#42 誓い/深山風護

 横浜の夏の夜を上っていく観覧車、そのゴンドラの上。

 落ちないように手をつないだまま、しゃがんで景色を眺める風護と斗和。

「これからは私、ガチで風護くんの先輩でしょ? 今までの特訓以上に、厳しく指導しなきゃいけなくなる」

「うん、俺もそうしてほしい。命を預け合うなら、甘やかされるのは違うし」

「でしょ? だからその前、今日くらいは、厳しいことナシで甘えてほしいなっていうか」

「……俺、そんな甘えたいように見えるの?」

「というか私が甘やかしたい、というか……とにかく制服デートってのをしたかったんですよ!」


 改めて斗和の今日の私服を見てみる。濃緑のブレザーと赤いリボン、その色合いはどことなく。

「もしかして斗和さん、俺の制服に寄せてくれた?」

「そう! 風護くんのを見せてね、これと同じ学校に見えるようにってオーダーして作ってもらったの!」

 膝立ちになって胸を張る斗和。

「どう、どう?」

「……確かに母校のとちょっと似てるかも」

「いやそうじゃなくて」

「似合うと思うよ」

「もう一声」

 わくわくした眼差しで見上げてくる斗和。


 さすがに正解は分かる、分かるのだが――いつの間にか、女性に伝えるハードルがとんでもなく上がっているワードだった。

 とはいえ。斗和になら大丈夫だと、今なら思える。そうした遠慮や警戒を、斗和が望まないのも分かる。ならば。


「……かわいい、よ?」

「きこえな~い」

「可愛いです!」

「雑になってる」

 どうやら、よほどストレートなのをご所望らしい。ならば風護も受けて立とう。


 斗和を抱き寄せ、間近で顔をじっと見つめる。

「可愛いよ、斗和はすっごく」

「……え、」

「会ったときからずっとね。斗和の笑顔に、何度も励まされてきた」

「……うん」

「だから今も嬉しいよ、お揃いの制服。ボロボロになっちゃった青春、取り戻せ――」


 ぐい、と。斗和の手が風護の顔を押しのける。

「ちょ、急に何?」

「いま私の顔見ないで」

「見てほしかったんじゃ」

「絶対に恥ずかしい顔してるもん今!」

 そう言われると余計に見たくなるのだが、斗和は思いのほか的確に風護の上半身をホールドしていた。こんなところで軍人の素養を発揮しなくても。


「風護さ、これまで堅物っぽい態度ばっかだったのにさ、本気出したらあんな熱烈になんてさあ、急すぎて心追いつかないよ……」

「それは……俺も先輩相手に弁えは必要かなって自制してたし、その反動で」

「極端すぎる。呼び捨てになるのも急だし」

 言われて気づく、自然にさん付けが抜けていた。

「ごめん、嫌だった?」

「……いや、いいよ。というか……こっちでいい」

 斗和のホールドが弱まる。チャンス、だろうか。


「斗和、はっきり言ってよ」

「え?」

「俺に呼び捨てされたり、可愛いって言われたりするの。どんな気持ちなの?」

「……しい」

「きこえな~い」

 さっきの斗和の真似で意趣返し。

「む、む~~っ!」

 斗和は頬を紅くして立ち上がる。

「嬉しい嬉しい嬉しい! 風護がずっと作ってた心の壁、壊せたなって分かるから嬉しい! ずっと可愛いって言われたかったから嬉しい! 親友みたいなカップル憧れてたから嬉しい! だから、」


