ひとりひとりの家に、ある日とつぜん国から手紙が届き、死刑執行人として任命される。この制度があったなら、死刑賛成派はかなり減るのではないだろうかと思う。

 みんな、悪人には死んで欲しいのだ。被害者のためでなく、自らの気分のために。映画やアニメの悪役のように、最後には殺されて欲しい。だが、自分の手で殺すのは嫌なのだ。

 僕も同じだった。奴ら三人には死んで欲しい。しかし、自分の手は汚したくない。だからこそ、ペドロに殺ってもらいたかった。あの怪物なら、彼ら三人を簡単に殺せるはずだ。

 しかし、僕はどうなのだろう。奴ら三人を殺せるのだろうか?


 さらに、ここ数日間について振り返ってみた。

 ペドロと出会ったのは、つい三日前だ。その三日の間に、僕は死体を見たのだ。さらに、生と死の狭間にいる者も間近で見た。普通では出来ないような体験をしてきた。

 それだけではない。ペドロとたくさんの言葉を交わした。彼の口から出た言葉の中に、間違っていたものはあっただろうか? いや、ない。全てが真実に思える。多くの人が、避けて通る部分を突いている。

 それに……僕はペドロとの出会いがきっかけで、外に出られるようになったのだ。

 あの男の言う通りにしていれば、さらなる高みに行けるのかも知れない。

 奴らを殺せば──





 僕は今も、左手の薬指と小指を上手く動かすことが出来ない。三人のうち、もっとも体が大きく力も強い赤羽に踏みつけられたことにより、指を折られたのだ。

 また、右肩を上げようとすると痛みを感じる。これは格闘技オタクの児玉に関節技をかけられたのが原因だ。


「これ、アームロックっていう技だぜ!」


 そう言いながら、児玉は僕の右腕をくの字の形に曲げた。そして左手で僕の右手首を掴み、右手で自身の左手首を掴む。

 直後、背中側に僕の腕が思い切り跳ね上げられた。

 直後に、バキンという嫌な音が響く。続いて、肩に走る激痛……僕の右腕は、壊れた人形のようにブラブラしていた。力を入れても動かない。僕は痛みと同時に、恐怖を感じていた。自分の垂れ下がり、動かなくなっている右腕を見て……。

 しかし、三人はそんな僕を見ながら、いかにも楽しそうに笑っていたのだ。まるで、お笑い芸人のリアクションを観ているかのように。

 他にも、体のあちこちに後遺症がある。それらは三年経った今も、僕の体と心を苛むのだ……そう、心の傷が癒えるにも時間はかかる。しかし、体の傷もまた癒えるまでに時間がかかるのだ。

 いや……僕の体は一生、完全には治らないだろう。自分の体を破壊される感覚、破壊された後に残る違和感。これは、体験した者でなければわからない。この状態は、死ぬまで続くのだ。




 気がつくと僕は、ふらふらと外に出ていた。父も母も共働きのため、家にはいない。したがって、昼間に外に出たとしても咎め立てられたりはしない。扉を開け、外に出て行った。

 特に、行くあてがあったわけではない。ただただ、部屋にいたくなかったのだ。ペドロは言っていた。君は自分の部屋に繋がれ、朽ち果てていくのを待つだけ。あの部屋は、君にとって精神の牢獄だ……と。

 しかも、部屋にいると否応なしに思い出してしまうのだ。鎖に繋がれ、肘までしかない腕を挙げて、か細い声で助けを求めていた藤岡の姿を。


 僕は、ゆっくりと歩いていった。もはや、外出するのに何の抵抗もない。普通に歩いていける。ペドロと出会わなければ、今も部屋の中から外を覗き見る生活だっただろう。双眼鏡越しに、外の世界を眺めるだけの生活──

 そんなことを考えているうちに、いつしか真幌公園へと向かっていた。公園に入り、ベンチに座る。内田哲平が死んでいた場所だ。ペドロの話によれば、CIAのエージェントだった男である。あの怪物の手で殺され、ベンチに座らされていた。

 その翌日には、ここで名も知らぬ三人組がペドロに因縁をつけ、返り討ちにあった。あの三人にとって、ペドロとの遭遇は一生もののトラウマになったのではないだろうか?

