第26話 浅はかな謝罪

夜の帳よるのとばり』事件以来、ウィリアムはすっかり大人しくなり落ち着いていた。評議会を招集され、摂政案まで議論されたのだ。さすがに感情任せの行動は控えるようになっている。それに伴い、朝食の儀式も再開された。なぜだか、マクレガー子爵が強く勧めたらしい。




「今日はどのような予定なのだ?」


 ウィリアムが私の予定を尋ねるなど、どんな風の吹き回しだろう。




「午前中は執務を行って、午後は自由時間ですわ」


「……そうか。では、少し散歩でもしないか」




(どういう事?)




「嫌か?」


「いえ、いいですね、参りましょう」


「では、午後に王妃宮に迎えに行く」


「はい。お待ちしております」




 王妃宮にウィリアムが足を踏み入れるのは、何か月ぶりだろう。ゆったりとした普段着でやってきた。特に遠くに行く予定は聞かされていないので、私も普段着のままで待っていた。




 馬車で少し行った離宮の手前に、散歩に良いコースがある。


「もう、肌寒くなってきたな……」


「ええ……」


(妻ではないと言われたあの日から、何だか陛下が他人のように思えるわ)




 ウィリアムは馬車を下りて、護衛を下がらせた。護衛は渋々だが、姿が見える範囲でという条件付きで、私たちから距離を取って離れた。




 私たちは美しく整えられた花壇に沿って、ゆっくりと歩き始める。




「先日のエドワードの誕生日は、ありがとう。快く受け入れてくれて」


 本当は彼抜きでお祝いしたかったくらいなのだが、父親を呼ばなければエドワードが不憫だと思ったからだ。夫婦の仲のせいで、子供に寂しい思いをさせたくなかった。




「それから……色々とすまなかった」


(どの部分の事かしら?)




「あの時は、言い過ぎてしまった。そなたとは、幼い頃から親しい間柄だったので、つい口が滑ってしまったようだ……」




(口が滑ったですって……!)




「……いいえ、もう気にしておりませんわ」


 私は、薄っすらと微笑んでみせた。




「そうか、気にしていないのか?良かった。私はずっと、気になっていたのだ」


「ええ、もうご心配はなさらずに……」


 ウィリアムはすっかり安心しきったような表情になり、私の手を取った。


「ありがとう。心の痞えつかえがとれたようだ……。これからも私を支えて欲しい」




(信じたのかしら?)




 今日の要件は謝罪だったようだ。来る時とは違って、以前からのような打ち解けた口調で、世間話をしてくる。こんなに簡単な謝罪であれが許されると思うとは、なんと気楽な性質なのだろう。




(でも、いつまでも気まずい関係でいる訳にはいかないし)




 国王と王妃の関係は、普通の夫婦とは違う。恋情で結婚したのではない以上、根本的な同盟が守られる限りにおいては、穏やかな関係でいるべきだと思っている。




 帰りの馬車でウィリアムの表情は明るかった。許されてホッとしたのだろう。ふと海辺の館の話になって、「今度は一緒に行こう」と言う。その時、ティムとの入り江での事が思い出された。




(ティム、いつ戻って来るの?もう一か月になるのよ)




 王妃宮に戻って一応お茶の誘いをしてみたが、どうやらそのまま後宮に行くようだった。益々、この謝罪が彼にとって軽いものである事を実感した。私の許しを得たと思っているウィリアムにとって、自分の暴言はもはや、ないも同然なのだ。




(こんな謝罪くらいで、あの心をえぐる言葉を忘れないといけないなんて)






 ***




「ウィル、どうだった?王妃様は許してくれた?」


 長い黒髪を垂らしたままで、菫色の瞳を輝かせて私を見る。彼女と目を合わせると、心の奥底から艶やかな恋情が湧き上がるのだ。




 西の宮のフローリアの自室は、贅を尽くして作った。まだ、十七歳の美しい少女に良く似合う。そして、この部屋の花の香りかぐと、気の重い事や嫌な事も吹き飛んでしまう。フローリアの故郷の花の香だそうだ。オートナムへの通っていたのも、このフローリアとの癒しの時間が忘れられないからだ。離れていると、彼女に会いたくてたまらなくなる。




だから、側室に上げたのは正解だった。




「ああ、許してくれたよ。彼女は私に色々と口うるさく言うが、謝罪すれば後には引かないんだ」


「……そう。なら良かったわ。いつまでも王妃様に辛く当たられたら、ウィルが可愛そうですもの」




「フローリアは優しいな。そなたがいてくれるから、私は頑張れるのだ」


「私こそ、ウィルだけが頼りですもの。だから、あんまり辛そうな姿は見たくないわ」


 そっと、私の胸に体を寄せる。ほっそりとしていながら、若々しい弾力を感じさせる。私は絹糸のような黒髪を撫で、その体を強く引き寄せた。




 フローリアは私だけを頼りにしてくれる。出来る限り守ってやりたいが、王宮には王妃と二人の側室がいる。表向きは三人ともそつなく振舞っているが、フローリアの負担が計り知れない。




「王妃様がちょっと怖いの……」


 フローリアの言葉に、そうだろうと思っていた。美しく気高い王妃だが、どこか冷たさを感じる。結婚してからも、女人らしい甘えなどは見せた事がない。ビアンカやアリアドネさえ、二人きりになれば態度が変わるものを。




 ソフィアは私の後ろ盾のフォースリア公爵の娘だ。恩はあるが、この国の王は私だ。私の一挙手一投足が公爵家にいいようにされるのは、正直もう我慢がならない。




 だから、焦ってしまったのだ。『夜の帳よるのとばり』の件は、明らかに私のミスだった。もっとゆっくり進めるべきだったのだ。あの宝石は、フローリアの方が良く似合う。もちろん王妃が身に着けるべきものではあるが、フローリアも私の妻だ。何が駄目なものか。




 私は、もっとフローリアに与えたい。私の持てるもの、彼女にふさわしい物すべてを与えてやりたい。オートナムでの出会いは、本当に運命だったのだ。今ならそれがよく分かる。




「ウィル、私のためにあまり無理はしないで。オートナムの事業は順調なのですって。少しでも、あなたのお姉様のお役に立ちたいわ。ドット領のお義父様も応援して下さっている。ウィル、皆あなたを応援しているのよ」




 フローリアはこれ程までに私を支えようとしてくれている。一番新しい側室であるにも関わらず、だ。皆、フォースリア公爵の後ろ盾がない私は、無能だと思っているに違いない。王妃や公爵に世話になったのは事実だが、私も自分自身の基盤を固める時がいよいよ来たようだ。




 フローリアを幸せにするためには、もっと強くならなくてはいけない。そのためなら、自分から王妃に折れる事くらい、何でもない事だ。

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