1-2 幽霊たちの戦場-アケビモエカ追討作戦-

#3 謎空間でランデヴー?/深山風護

 目を覚ます。眠っていた、あるいは気絶していただろうか。

「……どこだ?」

 体を起こす。屋外、河川敷。夜――いや、時間帯とか場所以前に。

「なんだ、ここ」

 さっきまで風護ふうごが暮らしていた空間と、根本的に異なる気配。感覚が異様に空虚。


〈こえ――とは、――さい〉

 何やらアナウンスが聞こえる――というか、分かる。これまでの聴覚とは何かが違う、違和感に導かれて他の感覚を確かめる。


 視覚。日本の住宅地であることは分かる。見覚えはない、川越から離れたか。スマホ、持ってない。というか財布もない。着の身着のまま、である。とりあえず、目の前の川は荒川だとは思うのだが。

「ジオゲスやっとくんだった……」

 夜間なら人通りが少ないのは納得。しかし雰囲気というか、色合いというか、とにかく見え方がこれまでと違う。旧型のモニターを眺めているようだ。

 触覚。服の生地に触れてみるが、質感があまり感じられない。さっきまで着ていたパーカーとデニムではなく、もう使っていない高校のブレザーだった。ついでに髪も切る前の長さだ、なぜ?

 嗅覚。ほとんど――いや何も、感じない。完全な無臭なんて、現実にあるか?

 味覚。手元に食べられるものはないがそれ以前に、口の中に唾液の感覚がない。


 ともかく手がかりは謎のアナウンスしかない、音の方向を探してみると。

「ええ……」

 間抜けそうな困惑が口をついた。遠くに並ぶマンションの遙か上、煌々と光を放つ立方体。白い表面に緑十字と、工事現場での安全標識を思わせる大きなオブジェ……というより投影物? その正体は分からないが、こちらに来いという意図は分かる。ただ、支えもなく夜空に浮いているように見えるのは気になった。気球やバルーンの類ではなさそうだが。

 ひとまずそちらへ歩いていくと、アナウンスも聞き取れてきた。


〈この声が聞こえる人は、大きな緑のマークに向かって歩いてください。私たちがあなたを助けます〉

 ここが現実にしろ冥界にしろ、はたまた頭を打った影響の幻覚にしろ、今はその言葉を信じるしかない。

〈怖そうな人が近くにいたら、隠れてください。見つかってはいけません〉

「ですよねえ」

 怖い人に近づいて痛い目に遭ったばかりの人間には、結構刺さる。

〈また、普通の歩行者を見かけても近づかないでください。あなたを見つけて呼びかけた人だけに、近づいてください〉

「……はい?」

 こちらの指示は謎だが、覚えておこう。どちらにせよ深夜のせいか、人通りはほとんどない。


 そうして、人気のない住宅地の間を歩くこと1分ほど。路上に人影が見えた、見えたのだが。

「……ゾンビ?」

 高齢の男性を思わせる服装と体格。頭部には靄のようなノイズが掛かっており、顔は判別できない。腕を振り回しながらよろよろと歩き回る姿は、どうも一般人とは形容しづらかった。さっき語られていた「怖そうな人」とは、こいつだろうか。加えて何となく、道路や建物よりもはっきりと見える気がする。

 ひとまず曲がり角に隠れて様子を伺っていると、その人型は風護とは反対の方向へと駆けだしていった――というか、跳ねていった。やはり普通の人間の動きではない。


 その奇っ怪な姿が、突然にのけぞり、のたうち。

「ひっ」

 バシン、という音と共に。砕け散った――としか言いようがない。人体の痕跡もなく、風船が割れるように。

 反射的に、ゾンビ(仮)が向かっていた方角を見ると。また新たな人影だ、数人のグループ。おそろいのグリーンの上着とヘルメット、手には盾や銃のような道具。軍隊や警察に類する集団、理性もある人間たちに見える。


 風護のような人間へと呼びかけていた集団の一員、なのだろうけど。

 先ほど消滅していたゾンビ(仮)を思い出す。風護をそいつのように駆除するのが目的、とも考えられる。だとすればここで風護から接近するのは危険か。しかしゾンビ(仮)が脅威だとすれば、警備隊らしき彼らは味方では。


