#37 まだ未来ある、/牟礼野海

 2月。風護が亡くなってから5ヶ月後の月命日。

 牟礼野むれのかいあずさ実風みかと共に、風護の墓参りに来ていた。


 少し積もった雪を片付け、水をかけてから念入りに拭き取る。牟礼野はミカンを、実風はシュークリームを供えていた。

「ミヤ、スイーツとか食うの?」

「昔から好きだよ、ファミレスとかで頼んでない?」

「あんま見てない、とにかく腹に溜まるメシをって感じだし俺ら」

「そっか……お参り、牟礼野くん先でいいよ」

「じゃ、失礼して」


 墓前に座り、手を合わせる。4年半を共に過ごし、あまりにも苦しい別れ方をしたままの友を想う。

「よう、ミヤ……まず報告だ、飛宮ひみやが試合に復帰した」

 8月に風護とのトラブルで手首を骨折した彼は、バレー部への復帰を慎重に見合わせていた。リハビリを経て練習参加は年明けから、出られるかもしれなかった春高を横目に基礎的な練習から再開。そして先日の他校との練習試合では、完全復活とまではいかないものの、他部員とは別格のプレーを見せていた。

「多分次のインハイには間に合うし、それなら俺も……まあレギュラー入れるか分からんけどさ。とにかく、飛宮のバレー人生は続くよ。プロ入りもするんじゃねえのか」


 決して軽い事件ではなかった。牟礼野だって下っ端とはいえバレー部の一員である、飛宮という逸材と同じチームでプレーできる幸運を噛みしめていたし、風護も応援してくれていたのだ。

 その飛宮がバレーに参加できなくなったことで、バレー部自体の運命が大きく変わってしまった。飛宮に依存しすぎていたと言われればそれまでだが、このチャンスを逃すまいと全部員が真剣に練習していたのだ。


 風護が意味もなく人に暴力を振るうはずはないと牟礼野は知っていた。飛宮や実風に原因があるだろうことも、二人のどちらかが嘘をついているだろうことも察していた。

 それでも、風護を庇おうと、どうしても思えなかった。風護はバレー部の今シーズンを破壊した、なら彼はどんな罰だって受けるに相応しいだと思えた。けど、孤立していく風護に追い打ちをかけるのも気が引けて、彼と接することを避けるようになった。彼が高校を去るまで、ずっと。


「だからさ、今頃さ。誤解も解けて、俺はちゃんとミヤに謝って。仲直りできたんじゃないかって思っちゃうんだ。やっぱそれ、甘えかね」

 風護の急死を聞いてから、今日まで。後悔しない日は、一日たりともなかった。

 もっと、ちゃんと、風護の訴えを聞くべきだったと。きっと死ぬまで思い出すのだろう。

「……ごめんな、今更、こんなに会いたくなってさ」

 せめての自己満足で、頭を下げてから。牟礼野は実風へと場所を譲った。


 実風は墓前に跪き、無言で手を合わせる。やがて漏れ聞こえてきた嗚咽は、背中越しでも分かるほど痛々しかった。



 風護の死後、実風の口から傷害事件の経緯が語られた。簡単に言うと、実風は彼氏の乗り換えを狙っていたのだ。

 実風は風護との恋人関係を終わらせたいと感じていたが、付き合いがあまりに長く続いていたため、簡単に別れられないと悩んでいた。新たに好意を抱いていた飛宮にそれを話したところ、今度は飛宮からアプローチを受けるようになった。ここまでは、風護には悪いがよくある話だろう。


 ただ。実風の両親が風護を実の息子同然に可愛がっていたことから、実風は別れる決断を先延ばしにしてしまい。そこまで待てなかった飛宮はさらに熱烈に実風に迫り、実風もそれを受け容れてしまう。結果、何も聞かされていない風護が、二人の睦み合いを目撃して逆上。 飛宮の負傷が重かったことから、加害者の味方をすると自分まで危ういと判断し、実風は飛宮に都合のいい証言をすると決めた。


 人によって解釈は異なるだろうが、牟礼野からすれば3人とも悪い。

 実風の行為は浮気同然だし、飛宮のアプローチは短気かつ軽率だし、風護もさすがにやり過ぎである。

 ただ、実風と風護で証言が食い違ったことで、より話は複雑になってしまった。そして大多数の人間は実風を信用した。それだけ強固だったのだ、あの学園における梓実風のブランドは。生徒たちの中心にして教員たちの心強い味方であった彼女が、そんな嘘をつくとは考えづらかったのだ。


 加えて。有名選手だった飛宮の、そして元バレー選手だった飛宮の両親の影響力もあり、単なる生徒同士のトラブルに収まらない注目が世間から集まっていたのだ。いじめやケンカという言葉で収めず明確なペナルティを、という風潮もあり、学校としては風護に厳しく当たらざるを得なかったのだろう。


