〜小さな飛龍亭〜SS『菫色の鉱石の物語』

ラピス

SS黒兎の英雄と菫色の鉱石

これはヴィオラが小さな飛龍亭に所属する、およそ五十年前の話です。一部設定は創作となります。




 小さな口に咥えられた巻き煙草の煙が吐き出される。戦局が動きそうだと踏み、小柄な黒のタビットは煙草を放り投げて静かに杖を構え直した。


「ったく。しち面倒臭い野郎だぜ。こんなのが外に出たら国が一つ半壊するってーの」


 前方には巨大な熊の魔神バルーサビヨーネが一体。漆黒の鎧を身に纏い緋の瞳を光らせると、魂を凍えさせるような凄まじい咆哮を上げた。しかし、俺の部隊は軍の精鋭でありその程度で怯えるような鍛え方をしていない。味方を信じ、ゆったりと構えていた杖を頭上に掲げて呪文を唱えた。



真、第八階位の攻ヴェス・オルダ・ル・バン閃光、瞬閃、熱線シャイア・スルセア・ヒーティス──光槍ヴォルハスタ──穿て」


 放った雷光の一撃は魔神の顔面に直撃し、たたらを踏ませることに成功する。間髪入れず自身にスペル・エンハンスを掛け、直後に魔晶石が乾いた音を立てて割れた。


「さぁ、お前ら!キリキリ動けよ!」


 鼓咆を発動させる。魔神は重い一撃を次々に繰り出していく。その一振り一振りが、ちょっとした砦なら簡単に吹き飛ばすであろう膂力であるが、当たらなければ意味は無い。前線で魔神を抑えている仲間の動きが目に見えて良くなり、肩の軍師徽章に光が集まっていく。その動きに翻弄された魔神がついにバランスを崩し片膝をついた。


「さてと、頃合だな」


 杖に膨大な魔力を込めていく。その奔流がコートをたなびかせて光を放ち始め、空気と自らのマナが擦れたことでバチバチと稲妻が走りだす。軍師徽章から溢れ出した光を身にまとい、この戦いを終わらせんとありったけの魔力を込めて呪文を唱える。


真、第十四階位の攻ヴェス・フェルツェル・ル・バン空間、次元、開放、切断コーロス・ディメント・オブカ・カンジェン──空断オルドレスタ──断ち切れ」


 空間を切り裂くその刃は真語魔法を極めたものが放つ究極の一撃。巨大な剣を模したマナの塊には物理的な障壁が意味を成すことはない。


 黒の鎧ごとコアである頭部を両断された魔神は切断された喉から奇怪な声を発しながら、やがて、空間に溶けるようにして消えていった。


「こんなもんか。……それで?お前さんはどうしてこんな所に?」


 戦闘中に巻き込まれないよう隠れていた闖入者に声をかけた。少し前に視界の端でネズミ玉を使っていたお嬢さんを見て驚く。人族の冒険者であることは何となく分かっていたのだが非常に珍しい種族だ。比喩ではなく顔は透き通り、宝石のような肌──否、まさに鉱物の肌であるのだが──、ついでに、この俺をしてそれなりの量の魔力を感じる。


「これは驚いたな……フロウライトとは。見たところ冒険者か?」


「ああ、助かったよ。実は、旅の途中でこの奈落の魔域シャロウ・アビスに偶然飲み込まれてしまってね。とんでもない魔神も見かけたのでどうにか生き延びようと息を殺していた、というわけなのだが」


 慣れた手つきで土を払い、移動の準備を整える様子を見るに僅かだが斥候スカウトの心得もあるらしい。


「それは運が悪かったな。いや、俺たちが来たから運が良かったのか?ともあれ、近くの街までは送ろう。それで、お前さんはどこに向かっていたんだ?」


「ウラスールだよ。聞くところによると彼の国には英雄とされる軍師殿がいるらしい。黒色のタビットの魔術師で眼帯をした、ちょうど貴方のような──」


 そこで言葉が途切れた。まあ、当然だろう。十中八九その英雄とやらは俺の事だろうからな。自分で言うのも恥ずかしいが、国内では最強の魔法使いと言われている。


「どうした?思っていたより小さかったか?それとも英雄と言うには随分愛らしい見た目だとでも?ふん、俺がタビットである時点で想像はつくだろうが」


「──失礼した。先程の魔法の威力からただ者では無いと分かってはいたのだ。姿まではちゃんと見られていなかったが……」


 ふむ、と考え込むフロウライトのお嬢さんは見た目で侮るようなことはしないようだ。俺たちタビットは見た目の可愛さから舐められがちだが魔法を使わせたら右に出る種族はいない。