 ガタン、とゴンドラが揺れる。反射的に斗和を支えようと手を伸ばす、斗和もバランスを取ろうと屈む。再び間近で見つめ合い、斗和が囁く。

「もっと言ってほしい、もっと一緒に居たい」

 斗和の頬に触れる、風護にはじめて見せてくれた表情の色合いをなぞる。

「斗和は、本当に素敵な人だよ。俺は心から大好きだよ」


 斗和は、風護の両頬を手で挟んで、額をくっつける。恋人を愛おしむように、子供に言い聞かせるように。

「風護も、本当に素敵な男の子だよ。心の底から、大好きだよ」


 きっと、人間として生きている少年と少女だったなら、ふたりは似合いの恋人になって、末永く連れ添っていけたのだろう。

 しかし、霊域の軍人である風護と斗和に、その道は相応しいのだろうか。連理契約という制度に収まることは、どれだけ意味があるのだろうか。


「だからね」

 風護が悩んでいるうちに、答えは斗和が出していた。

「生きて風護と出会いたかった。霊人じゃなくて、軍人じゃなくて、ごく普通に平和な日々を当たり前に生きてる女の子のまま、風護と出会って、恋人になって、一生一緒に暮らしたかった」

 分かってしまった。斗和が憧れている恋愛の形は、もう叶いようがないのだと。

「やっぱり、苦しいな。この体で恋しちゃうの、痛いな」


 苦しいなら、痛いなら、どうにかして慰めてあげたくて。

 包み込むように抱きしめながら、心がほぐれるように頭を撫でると。


「けどやっぱり風護が好きだよ」

 泣き出しそうな声が、腕の中で溶けていった。




 そのままどれほど、斗和を抱きしめていただろうか。

「ありがと、もう落ち着いたよ」

 斗和は顔を上げる。ふたりの乗ったゴンドラは、もう最高点まで近づいていた。

「ごめんね。風護のお祝いなのに、私がしんみりしちゃって」

「むしろ良かったよ。斗和も心の壁を払って、むき出しの感情を見せてくれたって分かるから」

「……そうだね、もう風護には格好つけられないや」

「大丈夫、斗和は普段からずっと格好いいから」

「そういうとこだぞ風護」

 斗和は頭を、風護の頬にぐりぐりとさせてから。


「ちゃんとね、風護に言っておきたいんだけど」

「うん」

「もし、3特対の任務で風護が消滅しちゃったら、私はものすごく後悔するの。危険な部隊に君を招いたことも、追いついてくれた君を守れなかったことも」

 反論しない。斗和の背負う責任を、風護は尊びたい。

「私が決めたんじゃない。クミホさんにもモリノブ隊長にもちゃんと言ったの、どうか私に配慮しないで風護自身を見て判断してくださいって。だからきっと、あの先輩たちは幹部の責任だって言うし、それも間違ってないと思う。

 けどね。私が来てほしいって願った、君は応えてくれた、それは私にとって真実なんだ」


 風護にとっても真実だった。斗和と出会わなければ、あえて精鋭部隊を目指すこともなかった。多くの人と責任を共有する立場など、選ぶはずがなかった。


「だから私は誓います。君に支えてほしい、君にそばに居てほしいと願った私の全部に懸けて。君を絶対に守る、絶対に死なせない」

 斗和の眼差しを、言葉を、魂の一番奥に刻んでから。

「俺も誓います。あなたのことも、あなたが信じてくれた俺のことも、絶対に守り抜くと」

 受け止めて、微笑んで、頷いて、彼女は霊域の空気を大きく吸って。


「だからこれは、誓いの印」

 斗和の顔が近づく、風護は目を閉じる。ひそやかに、けど確かに、唇が重なった。

 霊人の触覚は、生前よりもずっと鈍い。霊人の唇に、生きていた頃の温度も湿度も反映などされていない。

 それでも、伝わった、響き合った。どんな言葉でも足りない、共に在りたいという願いが。

 観覧車の頂点での、永遠のように濃い数秒間を経て、唇が離れる。


「君を導く先輩に、君を守る戦士に、なるって誓ったから。ちゃんとなるから、頑張るから」

 斗和は風護の肩に寄りかかって、きらびやかな街明かりを見つめる。


「もう少しだけ、ここに乗っている間だけは。

 デートが終わってほしくないって願う、普通の女の子でいたいな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る