#31 深山風護について/オシムラマンジュウ

 フウゴはしばらく目を閉じてから、腹を決めたように顔を上げた。

「最初にまとめちゃうと。俺は生前、この自分に生まれたことを間違いだと思っていました。男に生まれたことも、この両親の元に生まれたことも、です。

 その救いになってくれたのがミカ……さっきの映像に出てた女子です」


 オシムラは映像を見返す。通行人相手に淀みなく訴える、利発そうな子だ。しかし体格は女子の中でも小柄な方、相当に庇護欲を刺激されるだろう。


「ミカとは親の会社が一緒で、幼稚園に入る前から家族ぐるみで付き合いがありました。とにかくしっかり者で、ずっと俺の面倒を見てくれましたよ。俺の親も、ミカを見習えって口癖になってました」

 その彼女に裏切られて高校を退学になったと聞かされているオシムラたちには、その仲の古さが痛々しい。

「それで俺の両親ですが……冷え切っていたというか、ギスギスしてたというか、とにかく良い夫婦仲じゃありませんでした。父親は出張だなんだで全然帰ってこないし、母親はそれが不満だしで。ミカの両親にこそ懐いてたくらいです」

 されど子はかすがいというもので――とは、ならなかったのだろう。


「それで小学校に入った頃かな、両親はとうとう離婚したんです。父親の不倫が原因だって母からは聞いてますが、俺に詳しい経緯は分かりません。ただ俺は、会えないなりに父親と過ごすのが好きだったから、めちゃくちゃ寂しがったんですよ。それが母親には嫌だったらしくて、」

 フウゴは少し目を伏せてから、幼い日に刻まれた言葉を繰り返す。

「風護がパパみたいな男になったら、ママは許さないからねって」


 その言葉が子供にどう響くかは、親子によるだろうけれど。

「ミヤマくんは、お父さんに憧れてた?」

 クミホ中隊長の質問に、ミヤマは少し笑みを浮かべる。

「昔からスポーツ万能だったらしくて、ガタイよかったんですよ。2メートルくらい高い高いしてくれるし、バッセン行けば全部かっ飛ばしてギャラリー集めるし、運動会の保護者競技とかぶっちぎりで。自慢でしたよ」

「分かる、パワフルなパパって憧れちゃうよね。近所の家もそんなだったな」

 かくいうクミホさんの生前の夫は偏ったインテリだったらしいが。


「じゃあ……辛いよね、お母さんにそう言われるの」

 クミホの労りにフウゴは頷く。かつてのフウゴにとって、どれだけ悲しい宣告だっただろう。

「それから母親は、俺が父親に似ないようにって方針を徹底しました。古くて悪い男の癖を

覚えないように、女性の意見に従えるようにって感じですね」

 ミヤマは女性との接し方に非常に敏感だった、そのルーツはここからだろう。


「聞き分けが悪いと言われましたね。ほんとはお母さん、ミカちゃんみたいなお利口な女の子が欲しかったんだって」

 思ったよりも壮絶だった。オシムラも人並みに叱られて育ったし、きょうだいの中では一番の不出来と思われていそうだったが、そうした出生に関わるような言葉は浴びていない。

「そもそも、俺を妊娠したのも想定外だったらしいんですよね。当時の母はこれから仕事って意気込んでいたから産む気なくて、けど父親との社内恋愛が盛り上がっちゃって避妊ミスって、それから堕ろすのなんだのを親と揉めた結果、責任取って結婚することにしたんだとか。性教育にはいい反面教師でしたよ」


 自身が歓迎されない子供だった、という事実を。あまりにも平然と、フウゴは語る。

 心配になって視線をずらすと、トワはぎゅっと唇を結んで手を固く握っている。ともえ斗和の感性には、重く鋭く響いているのだろう。


「話逸れましたが……ともかく俺の思春期は、女性に都合良くあれって母親の方針で染まっていました。普通だったら反動でグレてたと思います。

 ただ、ミカは俺を肯定してくれました。いい子であろうともがく俺のことも、体つきが男児から男性へと変わっていく俺のことも。後は、」

 ミヤマは天を仰いで、捨てるように続きを投げる。

「仲良しの女の子が気になって仕方ない、きわめて男の子らしい感情のことも。ミカは受け容れてくれました」


「ちょっと質問いいかな?」

 クミホさんが手を挙げていた。

「ミカちゃんって名前、どんな字?」

「実る風、で実風です」

「フウゴくんは?」

「風が護る、ですね」

「……それは運命も感じちゃうね」

「ええ、最初に実風に教わったときは嬉しかったですよ」


 そして彼は、自分のゴスキルを「護風棍」と名付けた。あるいは実風とのつながりを、捨てきれなかったのかもしれない。


「ともかく俺は実風への依存を高めて、彼女に合わせて中学受験までして、晴れて付き合い始めました。ただその頃から彼女は、男からの性的な視線をすごく嫌がるようになったんですよ。制服になったりとか、体型が変わってきたとかの影響もあって。