 そうして風護は学校を追い出され、実風は「暴力的な元カレに悩まされていた」と推される理由が増えた。その風護が殺されたことで、実風の保身は盤石になったはずだった。

 しかし、実風の本領はそこからだった。



「お待たせ、行こう」

 今日も壮絶に泣き腫らした顔で、実風は立ち上がる。供え物を回収し、再び手を合わせ。

「……じゃあな、ミヤ」

 霊園からの帰り道。ぽつぽつと、実風は近況を話し始める。

「風護の真相を話してくれるって人、また見つかってね。ミセミセっていう歌い手さんたちなんだけど……」


 風護が殺された報道と、彼の痴漢行為が発端であるという犯人グループの主張を知ったとき。他の情報が何もない段階で、実風は確信していた。

 風護が痴漢なんてするはずがない、むしろ逆だと。殺されるような危機に飛び込んだのは、誰かを助けるために決まっているんだと。

 そして、学園での立場を捨てて、目撃者捜しに奔走した。飛宮との件で嘘をついていたと認め、生徒会職を辞し、あらゆる場所で協力を呼びかけ、ほとんど毎日ビラを配っていた。牟礼野だって、彼女が動き出さなければ、風護のための行動はできなかっただろう。


 その甲斐あって、風護に救われたという女性は現れ、その報道も行われた。ただ、最初の犯人グループの主張の方が猛烈にバズっていたこともあり、そちらだけを知っている人もまだ多いと考えられている。

 だから実風は今も、あらゆる伝手を辿って風護の名誉を回復させようと奮闘している。手遅れの先で、手を尽くしている。


「――ってな感じで、まだやれること沢山あるからさ。頑張らなきゃね、これからも」

「……それは応援してるんだけど、梓さんさ」

「うん?」

「無理しすぎてない? 転入して環境も変わっただろうし、一人でそんなに抱え込んでもさ」


 学園を揺るがす事件の元凶だったこと、それ以前の評判が異常に良かったこともあり、実風を取り巻く視線は非常に鋭利になっていた。そうした影響もあり、実風は他校への転入を選んでいた。

「だって、翔子しょうこおばさんに、許されちゃったからさ。こうでもしなきゃ収まらないんだよ、私が」


 一番に実風を怒るだろう風護の実母・翔子さんが、実風の両親よりも彼女を庇っている――という話らしい。その影響で、実風が虚偽の証言を行ったことに対する社会的ペナルティも重くならなかったという。風護が実風に怒り切れなかったのは、母親からの影響も強かったのだろう。

 なお翔子さんが起こしている風護の名誉毀損への訴えには、離婚した風護の父親も協力しているらしい。別れた両親が一丸となっていることは、せめてもの救いになるだろうか。


「それに私、最近思うんだよ」

「うん?」

「風護を殺したのはあの犯人たちだけど……風護に、命を捨ててもいいと思わせちゃったのは、私のせいなんだって」

「それは、」

 気にしすぎだとは言えなかった。風護の実風への姿勢を知っている牟礼野からすれば、その解釈も妥当ではと思えてしまった。


 それでも、牟礼野の返事は決まっていた。

「梓さんのせいだとしたら俺のせいでもあるよ。責任感じるなって言われても難しいだろうけど、その責任は独占しないで……俺たちの責任を、取らないで」

「……分かった、ありがとう」

 これ以上、実風が罪を背負ったら。彼女は人生を投げだしかねない。

 これ以上、悲しい犠牲を出すわけにはいかない。そのための努力は、欠かしたくない。


「梓さんは。将来どんな仕事しようかって、どんな職業につけばあいつに報いられるかって、それ目指す方が似合うんじゃない?」

「……だよね、けど職業観とか吹っ飛んじゃったから困ってるの」

「吹っ飛んだ?」

「昔は、一番自分が輝ける道を目指してた。けど、輝きたいって気持ちが暴走してあんな罪を犯した」

 周囲から自分に向けられる評価を重視しすぎたゆえの過ちだと、実風自身は捉えているらしい。

「だから今は。本当に人を助けるって、本当に社会を良くするって、どういうことだろうって考えてるんだ……本当の意味でアップデートしたいんだよ、私を」


 本当、という言葉の繰り返し。これまで自分が信じてきた正しさを、根底から見直す決意。

「だから牟礼野くんからは、風護が言いたくても言えなかったこと、教えてほしいんだ」

「……梓さんを傷つける話でもいいの?」

「だからこそ、だよ。男子にしか分からない本音、ちゃんと知りたい。それが分からないと、どんな未来を目指すかも考えられないから」


 迷いなく語る実風の横顔を見つめる。模範的な生徒たれと、現代の女子生徒の理想たれと、自他から彼女に向けられてきた重圧に思いを馳せる。風護の誇りのために懸命に行動してきた彼女の姿を思い起こす。


「とりあえず言えるのはさ」

「うん」

「今の梓さんの姿勢は格好いいって思うよ。学校関係者からの評判が無敵だったあの頃より、ずっと」

「……そう?」

「ミヤが好きだったの、梓さんのそういう所だと思うし」

「そっか、だったら嬉しいな」

 空を見上げる実風は、どこか晴れやかに見えた。


「決めたんだ。いつどこで風護に見られていても、恥ずかしくない人間で居るんだって」

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