 僕はベンチに座った。そこから、自宅の二階を眺める。随分と小さく見えた。まるで鳥かごのようだ。


 あんな小さな場所で、僕はとじ込もっていたのか。


「お前、ここで何をやっている?」


 不意に、後ろから声が聞こえてきた。振り返ると、またしても三人組がいる。ただし、前回とは全く別人だ。

 ひとりは、小山のような体格をしている。僕が今まで見た中で、一番大きな男だ。冷蔵庫のような厚みのある体を黒いスーツの中に押し込み、じっと僕を見下ろしている。

 もうひとりは真逆のタイプだった。細いが、強靭さを感じさせる体つきだ。スーツの上からでも、脂肪の薄い筋肉質の体型であるのはわかる。頬からは肉が削げ落ち、鼻も曲がっている。ボクサーのような雰囲気だ。鋭い目で、辺りを油断なく見回している。

 僕に声をかけてきた男は……一見すると、普通の中年サラリーマンにしか見えない。中肉中背、地味なスーツと七三分けの頭。眼鏡をかけたにこやかな表情。だが、その目は氷のように冷たい。

 どう見ても、普通の人ではない三人組だ。昔の僕なら、見ただけで震え出していただろう。

 だが、今は違っていた。


「別に何もしてません。ちょっと座って休んでいるだけです」


 気がつくと、そう答えていた。すると、大男の表情が変わる。


「おい、てめえ誰に向かってンな口を──」


「待て待て板尾。子供相手にムキになるな」

 サラリーマン風の男が口を挟み、僕のすぐ隣に座る。顔を近づけて来た。

 男の顔を間近で見た時、僕は悟った。この男は、ただのサラリーマンなんかじゃない。その目の奥には、冷えきった何かがあった。僕が今まで目にしてきた同年代の不良やチンピラ連中など、比較にならない凄み……右手でサンドイッチを食べながら、左手で拳銃の引き金を引ける男なのだ。ペドロと同類の匂いを感じる。

 もっとも、ペドロに比べれば……。


「なあ、兄ちゃん。俺たちはな、おかしな噂を聞いて調べてるところだ。この辺りを、妙な外人がうろついて悪さしてるらしいんだが……お前、何か知らねえか?」


「いや、知りません」


 僕は答えた。もちろん、妙な外人とはペドロのことだろう。だが実際に、あの男のことを何も知らないのだ。彼が今、どこで何をしているのか? そんなことを聞かれたとしても、答えるのは不可能だ。

 すると、男はじっと僕を見つめた。


「ところで、お前……昼間から、こんな公園で何してんだ?」


「え特に何もしてないですけど」


 僕が答えると、男の顔に奇妙な表情が浮かぶ。


「てことは、お前ニートか」


 そう言いながら、男は懐から名刺を取り出し、僕に手渡した。


「なあ兄ちゃん……ニートに飽きたら、電話しろよ。ウチは今、人手不足なんだよ。お前は、なかなかいい度胸してる。ニートにしとくのは勿体ないぜ」


 男の言葉に対し、僕は曖昧な笑顔を浮かべた。名刺には「桑原興行代表取締役 桑原徳馬」と書かれている。


「クワバラ……トクマ……さんですか」


 僕が呟くように言うと、男は頷いた。


「そうだ、俺は桑原徳馬さんだよ。もし、何か困ったことがあったら電話してこい。ただし、その名刺使って悪さしたら……後悔することになるぞ」


 そう言って、桑原は笑みを浮かべた。地味なスーツ姿で、映画に登場するヤクザのような派手さは微塵もない。アクセサリーの類いはおろか、腕時計すら身に付けていない。髪型も普通だ。むしろ後ろにいる、大男と小男のコンビの方がよほどヤクザらしい。

