The encounter:2

 ガラスが周囲に散らばっている。

 へこんだドアに挟まれアッシャーは呻き声をあげた。血が額を伝って目に入ってきた。上手く息を吸えず、どうにかシートベルトを外そうとする。歪み、ぼやけて定まらない視界の中でアッシャーはバッグを見た。かちゃりと独りでにバッグが開く。モヤモヤとした黄緑の煙のようなものがバッグから広がっていく。ツンとするような、目がヒリヒリする匂いだ。アッシャーは思わず咳き込み、血が飛び散った。何か変な化学反応でも起きたのだろうか。目前に迫ってくる死の気配の前に、アッシャーはただ目を細めたり瞬いたりすることしかできない。突然影がはっきりとするとアッシャーの目の前に青白い男の顔が浮かぶ。体は煙のせいでよく見えない。ひび割れた灰色の肌に、毒々しい緑の目が爛々と光っている。

 「これを借りるぞ」

 男が肌から血を滲ませながら笑った。

 「あ、悪魔…」

 アッシャーがなんとか声を出す。悪魔がアッシャーの体に腕を伸ばした。煙のようにアッシャーの中に溶け込んでいく。

 「やめろ!出てけ!」

 アッシャーが苦しそうにもがいた。悪魔の姿が完全に消える。アッシャーは目を見開くと動きを止めた。手が力無く落ちる。遠くからサイレンの音が響いてきた。ぱっとアッシャーの目が緑に光る。潰れた手足が再生されていく。完全に再生が終わると緑の光は消え、元の透き通るような青い瞳に戻った。

 救急車とレスキュー車が到着し、人々が集まってきた。



 

 「アッシャーが⁉︎嘘だ!」

 ケリンが大声を上げた。 

 『今DMC(デトロイトメディカルクリニック)だ。お前も来るか?』

 セルウェイが電話の向こうで言う。

 「行きます」

 ケリンがすぐに答える。電話を切ると両手で顔を覆った。

 「あのネックレスのせいだ!どうしよう、俺のせいでアッシャーが…!」

 ケリンが涙目になる。

 「早くアッシャーに会わないと」

 コートを掴むと走ってドアを開けた。




  病院の受付でセルウェイが医者と話している。ケリンが駆け込んできた。

 「アッシャーは⁉︎」ケリンが息を切らしながら聞く。  

 「落ち着け、アマースト。レストンは無事だ」

 セルウェイが手のひらを地面に向けて落ち着くようにジェスチャーをする。

 「ああ…良かった…」

 ケリンがほっとしたように涙目になった。

 「不思議なことに目立った外傷がないんだ。検査も無事に通過してる。今は眠っているけどすぐに良くなりそうだ」

 ジェイコブソン医師がケリンにも説明した。

 「俺は少ししたら戻る。片付けないといけない書類があるからな。お前はここにいるか?」

 セルウェイがケリンに声をかける。

 「そうします、警部補」

 ケリンが頷いた。

 「何かあったら連絡してくれ」

 セルウェイと医師が歩いていく。ケリンは病室に入り枕元の椅子に座った。

 「アッシャー、ごめん。俺のせいで…」

 ケリンが堪え切れなくなったように涙をこぼした。



 

 アッシャーが呻きながら目を開けた。椅子でうとうととしていたケリンは、はっと立ち上がった。

 「アッシャー、良かった!気分は?」 

 「変な感じだ…」

 アッシャーが自分の手を見て呟いた。

 「良かった、目を覚ましてくれて」

 ケリンが嬉しそうにアッシャーの手を握る。

 「何か…変な夢を見てた気分だ」

 アッシャーが体を起こす。自分の身体を見て目を見開いた。

 「なんだこれ⁉︎治ってるのか?」

 アッシャーが大声を上げる。

 「大きな傷は無かったみたいだ」

 ケリンが嬉しそうに言う。アッシャーは急にケリンのシャツを掴んだ。

 「助けてくれ!俺は…」

 アッシャーは言いかけて口を閉じる。

 「どうかした?」

 ケリンが膝を折りアッシャーに目線を近づける。

 「いや…事故で変な夢を見たみたいだ。不安なんだ。そばにいてくれるか?」

 アッシャーがケリンの目を見る。

 「ああ、今日はここに泊まるよ」

 ケリンが微笑んだ。アッシャーも笑い返す。

 「そうだ、あのネックレス壊れたかもしれない。悪いな、お前のなのに」

 アッシャーが申し訳なさそうに言った。

 「いや、いいんだ。ネックレスなんか。君が無事で良かった。それに…」

 ケリンが少し視線を泳がせる。

 「そのネックレスのせいかもしれない。俺、どうやって謝れば良いのか…」

 申し訳なさそうに俯いた。

 「大丈夫だ。ネックレスが車を突っ込ませるなんてできないだろ」

 アッシャーが笑った。

 「そう言えば警部補は?そろそろラボから報告が来るはずだったんだけど」

 アッシャーが真面目な顔になり周囲を見回す。

 「書類が溜まってるから帰ったよ」

 ケリンが答えた。

 「また溜め込んでたのか?相変わらずだな」

 アッシャーが笑い出す。ケリンもつられたように笑い出した。



 

 事故の割には元気だと医師たちが首を傾げながらも退院の許可を出した。

 アッシャーは鍵を開けると室内に入る。1番の心配だった車の保険が降りるようで、アッシャーはもう何も気を揉む必要が無かった。


 

 バッグをソファーに置くと冷蔵庫に向かった。冷蔵庫の中には瓶ビールが1箱といくつかの果物とサルサソースが入っている。アメリカンペール・エールを取り出すとソファーに座り込んだ。リラックスした様子で蓋を外す。左手でビールを傾けながらもう一方の手をバッグに突っ込み、ネックレスを取り出した。最初に見た時ほど変な印象はない。馬鹿馬鹿しくなり笑いを漏らした。実際に、事故は起きたが無傷で何も変なことも起きなかった。今だって落ち着いてビールを飲めている。ネックレスを仕舞いながら、

 「夢だったんだよな。これを怖がっていたから変な夢を見たんだ」と呟いた。

 立ち上がり洗面所に向かう。水を出し顔にかけようとした。

 『夢ではないぞ、アッシャー』

 頭の中に直接低い声が響き、アッシャーは勢いよく顔を上げた。真っ青な顔から水が一筋滴る。一瞬自分の顔に緑の目の不気味な男が重なった。

 叫び声が響いた。

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