第24話 夜の帳

「王妃様、お聞きになりましたか?」


 シンクレア伯爵夫人が慌てて部屋に飛び込んできた。彼女がこんなに慌てるのは珍しい。




「どうなさったの?」


「『夜のよるのとばり』を陛下が……フローリア妃に賜ったそうです」




(は?)




『夜の帳』は大粒のサファイアの首飾りで、王家に伝わる値のつかない程貴重な財宝だ。単なる宝飾品ではない。特別な式典等で、王妃だけが着用を許されている。身に着ける事が出来るのは王妃だけだが、王妃自身の物ではない。王家の財産なのだ。




 だから、王といえども、誰かに勝手に賜るなど許されない。




「まさか……」


 私は呟いた。いくらウィリアムでも、そこまで落ちてしまうはずはない。これでは、寵姫に翻弄された傾国の愚王になってしまうではないか。だが、シンクレア伯爵夫人がただの噂話を持って来るはずもない。




「陛下に面会を!」


(とにかく、ウィリアムに話を聞かなければ)




 私はウィリアムと、彼の執務室で向き合っていた。


「本当なのでしょうか?」


 私の問い詰めにウィリアムは答えない。後ろでオルター侯爵と、マクレガー子爵が憔悴しきって立っている。




 恐ろしい程長い沈黙を破って、やっと口にした言葉。


「それがどうしたのだ……?」




 心臓がぎゅっと縮んだ。




「陛下、王室財産は王の勝手には出来ません」


「なぜだ?」


 吐き捨てるようにウィリアムが言った。何を馬鹿な事を言っているのだ。




「王室財産のうち、領土、城、邸宅などの不動産、鉱山、港、そして特別な宝玉など、王の一存では処分出来ないものがあるのはご存じでしょう。これらは、王室の財産であると同時に国の財産でもあるのですよ」




「……首飾りを妃に与えただけだろう。大袈裟な。所詮私の妃なのだから、外に出す訳でもあるまいし」




 私は大きく息を吸った。


「側近は役目を果たせていないようですね。お下がりなさい。陛下と二人でお話があります」


 オルター侯爵とマクレガー子爵は真っ青な顔をして、部屋を出て行った。




「陛下、あれを身に着ける事が出来るのは、王妃の私だけです。その意味がお分かりですか?」


「そなたは王妃だが、もはや私の、妻とは言えないだろう?私に反対ばかりして……私の妻は……フローリアだけだ。妻に宝石を与えたいと思って何が悪いのだ!」




 血が逆流していくのがわかった。耳の後ろが脈打ち、顔が赤くなってくる。目の奥が熱い。




(ああ、ティム、助けて!)




「王妃権限で、評議会のメンバーを招集します!」


 私はそれだけ言うと、大急ぎで部屋を出た。外にはオルター侯爵とマクレガー子爵が待っていた。




「王妃権限で評議会を開催します。至急、準備をなさい!」




 部屋に戻ると事情を知らせる手紙をしたためて、実家の公爵家に早馬を走らせた。




 評議会は、国家の重大な事項を決定出来る機関で、貴族院の主要メンバーで構成されている。三つの公爵家、五つの侯爵家と時勢により他に五つの貴族家がメンバーになる。




 王家の主要な財産の処分や、王太子の任命も評議会の賛成が必要だ。王は王太子を指名する事ができるが、評議会の三分の二の賛成が必要である。エレンデール王国は、暴君を許さない国なのだ。




 父のフォースリア公爵が王妃宮にやって来た。早馬で来たようだ。


「ソフィア!」


「お父様、申し訳ございません。独断で評議会の招集をいたしました」


「……構わん!王妃の権限だ。しかし、まさか陛下が……」




「陛下は様子がおかしいですわ。フローリアの事になるとお話が全く通じません」


「……そうか」


「お父様、何かご存じなのですか?」




 父は暫く黙っていた。何か考え込んでいるようだ。


「……フローリアは、娼妓ですわね?」


「知っていたのか?」


 やはり、父は知っていたのだ。なぜ私に隠すのだろう。私を心配してくれているのか。




「今は詳しくは言えないが、確たる証を探している所だ。ティモシーが必ず見つけてくれるだろう」




(ティムが関わっているの?)




「いいか。ソフィア。評議会は私に任せなさい。お前は出なくて良い。『夜の帳』も元に戻そう。ティモシーが戻るまでは、身の安全を最優先にしなさい。絶対にフローリアに近づいてはならん。陛下にも、単独ではお会いしないように。そして……エドワード様をお守りするのだ」




 父は私の周りに注意をするよう、侍女たちにも言いつけた。




(一体、何が起こっているの?)




 ウィリアムのフローリアへの寵愛は、貴族の間でもすっかり噂になっている。今回の急な評議会の招集で、その事実は決定的なものになるだろう。それに、後宮の運用は王妃の手腕が問われる一面がある。同時に私の評価も地に落ちるだろう。




 たかだか側室一人のために……。


 もうウィリアムをこれ以上放置する事はできない。でも、どうすれば?




 今回の件は父と評議会が止めてくれるだろうが、同じような事が起きない保証はない。




 ***




 父が評議会から戻って来た。


「『夜の帳』の件は解決した。そこで、摂政を立てるべきかが話合われた……」


(摂政?まさか!)




「お父様、それは……」


「現在の陛下の治世に不安があると、声が上がった。最近の陛下をお見受けすると、当然だがな……」


 この国での摂政は、国王が幼少であるとか、病弱であるとか、一時的な国王の不在時などそういった理由がある場合に立てられる。若く健康な王がいてそのような話が上がるとは信じられない。




「今一時的だとは思うが、お気持ちが不安定になられているのは、事実だ。まだ協議の段階だが、貴族院で陛下をお支えする必要はあるだろう」




(それでは、体のいい傀儡となってしまう!)




「お父様、摂政の件はお待ちくださいませ。陛下が不安定な状態である事は事実ですが、それでは、あの若さで傀儡の王となってしまわれます……」


「……ああ、分かっている。エドワード様の立太子の前だからな」




(身勝手と思われてもいい、エドワードの立場が不安定になる要素は受け入れられないわ!)

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