「お前さんはやはり運が良かったようだな。間近で俺の魔法を見れるやつはそう多くない」


「ああ、心から運が良いと思っているよ。それと運が良いついでにもう一つ。突然で申し訳ないが私に貴方の軍略の知識を学ばせて欲しい」


 真っ直ぐにこちらを見る透明な瞳とその柔らかな光に邪気はない。フロウライトは知識の探求を是としている学者向きの性格が多いと聞くし、このお嬢さんも例に漏れないようだ。


「なるほどな。お前さんが俺を探していたというのはそれが理由か。残念ながらそれは無理な話だ。というのも俺自体がエユトルゴという国の軍人であり、その職務と能力自体が機密に障りかねないためである。まあ、方法が無いわけじゃないが……いや、もしかしたらちょうど良いかもしれんな」


「隊長!奈落の崩壊が近いです!」


 声を張上げた部下の方を見ると戦後処理を終え、この場から引き上げる準備を整えていた。

 遠くの方で空間の揺らめきが見える。


「よし、帰還するぞ!お前さんも着いてきな」


 さて、帰還用のゲートを開くか。高度な術式ではあるが差し迫った戦闘中でなければ問題は無い。


真、第十四階位の転ヴェス・フェルツェル・ラ・フザ開放、移動、空間、次元オブカ・クリル・コーロス・ディメント──魔門ザールヴァロータ──開け」


 空間に開けた次元を超えた門の先はエユトルゴの首都近郊のだだっ広い草原だ。馬を走らせてるやつがたまにいるが基本は誰もいない便利な広場だな。


「そんなに長くは開いてないから急げよ!」


 次々と部下が向こう側に飛び込んでいく。最後に残った俺はお嬢さんの背中をそっと押した。


「そういやまだ名前を聞いてなかったな。なんて名前だ?」


「これは失礼した。私の名前はヴィオラだ」


「そうか。行くぞ、ヴィオラ。知ってるかもしれないが、俺の名は────」


 かくして、急遽奈落の魔域シャロウ・アビスの対処に追われていた俺は思わぬ拾いものをすることとなったのだった。


 ☆ ☆ ☆



 ──二ヶ月後。エユトルゴ騎兵国、王城内の書庫にて。


「ほら、これも持っていけ」


 近頃、王都ウラスールの城内では黒兎の英雄と菫色の鉱石の姿が時折見られるようになった。

 英雄が初めての弟子を取ったらしい、いやあれは英雄が作り出した新しい魔法生物だ、どちらかというと傍付きじゃないか、などと国中で噂となっているものの真相を知るのは国の上層部と本人達だけであった。


「なんというか、この国の兵法書の量には驚かされるばかりだね」


「なんて言ったって『騎兵国』だからな。馬を使った戦術もそうだが、基本的に軍略や戦術書の類が多い。つまり、少数で動く俺たちにとっては参考にはなっても、実際にそれが活きる場面に遭遇することは少ないだろう。とはいえ、知らない訳にはいかないのが軍を率いる俺たちの役回りだ」


 過去に起きた大破局ディアボリック・トライアンフでは、この国の騎兵たちの活躍はそれは凄まじいものであったらしい。そのおかげかアヴァルフ妖精諸王国連邦の当時の被害は他の国に比べ、相当に軽微なものだったという。で、現在俺たちはその当時の記録を含めた大量の資料と格闘する日々をおくっているのだが、その理由の半分は俺にあった。


「しかし、師匠も私もおかしなことになったものだな」


「仕方ねぇだろうが。何処どこの者ともしれないやつに俺の知識と経験を伝えるとなるととんでもなく煩雑な手続きが必要になる。まずはお前さんをアヴァルフからの使節団に据えてから国の上役と顔を繋いでおき、留学生という名目で俺の一時的な弟子にすれば仕事を手伝わせられるし手続きも楽だろう。こいつは、俺が当初から考えていた弟子をとるための手段でもある」


