第31話 時戻しの魔術

俺は戻ってから、まずはソフィアの安全を確認した。遠くに秋の庭を侍女を連れて散歩する姿が見える。奇跡だと思った。もう二度と、動いて微笑む彼女の姿を見る事は出来ないと思っていたのだ。今日はルイス医師の呼び出しで王妃宮に来た日だ。




 座標は正確に刻めたようだ。




 ソフィアに会って挨拶している間、俺は泣き出しそうな気分だった。手を取り口づけをする俺が、震えているのを誰かに気づかれてはいないか。何を話したか記憶にもないが、とにかく目の前のソフィアから目が離せなかった。




 幼い頃から美しく聡明な、俺の幼馴染。子供の頃は王子の婚約者である事の意味が、それ程よく分かっていた訳ではない。だから、彼女が王妃になるため後宮に上がる時は、悔しさに叫び出しそうだった。俺が王子に生れていたら良かった。そんな子供っぽい感情で埋め尽くされていた。




 何かある度に、彼女が王妃だと思い知らされる。他の男の子供を産むのを見ている自信がなくて、俺は留学と称して国を離れた。時折魔塔の仕事で戻る以外は、なるべく王宮に関わりを持ちたくなかったからだ。




 前回は、王子の診察と魔塔での直診が済んだら、他の魔導士に任せて逃げるように国を出た。魔導士というやつは、留学と言えば国を離れるのが容易だったのだ。




 俺はそれを死ぬほど後悔した。ソフィアを失い、彼女の王子が危篤になって、俺は後悔して後悔して、自分のした事を悔やんだ。俺がいれば、あのまま側にいればこんな事はさせなかった。






 だから、禁忌を冒して戻って来たのだ。




「ティモシー、説明して」


 魔塔の主とも言えるヘルガが言った。魔塔のS級の魔導士で、指導的立場にある。


「何を?」


「ごまかさないで!今日王宮内で発動された記録的な魔力量、あんたの他に誰がいるというの!」




 魔塔は国内の魔力量を測定するために、国内のあちこちに魔力量の測定器をマッピングしている。外部からの魔法攻撃に備えるためだが、不正な魔力を感知する意味も持っている。


 俺は観念して言った。




「禁忌を冒した。俺は”時戻し”を行った」


 魔塔の最奥の部屋に集まったヘルガ、デルタ、ダービルが騒然となった。




「なっ!何を言ってる!」


「そうよ、あれは……禁忌よ!」


「あり得ないだろう……」




「そうだ。あれは禁忌魔法で、あり得ない古代の伝説の魔法だ。禁忌と言っても、誰も出来やしないんだがね」


 俺はやけくそで言った。俺はソフィアのために戻ったんだ。もう誰にも遠慮などしない。




「……ティモシー、分かるように説明しろ」


 一番年上のダービルが言った。話は聞いてくれるらしい。場合によっては、魔塔の地下に監禁されるのも覚悟していた。その場合は、魔塔ごと吹き飛ばすつもりだった。




「信じてくれるか?」


「いいから早く話して!」


 ヘルガが言い捨てた。




 ***




 紹介の儀の夜。


 王宮でソフィアの心臓が止まり、王子が血を吐いて倒れている。それをあの、クソ国王がオロオロと見下ろしていた。何をしているんだ!


 俺は王を突き飛ばして、ソフィアに蘇生の魔力を送り込んだ。だが過剰な魔力で止まった心臓は、何をしてもピクリとも動かない。王子は他の医師と魔導士が毒の消去をしている。




 側では真っ青になった王と側室がこちらを他人事のように、眺めていた。


「陛下!これは毒殺です。犯人を捕らえてください!」


 俺が叫んでも、あの男は動かなかった。代わりに、フォースリア公爵が宮殿を封鎖して、騎士に捜索をさせていた。




 俺は心臓が止まったばかりのソフィアをベッドに横たえた。


(まだ、まだ間に合うかもしれない!)


 俺は必至だった。亡くなった事を認めたくないのと、打てる手があるかもしれないと、ソフィアの時を止めた。六つの魔法陣を作動して、ソフィアの心臓が止まった瞬間の状態でそのまま保護魔法をかけた。




 王子は魔塔の薬師が解毒を急いでいるが、意識がまだ戻らない。




 王宮では王子の暗殺未遂と王妃の死が、混乱をもたらしていた。宮殿を封鎖したが、犯人の手がかりがない。俺はソフィアと王子の側を離れられず、公爵の許しを得て宮殿に留まった。そして、一週間経っても王子の容態が回復せず予断を許さないというのに、あの男はとんでもない事を言い出した。




「側室のフローリアが妊娠した。王太子が危険な状態ではあるが、子供が男子である可能性が高い。だから、王室の将来については安心して欲しい」


 側近を含め、評議会や貴族たちは、あ然とした。まだ王子が亡くなったわけではないのに側室の妊娠を発表するとは……。




「後見はガーランド伯爵家だ。皆、今は不安だろうが、希望を持って王子の回復を待って欲しい」




 この言葉にフォースリア公爵家を初めとする、心ある忠臣たちは絶望したのだ。




 俺は魔塔に急いだ。このままでは、王子も危ないしソフィアも本当に亡くなってしまう。その上、よく分からん側室の子供が代わりに王太子になるのだ。この国で最も尊い女性が生んだ子を死なせて。




 俺は急いでこの国にいなかった間の情報を集めた。フローリアが側室になった経緯、ソフィアが受けた仕打ち、魔塔で記録している国内の情報を全て集めて、そして確信した。




 犯人はフローリア、そして国王だと。




 だが、今この段階で真実は分からない。だから、「あの紹介の儀」の夜に何が起こったのか、確認しなければならない。俺は、”時戻し”を決意した。




 時戻しは禁忌の魔法だが、そもそも誰もやった事がない。寿命を引き換えにする魔法で、そんな魔法を知らない者がほとんどだ。だが、俺が留学中に師事した隠遁の魔導士が授けてくれた魔導書に、このやり方が載っていた。隠遁の魔導士は自分はもう長くないから、お前に授ける。きっと役に立つからと持たせてくれたのだ。




 学術的な価値はあるが、そのどれもが禁忌で、やれるかどうかも分からないものばかりだ。その中に”時戻し”があった。




 ”時戻し”は寿命と引き換えに、全ての事象、生物、存在を指定した時間軸に戻す。皆で元居た場所に戻るという事だ。記憶を残すのは術者だけ。また一から時間をやり直す。禁忌で誰もやった事のない魔術だから、そもそもそれから何が起こるのかも分からない。だが、幸いソフィアに保護魔法をかけてきた。この時に存在しない者は、時を遡れないのだ。




 俺はそれに賭けた。




 魔塔の最奥の間に籠って、魔導書にある魔法陣を展開した。戻る場所の軸の指定が難しいが、一番戻って安全な場所は王妃宮だと直感した。俺は、三日三晩、魔法陣と格闘し詠唱が最後の章まで行った時に、時が目の前で割れた。




 遠くでヘルガの声が聞こえる。




「ティモシー、何の魔力なの!魔塔が壊れる!何をしているの!」




 ヘルガ、悪いが俺はソフィアの元に戻る。

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