 しかし、僕にはわかった。この男は、紛れもない本物のヤクザだ。それも、とびきり凶悪な部類だ。必要とあらば、ためらうことなく人を殺すだろう。

 そんな男を前にしているにもかかわらず、不思議と落ち着いていた。怖くない、と言えば嘘になる。だが同時に、こんな場所で僕みたいな人間を相手に騒ぎを起こすような小物にも見えない。

 それに……桑原はペドロに比べれば、ずっと常識的な人物だ。


「おいガキ! てめえ何とか言え!」


 名刺を眺めていた僕に、いきなりの怒鳴り声。次の瞬間、小柄な方の男が僕の胸ぐらを掴む。だが、桑原がその手を引き離した。


「池野、やめとけ。おい少年、お前の名は?」


「はあ、小岩哲也です」


「そうか。じゃあ小岩くん、もしウチの組員になりたくなったら電話しな。ウチはな、どんな人間にも仕事と居場所を与える。社会のはみ出し者だろうが人殺しだろうが、な。まあ、慈善事業みたいなもんだよ」


 そう言って、桑原は不気味な笑みを浮かべる。

 直後にすっと立ち上がり、歩いて行った。大柄な男と小柄な男が、その後を追って行く。

 そして僕は、彼らの去って行く後ろ姿を、じっと見ていた。




 今のは、何だったのだろう。

 もらった名刺を見つめた。桑原興行とは、いったい何をする会社なのだろう。どんな人間にも仕事と居場所を与える、と言っていた。確かに、その通りなのかもしれない。ただ、僕は彼らの作り出した居場所には、絶対に居たくない。

 それよりも、彼らが探している妙な外人とは……ほぼ間違いなく、ペドロのことだろう。ペドロはいつの間にか、ヤクザに追われるようなことになってしまったのだろうか。

 もっとも、あの三人ではペドロを捕まえられるかどうか怪しいものだ。返り討ちに遭うのがオチだろう。

 いや、それよりも……。

 僕のこれまでの人生において、ヤクザなんてものは存在していなかった。なのに今日、向こうから接触してきたのだ。それもまた、ペドロという人間のもたらした影響である。

 ペドロという男が動くたびに、あちこちに影響を与える……まるで台風が、周囲に甚大な被害を与えつつ移動していくように。

 もしこれが映画であるなら、ペドロが主人公で僕は脇役だろう。その他大勢のエキストラだ。あるいは、主人公は別にいるのかもしれない。ペドロを逮捕するべく動いている刑事、だろうか。

 いずれにしても、わかっているのは……ペドロと関わったことがきっかけで、僕の人生そのものが変わってしまったということだ。いつの間にか、血なまぐさい世界へと入り込んでしまった。

 暴力と血なまぐさい自由とが存在する、本当の異世界へと。

 そう、異世界はアニメや映画だけのものではない。現実に存在しているのだ。凶気と暴力とが支配する世界。ただし、ほとんどの人間はそこから目を逸らしている。

 僕は立ち上がった。家に向かい歩き出す。もう、選択肢はないのだ。

 このまま、ペドロの作り出した追い風に乗って動くしかない。




 家に戻ると、念のためテレビをつけてあちこちの番組を観てみる。藤岡の死についての報道を探してみたのだが……今のところ、どこのニュース番組でも扱っていない。ネットでも調べてみたのだが、それらしいニュースは見当たらなかった。

 となると、藤岡は今もあの部屋で繋がれたままなのだ。もう、死んでしまったのだろうか。昨日ペドロは、あと二時間強で死ぬと言っていた。三日間、飲まず食わずだと……そうなると、まだ生きている可能性はないだろう。今頃は、あの部屋で死体と化しているはずだ。

 誰に知られることもなく、朽ち果てていくのだろう。


 あの男の死に、僕は関与してしまったのだ。

 今さら何を言ったところで、その事実は消えはしない。

 ならば……いっそのこと、とことんまでペドロに付き合ってみよう。

 あの三人を殺す。




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