「で、それは表向きと」


「ああ、実際には俺が頑張っても二十年くらいの命であることを憂慮している上層部の企みが追加で通っちまった。兼ねてより友好国であるお前さんの故郷アヴァルフは大破局以前の知識を多く残している。つまり、寿命の長い人族はそれだけで文字通りの生き字引になるってことだな。うちの国ではそうした役割を担った長命種は過去にも何人かいて、今回お前さんもそのお眼鏡に適ったというわけだ」


 大破局では蛮族におそれられた魔動機文明を始めとする多くの知識や文化、道具が失われてしまった。元々、歴史的に魔動機から生活が離れていたアヴァルフ妖精諸王国連邦は攻撃の対象になりにくく、エユトルゴ騎兵国の奮闘もあって大破局以前の文化や書物が多く残されているのだ。そして、その事を知っているエユトルゴの上層部は一計を案じた。エユトルゴが有事の際にアヴァルフのために戦いの最前線に出る代わりに、国や文明の存続を可能とするアヴァルフ側の長命種の人族を通称『書記リピカ』と呼ばれる生きた外部記憶装置の役目にしておくことを双方の国の合意の下で決定したのである。このことは公にされておらず、二国の限られた人にしか伝えられていない。また、その事実は本人たちの口から語られることが無いようにとある形の『契約ギアス』がかけられている。特にエユトルゴは周辺国に比べ長命種が少なく、魔神との戦いを念頭に置いたティエンスが多いため、連続した記録を物質以外に残す手段を欲していたのかもしれない。


「それで私はここで十年は過ごさなくてはいけなくなったわけだが?」


「……正直すまないと思っているんだが、俺の弟子を名乗るならそれ相応の苦労もあるということにしておいてくれ。というか、俺はちゃんと確認したぞ。どのくらいの期間うちの国で軍略やら魔法やらを学ぶ気があるのか、と」


「それはそうだが、まさかこんな制約が課せられるとは思わないじゃないか」


「あのなぁ、言い訳がましいが俺だって王家がこんな手段で俺を繋ぎ止めにくるなんて想像もしてなかったんだぞ。……誰がこの絵を描いたのかはだいたい想像ついたがな」


 そもそも俺は弟子に値する人物をずっと探していた。理由は単純明快で、国に縛られていては魔導の真髄に到達出来ないと思い始めたからだ。そのために弟子をとって雑務をぶん投げ──もとい、諸々を継承してから緩やかに最前線を退いた後、とある場所に向かおうという目算があった。恐らく、その動きが上層部──十中八九現王のタジワール・バルデダルドである──にはもう少し早い段階で引退するように見えてしまったのだろう。


 その弟子を『書記』に据えることで、俺が教える内容そのものを増やして時間稼ぎをするなんて想定外も良いところだ。流石に王命を無視して、弟子すらも放って旅に出るなんてことは現状はやりたくないからな。


「私には姉のようなエルフがいてね。表向きの留学ですら説得するのが大変だったんだ。最終的にどう説得したかわかるかい?」


 俺は沈黙で先を促した。


「年に一度は顔を見せるから、だ。お互い長命種ではあるもののまだまだ若い方だからな。恐らく人間やタビットとも時間の感覚はそうズレていないはずだ」


「わかった!わかったから!今度俺が直談判してやるからその光は止めてくれ!」


 フロウライトは常に発光しているがその強さは調整可能らしい。抗議の意図があるであろう目の眩む強い光は本人の意思で発せられているものだ。


「師匠に文句を言ってもしょうがないとは理解しているんだがね。アヴァルフ側も同意したことだし、正直な話私に拒否権はほぼ存在していなかった。だから恨み言の一つでも言わせてほしいものだね」


 そして目の前には整理するのに十年かかるだろうと言われている膨大な資料の山。これを紐解きつつ頭に入れろとは確かに無茶な話だろう。

 ヴィオラが新たな本を立ち上がろうとしたその時、積まれていた本がバランスを崩しドサドサと床に散乱した。互いに顔を見合わせる。


「「……はぁ」」


 これから十年は同じ光景を目にすることに辟易した二人の深いため息が他に誰もいない書庫に虚しく響いた──。

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