 だから俺とも、男女の行為をするのは抵抗あったみたいで。俺も、そういうの求めるってよりも、ただ彼女が安心できるように悪意から守ることを優先してきました」


 フウゴが霊域でたびたび発揮してきた、女性を守らねばという意識の強さ。その源泉の一つが、実風との関係だったのだろう。

 納得のうえで、オシムラはあえて切り出す。

「ところでフウゴさ」

「はい」

「俺は22で死ぬまで彼女に恵まれずゴリゴリに童貞だった」

 トワがむっとした目を向けてくる、クミホは溜息をついていた。

「俺も彼女に踏み切れず童貞で死にましたね」

「よく耐えたなお前、よく頑張ったぞ」

 バシバシと背中をさすると、フウゴは少し相好を崩していた。


「ねえミホ姉、このくだり必要ですか?」

「必要なんじゃない? 童貞ってどこかで認め合いたいものらしいし……あ、うちの旦那の話ね。27で結婚するまで一切なかったらしいの」

「それ、ミホ姉的には」

「女を傷つけまいって姿勢は好きだったよ、結婚してからはちょっと大変だったけど」



 童貞同士の承認を経て、フウゴの記憶は今へと近づいていく。

「そんな感じで欲求はずっと抑えてましたけど、まだ子供だし仕方ないって納得はしてました。それに実風は、生徒会でずっと活躍していましたから。その姿を見ているだけで俺は誇らしかったし、自分も見劣りしないように勉強頑張ろうって思えたんですよ」

 恋愛・性愛と並立する尊敬と、それに刺激される努力心。フウゴが実風に向けてきた感情は、トワに対するそれとどこか似ているようにも、オシムラには思えた。


「ただ高校に上がった頃から、実風は俺よりも他の人たちと過ごすことが増えてました。生徒会絡みで忙しいんだろうし、他に好きな男ができたとかじゃなければ俺は良かったんですが……」

 フウゴは資料映像を巻き戻し、ひとりの男子を示す。オシムラには不思議と見覚えがあった。

「こいつ、飛宮っていう同学年なんですけど」

「飛宮って、バレーの飛宮竜一りゅういちか? 川越のドラゴンスパイカーとか言われてる」

「オシムラさんも知ってました?」

「こっちの知り合いにバレーのオタクがいてな。めっちゃスパイクが強い爽やかイケメン、生域で見たかったのにって騒いでた」

「その通り、学校が誇るスーパースターです。そして……詳細はよく知りませんが、実風と仲良くなったみたいで。少なくとも実風は、完全に俺よりも飛宮を好きだったようです」

 そのスター男子に知らぬ間に奪われていた、という話ならまだ良かっただろうけれど。


「けど実風は、いくら冷え込んでいたとはいえ、名目上は俺の彼女でした。だったら、相手が誰であれ、近づく男は遠ざけなきゃいけないじゃないですか。

 だから俺は。実風が家の近くで飛宮に触られてたのを見て、飛宮を突き飛ばしました。それで、飛宮は受け身に失敗して手首を骨折。ただでさえ大怪我ですし、バレー部のエースがプレイできなくなったら大問題ですよ」

「けど本来なら、飛宮くんが実風ちゃんに触れようとしたことが発端だったから、ミヤマくんだけが加害者ともならなさそうだよね?」

 クミホの推測に、フウゴは肩をすくめてから。

「実風と俺を彼氏と扱えば、ですね。実風は俺と別れようと言っていたのに聞いてくれなかった、だから飛宮に相談していた。だから俺の行動に正当性はない、ってのが実風と飛宮の証言でした」


「やっぱ何回聞いても腹立つなあ……」

 唸るトワの背中をさすりながら、クミホは訊ねる。

「ミヤマくんを信じてくれる人、いなかったの?」

「いなかった訳じゃないと思います。ただ、飛宮を案ずる声が圧倒的でしたし、教師の覚えめでたい実風は完全に飛宮の味方だったので。それに校外からも、加害者生徒に厳しい処罰をって声の凄まじいこと」

「男子の友達は?」

「俺の心配してくれた奴もいましたけど、加害者の肩持つのはそれだけでリスクでしょう? あんまり強く出られなかったようです……後こいつ」

 フウゴはまた映像を戻して、ビラを配っている男子を指す。

「中学から仲の良かった牟礼野むれのです。彼も含め、つるんでたメンツにはバレー部もいました。こいつらに飛宮を疑えってのは、厳しいでしょう」


「……一応聞くけど、お母さんは?」

「言ったでしょう、実風を理想だって信じてる人ですから。むしろ俺が実風を苦しめていたんじゃないかとか、もう素直に認めた方が許してもらいやすいとか、ずっとそのスタンスです。

 唯一の保護者がそうだと、俺はもう諦めるほかなかったですよ。だから退学を呑みました」

 絶望的な孤立を経たからだろうか。フウゴが霊域で、認められることにこだわり続けるのは。 


「それで、通信への編入までの間、これからどう生きていこうかなって考えてたんですよ。 実風と一緒に生きる将来しか考えてこなかったしい、あんなことがあって別の女性と付き合おうとも思えないし。ずっと独身で生きていったとして、特別な才能も共感される属性もないおっさんなんて、ロクに居場所ないじゃないですか」

 今の生域が本当にそんな社会なのかはともかく、フウゴにそう見えていたのは確かで。


「もうちょっと遊びたいゲームがあるから、続きの気になるアニメがあるから、今日自殺するのだけは辞めておこうって、毎日自分に言い聞かせていました。

 だから……意味のある死に方ができたのも、その先にこんな社会があったことも、嬉しかったんですよ。あの人生を続ける意味はなかった、ここからが本当の人生なんだって。なのに、」

 

 フウゴは見つめる、自分を想い必死になる人たちのことを。睨む、その裏切りを。

 

「なんで、みんな。俺が生きるのに必要だったもの全部、俺が死んでから見せつけてくるんだよ」

 

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