#36 変わる正義、変わらぬ誓い/ドクタークミホ

 研究員たちから寄せられた相談に答えきったところで、クミホはエスペルを探す。彼は工場屋上の端っこに、仲間に背を向けて座り込んでいた。

「お疲れ、ペルくん」

「……ああミホねえ、今日はありがとうございました。ミヤマくん、帰りました?」

「うん。帰り際にも話したけど、やる気みなぎってたよ」

「でしたか。なら良かった、ですかね」

 言葉とは裏腹に、彼の表情は沈んでいる。

「ペルくんの方は? 【絶断ぜつだん】移植の適性、もっと詳しく分かったよね」

「期待以上に適性は高いですね。オペしやすさなら今まで見た中でも随一です……だから作戦成功、なんでしょうね」


 ポジティブな解釈を語る、憂鬱な声。

「そうだよ。私たちの計画は順調に進んでいる」

 私たち、を強調しながらクミホは同意した。

「だから元気出しなよ、君は良い仕事をしたんだから」

「ありがとうございます。ただ……あれだけ心が通じ合う人には、仕事の思惑抜きで友達になりたかったなって、思っちゃうんですよ」


 クミホやエスペルたちがミヤマフウゴに期待していたのは、ゴスキルの強化だけではい。彼の精神がより霊管軍に適応することも重要な目標だった。

 霊人としての命を懸けて戦場に飛び込めること、そのうえで生還への意志を絶やさないこと。それらを両立させるために必要なのは愛着だ。生域の知己、霊域の仲間、そしてふたつの領域を生きてきた自分自身への。

「昔の僕とよく似ていましたからね。ミヤマくんの命の疑い方は」

 だからエスペルは、ミヤマの心理へのアプローチを的確に組み立てることができた。先日ミヤマを説諭した際も、クミホはずっとエスペルの助言を受けていたのだ。


 曰く。大切な女性の存在、あるいは彼女の価値観や感情を、過剰なまでに重視している。それらに適合することに価値を置くあまり、彼女に反する自身の側面を否定的に捉えてしまう。その偏った解釈が、男女全体までに過度に一般化された世界観に育つ。社会正義というインプットを、養分として豊富に取り込んで。

 加えて。彼女の善性を信じるがゆえに、それに反する行動をさせまいと、独り相撲じみた気遣いを繰り返し。そばで過ごすことも完全に離れることもできない、不毛な宙ぶらりんのまま自己否定だけを加速させていく。


 女性の権威化が根源にあるからこそ、有効な原因療法となるのは権威ある女性からの修正だ。つまりはトワと、トワの上官であるクミホが適任。

「いくらトワちゃんたちのボスだからって、初対面の私をあんなに信じてくれたのは不思議だったけどね」

「単純な直感ですよ。僕はミホ姉に救われた、ならミヤマくんにも響くはずだって」

 エスペルをはじめ、霊管の後輩たちはストレートに感謝を表現してくれる。それは勿論クミホには喜ばしい、しかし同時に。

 

「だから僕は嬉しかったんですよ、彼が生前の絆に向き合ってくれたことが。

 だから……どうしても、申し訳ないですよ。その絆を、思い出を、闘いの道具に変えてしまったことが」

 彼らの悔恨もまた、クミホに重く突き刺さる。


 エスペルのソウル・リライターに霊核を分析される際、対象者は自身の記憶を走馬灯のように追体験する。霊核に人生経験が結びついているがゆえの、いわば副作用だ。

 エスペルはその副作用を基に、追体験させる記憶を編集する技術を編み出していた。つまりは対象者の人生観の誘導である。エスペルはミヤマに、過去の知己への愛着が強まるような演出を行った。あの人たちを護りたい、だから霊域で戦うのだという決意を刺激するために。


「人生を肯定する尊い感情を取り戻せた人に、また命を懸けろと駆り立てる。抱いた愛憎のバランスを書き換えて、取り戻せない日々への愛着を煽る。どんな大義があれ、人道に反するやり口だ。昔の自分なら、絶対に許せなかった」


 クミホは、エスペルが転現した頃から彼を知っている。かつての彼は、争うどころか競うことすら苦手な、他人の感情に人一倍敏感な少年だった。心を通わせた人が自分らしく生きられることを、何よりも大切にする男の子だった。

「それにミヤマくんは、あんなにも深くともえ斗和とわを慕っています。どうやっても片想いにしかならない恋慕すら、僕らは助長して利用している。斗和の真相を知ったら、彼はどんなに……」


 自らを呪うエスペルに、クミホは手を伸ばす。いつか子供にそうしてあげたかったように、頭を撫でる。

「君が、人間らしい正しさを忘れないでいることを、私は尊敬しているよ。

 けど忘れないで。君は霊人の歴史を、正しい方向へ動かしているんだ。その正しさは、絶対に私が……私たち霊管軍が、保証する」


 霊域管理機構は、生域の人間を霊域の影響から護ることを目的とする。

 霊人の保護や霊人生活のサポートも、その目的のための手段に過ぎない。

 自由や平等、あるいは人権。生域の日本で無条件に尊重されていた正義は、霊管では容易に切り捨てられる。


「私たちは。昔覚えた優しさや正しさじゃ、大事な人たちを守れないんだ。

 だから。遺してきた人たちの未来のために、残酷さを背負う覚悟を。私は、優しさだって呼びたい」

 しゃがみこむエスペルの、男性にしては小さな肩を、そっと抱きしめる。霊域ではほとんど使っていない彼の本名を呼ぶ。

「君はずっと、優しい人だよ」


「……もう大丈夫です、落ち着きました」

 エスペルは立ち上がってから、決まり悪げに目を逸らす。

「あと言ったでしょう、旦那さんの職場でこういうのは気まずいって」

「言ってるでしょ、ペルくんはまだ子供だって」

「そりゃこっちの歴は結構な差ですけど……享年なら5歳差ですよ? それに今時、18は成人です」

「私からしたらお子ちゃまなんです~」

「ああもう、分かりました……こんな時間か、そろそろ上がりの準備しますね」

「うん、お疲れ~」


 エスペルを見送ってから、朝に染まっていく町並みを見つめる。あの道路を20分も走ればかつての自宅が、もっと行けば娘の通う大学がある。自分たちのような悲しみを他の誰かが背負わないで済むように――その決意は、知らないうちに娘も継いでくれていたらしい。これだけ隔てられてしまっても、通じ合った心を。クミホは、親子の愛だと信じたかった。


「顧問、転移の準備できました」

 スタッフから声をかけられる。目上から先に、という配慮は嬉しいけれど。

「ありがとう、けど私ラストでもいいかな」

「でも……ああ、分かりました。5分後くらいです」

「うん、それでお願い」


 そして、しばらく待ち続けると。

 まだ空いている道の向こうから駐車場へとやってきた、白いコンパクトカー。買い換えのたびに記念日をローラーしているナンバー、今は入籍日。運転席から出てきた生前の夫は、寒さに身を縮こまらせながら管理棟へと足早に向かう。

「おはよう、パパ。頑張れ、部長さん」


 届かない挨拶。随分と老け込んだ痩身が、それでも元気そうなのを見届けてから。

「一緒に護ろうね、あの子の未来」

 クミホは彼に背を向け、転移装置へと歩いていった。


 

  

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