 その警備隊(仮)は、何かを探すように目を配りながら風護の方へと歩いてくる。どことなく、助けたい相手というより捕らえたい相手を探しているような印象。

 安心はできない、しかしこのまま隠れていて埒があかない。隠れていた軒先から歩きだそうとした瞬間。


「あの、待って」

 背後から女性の声、身構えつつ振り返る。恐らくは20代、花屋を思わせるエプロン姿。さっき助けた人ではない、そこは安心。

 風護の警戒が伝わったのか、彼女は両手をひらひらと振る。武器の類はない。

「えっと、ウチも、逃げとって」

 喋りからして関西出身、だろうか。声も姿も明瞭に認識できる、実体感が強いとでも言うべきか。

「……そうでしたか」

 警戒は不要そうだが、気づかぬうちに近づかれていたことには肝が冷えた。それだけ警備隊(仮)とゾンビ(仮)に意識を奪われていたのだろう。


「それより、あいつら危ないで」

「あそこ、銃持ってる奴らですか」

「うん、さっき見つかったら撃たれて、逃げてきたんや」

「……マジですか?」

 だとしたら相当に悪い状況だぞ。

「ガチ、とりあえず離れたいけど……一緒にいてもええ?」

 断る理由はない、貴重な情報をくれた恩人でもある。

「いいですけど、どう逃げます?」

「とりあえず奴らの反対かな、マジで助けようって人たちが来るかも。君、後ろの方チェックしててくれる?」

「了解です」


 彼女――アケビさんと言うらしい、の後について移動。アケビさんが試したところによると、ここでは物を押したり引っ張ったりすることができず、つまりドアが開けられないという。通りかかったコンビニで試したところ、自動ドアも反応しなかった。立って歩くのと何が違うんだとか、そういうのは一旦保留。


「ところでアケビさん、ここに来る前のこと覚えてますか?」

「職場から家に戻る途中やったんけど、めっちゃ具合悪くてフラフラで……ミヤマくんは?」

「話すと長いんですが、暴力沙汰に巻き込まれてまして……俺、怪我してるように見えます?」

「見えへんわな。じゃあミヤマくん、もしかして……死んじゃうような目に?」

「それでもおかしくない状況でした」

「そっか……ウチはなんか、轢かれる~って感覚もあった気がするんやけど、そうやったのかなあ」

「それは……無事だといいですね」


 アケビさんはしゅんとしている……死んだ後ではって話、しない方が良かった説?

「ミヤマくんも板橋とか、ブクロまわりの人?」

「いや、川越です。ここ板橋ですか?」

「そうだよ。川越か、氷川ひかわ神社いいよね。こっち越してきた頃に行ったわ」

 前に彼女と行きましたよ、ひどい振られ方しましたけど――とは言わないでおく。思い出したくもないし。

 しかし板橋か、川越あたりとはJR線やら荒川やらでつながっているが……荒川か。あの犯人たちに川に落とされて流された、とかか? だったら遺体も無惨なのでは、そもそも見つかるのだろうか。いやそもそも死んだと決めつけるにはまだ早い。とにかく安全を確保せねば。


「ね、こっち隠れて」

 アケビさんに言われて居酒屋の看板の陰へ。ギュイン、という奇妙な音が近づいたかと思うと、乗り物らしき物体が低空を横切っていった。タイヤのないバイクのような機体に、人が乗っている。もう何が来ても平気になってきた。

「……なんですかね、あれ」

「わからんけど、さっきの奴らの仲間じゃないかな」

「いま大事なのそれですね」


 会話を挟みつつも、敵に見つからないよう歩き続ける。しかしアケビさん、こんな状況に関わらず落ち着いているし、安全確認や風護への合図もテキパキとこなしている。歩くペースもかなり速い、風護も意識して早足になるくらいだ。


 曲がり角の先、右方向からエンジン音。

「待とう」

 アケビさんの指示に従う。目の前を横切っていったのはタクシー、警備隊(仮)コンビが乗っている。車の中じゃなくて、上に。なおタクシーの運転手は彼らに一切気づいていなさそうだ。

「……なんですかね」

「なんやろね」


 さらに不思議なことに。こちらが警備隊(仮)を視認しても、あちらは気づいていないようだった。ならば逃避行も順調と思っていたのだが、数分もすると。


「いた、隠れて」

「後ろも来てます」

「じゃあ、こっちか」

 ルートが絞られる中、行き着いたのはマンション。自動ドアに反応しない体ではエントランスからは入れない、だとすれば。

「アケビさん、あそこよじ登って非常階段に入るのは」

 植え込みの脇に屈みつつ提案すると、彼女は決心した、ようだが。


 さっきも聞いたギュインという音と共に、例の飛行バイク(仮)に近づかれる。乗っていた人物――やや年上の男性が、確実に2人を視認した。

「は!? 誰こいつ!?」

 本気で困惑しているような叫びを残しつつ、バイク男は空中で旋回。彼が合図を送ったのだろう、周囲の警備隊(仮)が駆けつけてくるのが分かった。


「ああ、やば」

 アケビさんが呻く。自分の生死も不明なまま、風護はまたもやピンチを迎えつつあった。

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